17.無自覚な想いを抱える彼と片思い続行中の彼女





 うちは兄弟にからかわれた商店街を抜けて、自転車……しかも二人乗りという定義から考えてあり得ないスピードで、どんどん駆け抜けていくナルトの脚力に驚きつつも、さすがはサッカー部だなーと妙な感心をしているヒナタをよそに、ナルトはというと、先ほどの兄弟たちへ悪態をついていた。

(全く、あの兄弟は真面目な顔して悪戯してくるからタチ悪ィーんだよ!ヒナタにしっかり掴ってろとかいらねー……ことでもねェけど……くそっ!柔らけーじゃねーかよ!!)

 かああぁっと赤くなるのを止められず、背中に押し付けられる柔らかな肢体と、腰に回っている腕を意識するなという方が無理な話であり、逆風であるはずなのに時々届く彼女の香りが鼻孔をくすぐり、意識がふらりと違う方向へと走ってしまいそうで困ってしまう。

 間近にいる彼女を目の前に、邪な感情を抱くのは、何だか裏切っている気もしなくもない。

 いや、自らの邪な考えや想像で彼女を穢したくないというのが第一の理由であった。

 そう思っていても体はどんどん熱くなるし、腕を少し組み替えるだけの仕草だけで、心臓が大きく跳ね上がる。

(何かヤバイ……何がってわかんねーけど、ヤバイってばよ!!恨むってばよ、サスケ、イタチ兄ちゃんっ!!)

 うがーーーっと叫びたいのか泣きたいのかわからないが、原因となっている彼女を店のガラス越しにチラリと見やれば、自分の腰にしがみつきながらも、流れゆく景色を見ているようであった。

 第三者目線の光景をしっかりと見てしまったナルトは、思わずゴクリと息を呑む。

(ど、どう見ても……恋人同士の……下校風景……じゃねーかっ!)

 見なきゃ良かった……と心底後悔しても遅いのだ。

 完全に脳裏に焼き付いてしまったし、何気に楽しげに笑う彼女の笑顔が何とも言えず魅力的で……

 しかも、腰に回されたしなやかな白い腕は柔らかそうで、この前あまり意図せず掴んだ時の感触がよみがえり、また鼓動が乱れる。

 どんなに疾走してもあまり乱れることのない呼吸が、こんなことで乱れてしまう事実に、ナルトは頭を抱えたくなってしまった。

 その途端、がたんっと段差で大きく自転車が揺れ、ヒナタの小さな悲鳴が聞こえたかと思ったら、ぎゅっと背中にある柔らかさが思いのほか強く押し当てられてナルトも、あまりの衝撃に一瞬真っ白になり思ったままを呟く。

「や、柔らけェ……」

「え?……なに?ナルトくんっ」

 スピードが出ている分、風の音でどうもナルトの言った言葉が聞こえなかったようで、ヒナタにしては珍しく大きな声を出してナルトに問いかけた。

 声をかけられたことによって我に返ったナルトは、聞かれていなかったことに安堵し、内心焦りながらも慌てて言葉を紡ぐ。

「え、あ、いや、あー、だから!段差があって揺れるから、しっかり掴ってろってばよ!」

「は、はいっ」

 ぎゅぅっ

 更に抱きつき感じる彼女の香りと柔らかさに、ナルトは己の発言を呪いつつも呻く。

「うぐっ」

「あ、ご、ごめんなさいっ、力入れ過ぎちゃったよね……こ、これくらい……かな」

「お、おう……い、いや、気にしねーでくれ。さっきのままでも……」

「苦しくない?」

「あ、ああ、全然だってばよ!」

「で、でも……あの……こ、これくらい……で」

「そ、そか、お、落ちるんじゃねーぞ」

「うんっ」

 ほわんっと柔らかい笑みを浮かべて返事をしたヒナタの声を聴いて、思わずナルトもへへっと笑みを浮かべてしまう。

 先ほど一瞬だが強く感じた彼女の感触を思い出し、どうも口元がだらしなく緩んでしまうのを止めることも出来ず、今は控えめにだが感じる彼女の体温に意識は持って行かれ、注意は背中に向きっぱなしである。

(くはっ……ヒナタってば、すっげーいい匂いして、すっげー柔らけーんだよな……と、特にあの……胸が……凶悪だってばよ)

 サッカー部でも時折話が出るほど彼女の胸の大きさは学園内で有名で、正直、生徒の中で彼女に勝るものはいない。

 思春期の青少年たちには刺激が強いが、彼女だって望んでそういう体つきになったワケでもないだろう。

 控えめな性格に似つかわしくないその豊満な肢体は、邪な青少年たちの良い獲物であるに違いはなかった。

 今まではそんな話題が耳に入ろうと『ふーん』と流してしまっていただろうが、今後はどうなるか自分でも予測がつかない。

 いや、その話題を振った男やそれに同意した連中を睨み付けるか、それ以上のことをするような気がしてならないのだ。

 思っている以上に己がヒナタを気に入っているのだと思い知らされ、ナルトはぐぐっと呻く。

 確実にいままでとは違う。

 己の心の反応に戸惑うのだが、それで良いのだと納得している部分もあって、何故納得しているのかがわからなくなり、再び戸惑うという、不毛な連鎖を自らの中に作り上げていた。

