本当の笑顔 8




 声色だけで理解できた彼女の心境。

 小刻みに震え、一人で耐えるのはもう限界なのだと体が理解し表現していても、ソレを見なかったことにして必死に己を支えている姿は、ナルトにしてみれば何とも古傷を疼かせるものではあったが、それ以上にそんな気持ちを抱えながらも誰かを想う彼女の健気な姿に切なさが募る。

 そう、こんな彼女だからこそ、誰も気づかずにここまで来てしまったのだ。

 本来なら、それにいち早く気づいてやらねばならなかったのは誰だったのか……

(本当なら、オレが一番に理解してやんなきゃいけなかったハズだ。コイツはそう言わないし思いもしねーだろうけど、だけどオレであるべきだったんだ)

 同じ痛み、同じ疼きを持っている己が、彼女の一番の理解者であるべきだったと、疼く古傷とは違う痛みを伴う。

 全てにおいて7班を優先にしてきた。

 それに何も言わずついてきてくれただけではなく、助力さえ惜しまない彼女の優しさに甘えて、誰にも気づかせないように誰にも悟られないように誰にも感じさせないように、ひっそりと痛みを押し殺していたヒナタを結果とは言えないがしろにしてしまった事実は変わらない。

 誰も彼もが仕方がないと言っても、ナルトにとっては事実であり何よりも悔しいことであると感じた。

 だからこそ、今、彼女の心を包み込み癒したい。

 身勝手な思いかもしれないのだ。

 凍り付いて痛みを感じないほど麻痺した心を正常に戻すということは、とめている痛みを思い出させ、苦しめることになるから……

(その痛みを知っても、その痛みを抱えられなくなっても、オレがいる。傍にいるから……だから、一緒に立ち上がろうな……)

 心でそう語りかけてから腕に篭った力を少しだけ強めたナルトは、一同が黙ってくれている内に、結果彼女を傷つけることになっても見守ってくれている彼らがいる内に、行動へと移したかった。

 もし、己が癒しきれなくても、彼女がソレと望まない結果となってしまっても、信じられる仲間がフォローに入れるこの状況を置いて他はないといえたから……

(出来れば、オレが全部受けとめてェんだけどさ。お前が望んでくれるかわかんねェし……オレで良いなら、ずっとその傷が癒えるまで傍にいてやるから)

 募る思いが詰まった胸に、躊躇いながらも身を預けてくれているヒナタを優しく見やり目を細め、幾分低い声で言葉をつむぎ出した。

「ずっとさ、胸の内に溜め込んで、ずっと1人で頑張って、ずっと1人で堪えるのは辛ェだろ」

 静かなナルトの声にヒナタは押し黙り、彼が何かを語ろうとしているのだと理解すると、息をしているのかと不思議になってしまうくらい動きを止めて、声に聞き入る。

 彼女の吐く息すら秘めやかで、どくりと心臓が音を立てるのを感じずにはいられなかったが、それよりも今は伝えたい言葉があるのだというように、ナルトは腹に力を入れなおしてヒナタに向かって口を開いた。

「誰にも認められない辛さは知ってる。誰にも見てもらえない辛さも知ってる。理不尽な大人の都合で傷つけられた心はそう癒えねェけど……」

 声に篭った感情に、聞いているほうが辛くなるような響きが宿っていて、誰もが自分の手元を見つめながら、昔は知ることが無かったナルトの状況を思い出し、心に浮かぶ罪悪感のようなものに眉を潜める。

 彼も傷ついてきた。

 そして、彼女も傷ついてきたという事実を言葉にして表現された衝撃は考えていた以上に心に響き、手元に落ちていた視線をそろりとナルトとヒナタへと向ける。

 遠くからでもわかるほど小刻みに震えるヒナタを、優しい眼差しで支えて片腕だけで包み込むナルト。

(バカねナルト……抱きしめて包み込んであげればいいじゃない。ソレはアンタにしか出来ないことなんだから……)

 サクラは唇をきゅっと噛みしめてそう胸中で呟くと、切ない二人の関係を垣間見た気がして、繋がりそうで繋がらない二人の心にやるせない気持ちになるのだが、それ以上に今現在辛い気持ちを抱えているだろうナルトを思う。

