bitter & sweet 3




 全ての人たちが作業をし終え、片づけが終わった頃にはもういい時間になっていた。

 ヒナタは最後まで残ってくれていたサクラといのに礼を言うと、彼女たちは手にしたチョコを嬉しそうに見つめた後、軽い足取りで調理室を後にする。

 その後姿を見送り、ほっと息をついたヒナタは、いまだ稼動しているオーブンを椅子に座って待つことにした。

 校庭も人がまばらとなり、それぞれが片づけを行っていてどこか静かである。

 紅も先ほどヒナタに鍵を渡して職員室から呼び出しがあって行ってしまったし、あれだけ賑やかだった調理室も誰もいない状況であり、少しばかり寂しさを覚えてしまう。

 白い床に先ほどまで散らばっていたチョコレートの小さな屑もなく、綺麗なものであり、窓から差し込んでくるオレンジ色の夕日は寂しさを更に増徴させてくれて、知らず知らずに溜息が漏れてしまった。

(みんな……うまくいくかな)

 目を輝かせて必死にチョコを作っていた同学年の子と後輩たち。

 恋というものに胸を膨らませ、ただ好きな人の為に頑張るその姿が愛しくて可愛らしいと感じられた。

 調理部の後輩たちも、それぞれに想い人がいるのだろうか、綺麗にラッピングできたチョコを嬉しそうに胸に抱えて出て行くさまは、やはり嬉しくて、その一端を担えた事に喜びすら感じられ、少しくすぐったくて口元に柔らかな笑みを浮かべると、オーブンの音だけがやけに大きく聞こえてしまい、ぼんやりとそちらを見つめる。

 甘い良い香りが辺りに漂い、そろそろ出来上がるようだと腰を上げようとしたのだが、それは叶わず、全く人気が無かった場所に侵入を果していた人物は、後ろからヒナタを優しく抱きかかえていた。

「気づかなかった……」

「ああ、ぼんやりしてたからな」

 優しく低い声色が耳朶に響き、ヒナタはうっとりと目を細めたあと、回されている腕に手を添える。

 学校ではあまり過剰なスキンシップを断りたいところはあるのだが、何故かそれに踏み切れず、こうして受け入れてしまう。

(やっぱり……嬉しいからかもしれない。そして、ナルトくんは私のものなんだって、主張したいのかな……私)

 彼は元々人気があったのだが、それは人柄がという意味合いであり、彼女になりたいとかそういう考えを持つ者は少なかった。

 しかし、このところナルトの出す優しくて甘い気配というか、ヒナタを見つめる甘い瞳や声に漸く彼の良さを理解した女生徒がモーションをかけているという噂をいのからもたらされ、ヒナタは彼には言っていないが内心かなり焦ってしまったのである。

 だからかもしれない……

 でも、それだけとはやはり言えなかった。

 彼のぬくもりがもたらしてくれる安堵感は何ものにも変えがたく、何ものも及ばない。

 それを誰よりも知っているからこそ、彼の行動を止めるのに躊躇しているのか──

 思考の渦に捕らわれているヒナタを感じながら、ナルトはサッカー部で散々文句を言われた経緯を思い出し、やはりこの腕の中の彼女は人気があるのだなと再認識し、誰が離すものかと口を尖らせる。

 誰よりも大事で、なにものにも変えがたい大切な宝物。

 やっと手に入れたんだと胸中で呟き、後ろから頬に口付けすれば、くすぐったそうに彼女は身を竦めてくすくす控えめに笑う。

 腕を伸ばし、手で顎を指で掴むと、自らのほうへと向かせて、その瑞々しい唇に唇を重ねようとしたときであった。

 まるで見計らったように、オーブンが鳴り、作業の終了を知らせる。

 その音の大きさに、二人は思わず体をビクリと大げさなくらい震わせ、互いにそれを感じ取ってしまい、顔を見合わせると苦笑を浮かべてから軽く音を鳴らして唇を少しだけ重ね合わせた。

 二人がゆっくりと離れてオーブンのほうへ向かうと、中ではヒナタが焼いた焼き菓子の甘い香りが漂っていて、扉を開き、中にある菓子を出せば、見覚えのある形にナルトは声を上げる。