(アンタはいつだって優しいんだから……)

 サスケのことで悩んでいたら、必ずと言っていいほどナルトが相談に乗ってくれた。

 一番応援してくれていたのは、他の誰でもなくナルトであるのは重々承知している。

 だからこそ、自分もナルトの一番の応援団でいたいとサクラは思った。

(ごめんね……もっと早く、もっとずっと早くに、アンタたちはこうして向き合うことが出来たはずなのに……)

 自分が甘えてしまったばかりに、己のことを後回しにしてしまったナルトとヒナタの二人に申し訳ない気持ちと、だからこそサスケと共に幸せにならなければならないという想いが生まれて来る。

(サスケくんと一緒に頑張る。アンタたちみたいに、自分の身を削って互いに尽くすなんて早々出来やしないけど、でも、私だってサスケくんの為なら、ソレが出来そうだって最近思うの。アンタたちは気づいていないかもしれない。けど、私は……いつも二人に答えを貰っていた気がする)

 真っ直ぐ己を疑わず、貫き通す強さをナルトから。

 報われなくても一途に想い、信じる気持ちをヒナタから。

 そして、言葉にしなくとも、態度で示さずとも、揃い立つことで誰もが間に入ることが出来ないような絆を感じさせてくれた二人の何よりも強い繋がり。

 その繋がりの強さもそうだが、二人が見据える先にあるものが、何故だかいつも光であるような気がして……

(第四次忍界大戦の時、ヒナタがナルトを引っ張り上げた。班員である私やカカシ先生やサイよりも的確に、しかもそれよりもずっと深く理解してみせた……ヒナタの強さ)

 己が知っている日向ヒナタという人物を思い出し、ペイン戦のときに感じた強さを更に強くしたような彼女は、あの戦場で折れそうになったナルトの心をしっかりと支えていた。

(アンタが強いっていう意味が最初はわからなかった。だけど……今ならわかる。ヒナタは本当に強いね、ナルト。だけど、だからこそ、今度はアンタの番)

 一人で抱え込める限界を超えて、心が折れそうになっている彼女は、第四次忍界大戦でのナルトと重なって見える。

 そして、その隣にいて、その心を支えようとしているのはヒナタではなくナルト──

(アンタたちみたいに、支え支えられる関係になれるよう、私も努力する……負けないんだからねっ!)

 胸中で吐き出された言葉は勝気なものではあったが、二人を見守る瞳は優しく、とても穏やかなものであった。

 それが彼女の成長であるようで、カカシはチラリとサクラに目をやってから、本当に嬉しそうに口元を緩めてから、ナルトとヒナタの二人にチラリと視線をやる。

(お前たちがもたらした変化は、少なくもなければ小さくもない。それこそ、忍の世界や国境すら飛び越えて、いまだに己の胸に焼き付けている者も多いんだ。今度は、お前たちがお前たちのためだけに心を砕いてやるといい。幸せになって良いんだよ。お前たちは……一番幸せになるべきなんだ)

 サクラの成長、そしてナルトの成長、それだけではなく、新しく班員になったサイの成長もやはり嬉しく感じられるのだとカカシは『やはり、歳をとったかな……』と自嘲気味に笑い、同じく二人を見守っているテウチを見た。

(こういう御仁になれればいいねぇ……多く語らずとも与え包み込める。もっともっと修業が必要だな、こりゃ)

 脳裏を掠める柔らかな笑みをたたえている、ナルトと同じ金色の髪の恩師は、もっと広くて深かったな……と、己の成長の無さに少しだけ肩を落としたカカシは、部下がみんな頑張っているのに自分が頑張らないワケにはいかないでしょ?と苦笑を浮かべ小さく息を吐く。

(オレも、まだまだだけど……だけど、先人たちに負けない努力はするつもりさ)

 一瞬恩師と班員二人が微笑んでくれた気がして、カカシは目を閉じてナルトの言葉に耳を傾ける。

 きっと、二人の先を決める大事なことがらだから、一言一句聞き逃すまいとするかのようにマスクに隠れた口元を引き締めた。

「不思議なもんだよな。人間辛すぎるとさ、一人じゃ泣けなくなる。泣いちまえば、心が一時空っぽになってさ、空っぽになった心に全部の力を奪われちまったみてーになるけど、また歩き出す力が満ちてくる」