「お?それって、確かマフィン……」

「うん。ナルトくんに何がいいかなって沢山考えたんだけど……コレにしたの」

「ヒナタがオレにはじめてくれた菓子だよな」

「お、覚えて……いて……くれたんだ……」

「当たり前だろ?」

 そう、自覚はなかった。

 だけど、あの頃からヒナタのことが気になっていたと自信を持って、今なら言える。

 あの頃から……いや、あの時。

 二人の男に手を掴まれても、立ち向かう勇気を見せた彼女に魅せられたに違いない。

 そして、その後の弱々しさ……守ってやりたいと、この人を、オレが守りたいと願っていたのだと、後になって気づいた時には身悶えたものだ。

 今ではそれもいい思い出の1つである。

「前のはプレーンで、コレはチョコチップ入りなの。あ、あとはラッピングを……」

「いいってばよ。それよりさ、あったけーうちに食べてみてーんだけど、いいか?」

「え、こ、このまま?」

「ああ」

「で、でも……折角ラッピングを……」

「綺麗に飾るよりさ、ヒナタがオレに食べさせてくれよ」

「……え?」

 驚きナルトを見れば、彼は椅子を引き寄せて座り、ヒナタにも同じように椅子を勧めると、ソコに座らせた。

 そして、まだ熱いマフィンを徐にひとつとって、あつっと言いながらも半分に割り、ある程度冷めた頃に、ヒナタの手に渡す。

「ほら、ソレで大丈夫だろ?ヒナタの手で食わしてくれるのが、なによりも嬉しいラッピング……ってな」

「ラッピングって言わないよ。そういうのは……」

「要は気持ちが篭ってりゃいいんだろ?ヒナタ愛情ラッピングされてるから良いんだってばよ!そんでもって、その手から食わしてもらえるのが何よりも嬉しいプレゼントだぜ?」

 ほら、早くと急かされたヒナタは、甘え上手だなぁ……と、思いながらも仕方なくマフィンを小さくちぎって、促されるままにナルトの口へと運ぶ。

 ぱっくんっと一口食べて丁寧に咀嚼したナルトは、んーーーっと唸ったかと思うと、目を輝かせてヒナタを見つめ返した。

 輝かんばかりの笑顔である。

「うんめーーーーっ!さっすがヒナタっ!!」

 そう言って、再び口をあーんっと大きく開けるので、何だかそうすることが当たり前になってしまったように再び彼の口へとマフィンを運ぶ。

 本当に美味しそうにぱっくんと食べる様は、どこか可愛らしささえ感じてしまった。

「よーし、ヒナタ。オレもあーんしてやるってばよ」

「え?」

 テーブルの上に置かれていた赤い包装紙のチョコ。

 テマリがくれたチョコの包装紙をバリバリと景気良く破ったナルトは、包装紙の中から出てきた箱をぱかりと開き、一粒チョコを摘み上げる。

 そして、優しく……チョコにも負けない甘い声でヒナタの名を呼ぶと、ふわりと笑う。

「あーん……してくれってばよ」

「な、ナルトくん……あ、あのっ」

「ヒナタ、あーん……ほら、口開いて……な?」

 優しく言い聞かせるような声なのに、どこか艶を感じるのはどうしてだろう。

 辺りがオレンジ色から薄暗くなってきている中でのやりとりだからだろうか。

 それとも、彼の意図していることが原因なのだろうか。

 様々な疑問が頭の片隅に浮かんでは消えていき、ヒナタはドクドク脈打つ心臓を手で押さえながら観念したようにゆっくりと唇を開くと、ナルトの視線に耐えかねて目を瞑った。

 ほどなくして唇に触れる硬質な感触にチョコが当たったのだと理解し、もう少し大きく開けば、口内にころりと転がり入るチョコの甘い味。

 さすがは食通のテマリが用意したチョコだけあって、口内の熱に面白いくらい溶けていく。

 品の良い甘さと、ほろ苦さ。

 そして……

「んぅっ!」

 唇を覆うのは柔らかな感触で、口内に入ってきたのは、自分の口内よりも熱くて柔らかな意思をもった彼の舌。

 チョコと舌をもろとも絡めとり、口付けから逃れようと体を引くのだが、それより早く彼の腕が腰を抱いて反対の手は後頭部を支えてしまい、多分中腰の姿勢なのだろうが、慣れたように拘束され逃れる事すら出来ない。

 シンと静まり返る校舎。

 誰もいない家庭科室で、ヒナタの動きに合わせて鳴った椅子が床を擦る音。

 しかし、そんな音よりも耳に響き入ってくるのは、彼の舌が奏でる艶やかな水音。

 暫くして、漸く離れた彼は、ぺろりと自らの唇を舐めたあと、ニヤリと笑い腕の中でくったりとしているヒナタに甘く囁きかける。

「一緒に食えって言われたからな……これなら一緒に食えるだろ?」

「な……ナルトくん……な、何か違う……気が……」

「いいや、違わねェよ?一緒に食ってるだろ?」

(そ、それって、どっちの意味なんだろう……一つのチョコを一緒に食べてるっていう意味なのか、チョコもろとも私を食べているという意味なのか……)

 たぶん、そのどちらもなのだろうと思いながらも、どこかそれを認めてしまえば、歯止めが効かなくなりそうな彼の青い双眸をこくりと喉を鳴らして見つめた。

「んじゃ、次はヒナタな?」

「……え?」

「ほら、チョコ、オレにもくれってばよ」

「あ、あの……そ、そのっ」

「ヒナタ」

「は、は……い」

「頂戴?」

 少しだけ小首を傾げたような角度に首を曲げ、愛しさを滲ませた青い双眸が細められ、妖しく艶やかな笑みと共に言われてしまえば、逆らえる筈も無く、ヒナタは恐る恐るテマリのチョコを一粒とると、ナルトの口の中に入れて唇を噛み締める。

「一緒に食おうぜ」

「な、なる……と……くん……」

「なあ……来いよ」

 口を開いて舌をチロリと覗かせ、その上で溶けはじめているチョコ。

 何を望んでいるかわかっている。

 しかし、自らが学校でそう言う行為をするという羞恥心にヒナタは身を苛ませ、ふるりと震えた体を、ナルトの腕が『大丈夫だ』とでも言う様に優しく撫でて、その先を促す。

 高鳴る心臓に呼応して全身が紅に染まっているヒナタを見ているにも関わらず、彼はすぅと目を細めて唇に優美な弧を描いて笑って見せた。

 目が雄弁に語っている言葉に促されるように、ヒナタは意を決して目を閉じながらナルトの唇に唇を重ね合わせ、まるでそこに進んでくることを待つように力を抜いてうっすらと開いている唇の間にソッと舌を差し入れる。

 彼の舌の上で溶けるチョコは、先ほどより甘く感じてほろ苦さなどない。

 ただ、熱くて甘い……

 震える手で彼の背中をぎゅっと掴み、中も外も熱くて仕方が無く、ヒナタはぞくぞくと背筋を這い上がってくる感覚に体を震わせた。

 ソッと離れた後、彼が本当に嬉しそうに微笑み、ヒナタの唇をちゅっと音を立てて吸い、それから愛しげに頭を優しく抱きかかえる。

「こういう味わい方も美味いだろ?すげー甘ェ……な?」

 声を出すのも躊躇われ、ヒナタはこくりと小さく頷けば、そっと膝の上に座らされて、そのチョコより甘い視線に溶かされるんじゃないかと思うほど、体に熱が篭っているのに気づき、ほぅと吐息をつく。

「ヒナタ、今度はマフィン」

「あ、は、はい」

 もう掴めるようになったマフィンをちぎって、ナルトの口へと運ぶ。

 先ほどの行為を思えば、コレはなんでもないことのように思えてしまうから不思議だ。

「うん、やっぱうめーやっ!」

 チョコより私が溶かされちゃう……と、胸中で呟いたヒナタは再び熱い吐息をつき体内の熱を逃し、一息ついたところで視線を感じ、そちらに視線を向ければ全て知っているかのように妖艶に微笑む彼の姿。

 体内に篭る熱も自らの心の動きも、全てを見透かされたように感じたヒナタは、更に赤くなって俯いてしまう。

 そして、俯いて無防備に晒されているつむじに、彼の唇が押し当てられ、もうこれ以上は勘弁して欲しいと、真っ赤になりながらも恥かしさに震え、溢れるほどに注がれてしまう彼からの愛情に窒息しそうだと甘く吐息をついた。






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