 胸の上着をぎゅぅっと握り締めるヒナタの手の力強さを感じながら、ナルトは出来るだけ優しい声色で幼子に語りかけるように囁く。

 苦しくなるほど甘く、痛みを覚えるほど切ない。

「きっと、それで一歩踏み出せる」

 コクリと頷くヒナタにちゃんと言葉が届いていることが嬉しくて、ナルトは頭を抱えている手とは反対側の手で、彼女の長くて柔らかな髪をやんわりと撫でてやる。

「よく頑張ったな」

 その一言にぴくりと反応する彼女の頭に頬を寄せて、自らが与えられるぬくもり全てを与えてやりたいとでもいうかのように、ナルトは今現在抱きしめることを許してもらっている片腕に想いを篭めた。

「すっげーなヒナタは……ずっと1人で頑張ってきた。すげーよお前」

 降りかかる火の粉を払うことを知らないかのように全てを受けとめ、そして、抗うことなく応えようと己を削り必死に努力してきた。

 そんな彼女だからこそ、守ってやりたい。

 心を占める形容しがたい感情が溢れ出して、両腕でしっかりとその体を力強く抱きしめてしまいたくなるのだが、それをグッと堪えて歯を食いしばる。

「わ、私より、ナルトくんのほうが、ずっと……ずっと辛かった……わ、私の……私のこんな……」

「そうやってさ、人を思いやることが出来る。オレみてーにバカやらないで、ずっと誰かの為に頑張ってきた」

 彼女はそうやって己の心に目をやらず、いつも誰かの傷ついた心を癒すことを望んだ。

 傷ついた気持ちに気づける。

 それが傷だと理解出来るのは、同じ痛みを持つからこそ──

(自分の心の傷が癒せないとわかっているからこそ、その代償とでもいうかのように、他の者の傷を癒す。でもヒナタ、それじゃダメだ。お前はそれじゃ救われない。お前の傷はずっと開いたまま血を流したままだってばよ)

 彼女の心の傷に直接触れられたのなら、その傷を守り癒せるのなら、どんな試練にだって耐えてみせる自信がある。

 それほど心の底から、ヒナタを癒したいと願う。

 この切ないほど綺麗で壊れそうな心を癒したい。

「お前はさ……見てもらいたかったんだよな?日向宗家の嫡子でなく、『日向ヒナタ』って奴を」

「っ!」

 オレを認めさせてやると、小さい頃に声を張り上げていた己を思い出しながら、ナルトは彼女の心を感じるかのように目を閉じてぬくもりだけを感じる。

 そして、確かに感じることができた。

 真っ白な何も無い空間の中、ただ一人佇む幼子。

 小さなヒナタがうつろな大きな瞳のまま、ただ無心に何かを求めるように手を伸ばし、その手を掴んでくれる誰かを待っているのを──

 それが自分で良いのかと一瞬の躊躇いのあと、脳裏で嘲笑う闇の己の気配を感じる。



『誰にも譲る気なんてねーくせに、今更だろ』



 確かにそうだな……と、胸中で呟いたナルトは、確かにその小さな手を掴んだ気がした。

 あまりにも小さくて冷え切った彼女の手に驚きを隠せなかったが、ぬくもり全てを与えたいとでも言うように握りこんだ手を驚き見ていた彼女の瞳に宿った光をかき消さないように、優しく微笑む。

 安心して良いのだと、この手は気まぐれに握られたのではないと伝えるように、いつもヒナタがくれる淡く優しい微笑を浮かべる。

 きっとコレは精神世界の繋がりなのだろうと、そこまで深く繋がることが出来る自分たちの心が不思議だと思う反面、とても嬉しくて心があたたかい。

 手を繋いだ場所から伝わる凍てつくような彼女の心の傷の痛み。

 それすら気にならないほど、今のナルトは彼女との繋がりが大切であり、心を満たすものなのだと知ったのであった。







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