(しかし、確かに目立つよな……ヒナタは)

 本人が目立たないように控えめにしていても、その学生に似つかわしくない……いや、見事に育ってしまった肢体が男の視線を釘付けにしてしまうのだ。

 そういうことに興味津々な時期、むしろ飢えた狼がたくさんいる中に放り込まれた美味しそうな獲物なのである。

 サクラやいののように男の下心に敏感であれば多少は違ったのかもしれないが、彼女はそういった感情に疎く、自らにそういう感情が向けられているのを察知する能力は極めて低い。

(そーいうのってなーんとなくわかっちまうんだよな……男ってさ)

 鈍いだからこそつけこまれる。

 無警戒な相手ほど、ひっかけるのは容易い。

(まー、オレがいる限り、んなことさせねーけど……そんなこと考えたことを後悔させるほど痛めつけてやったら、次からはやってこねーだろ)

 物騒なことを考えながら、先ほど商店街でサスケたちに出会う前に感じた気配を思い出す。

 確実に彼女を狙っていた。

(こりゃ、送り迎え決定だってばよ)

 自らの目が届かぬところで何をされるかわかったものではないと、ナルトは苛立つ心を鎮めるようにハンドルをきつく握りしめる。

 この優しくあたたかく柔らかな彼女が、他の男にいいようにされるという考えだけでも虫唾が走る。

 そんなことになったら、相手を病院送りだけで済ませる自信なんてなかった。

(カカシ先生、人選ミスだってばよ……オレ、マジでヤバイかもしんねーぞ)

 あの時の気配はないが、思いだした気配に向かって殺気を飛ばしそうな勢いで、ペダルを踏み込む足に力をこめる。

 更にスピードがあがり、さすがのヒナタも驚いたのか、必死にナルトにしがみついて、今度はぎゅうぅぅっと力をこめて離れようとしない。

 これはなんの拷問ですか?

 と、思わずナルトは赤くなりながら頬を引きつらせるという、器用なことをやってのけた。

 小さく震え必死にしがみついてくる、柔らかな彼女───

 心臓がうるさいくらい音を立てて、信じられないくらい体が熱くなるのを止める術もわからず、ナルトは歯を食いしばり目の前に見えた坂道を登っていく。

 ここが坂道で良かったと、脚力に自信があるナルトであっても、かなりキツイ傾斜ではあったが、彼女を後ろに乗せたまま登り切ってしまおうと、必死に力をこめる。

 今は違うことに意識を集中させたかった。

そうでなくては、彼女に意識がいってしまって仕方がなかったから……

(オレも同じでどーすんだってばよ!!煩悩退散、煩悩退散っ!!!)

 頭を勢いよく左右に振って自らの煩悩を振り払うナルトではあるが、彼の場合、その辺の青少年たちとは違うということに気が付かない。

 第一、ナルトの彼女への興味関心は体の一部というワケではないというのに、そのことにすら気づいてはいないのである。

 さすがにスピードが落ちてぎゅっと目を閉じていたヒナタは慌てて目を開き、坂道を汗だくになりながら必死に登っているナルトを見て、慌てて降りる為に手をほどこうとするのだが、鋭いナルトの声がそれを遮った。

「そのまま乗ってろ!」

「で、でもっ」

「これくらい登り切ってやるってばよ!筋力トレーニングだと思って協力してくれってばよ!!でねーと、いらねーこと考えてしょーがねーんだって!」

「い、いらない……こと?」

「企業秘密だってばよーーーーっ!うらああああああぁぁぁ、あと少しいぃぃぃっ!!」

 ゼーゼーと息を上げながらも坂道を登り切り、ナルトは肩で息をしつつ、今度は緩やかなくだりに身を任せる。

「どうだヒナタ!」

「す……すごいっ、私一人でもきつくて途中で降りちゃうのに……」

「へへっ!サッカー部期待の星の脚力なめんじゃねーぞ!」

「うん、さすがだね、ナルトくん」

 打てば響くように返事をしてくれるヒナタの言葉に笑みは深まり、しかもそれがすべて自らを称賛する言葉であればなおさら嬉しい。

 こうも自らを褒め称えてくれる人物がいただろうかと暫し考え、自らの両親以外はいなかったなと苦笑を浮かべる。

(そういえば、ヒナタってば……オレを落ちこぼれって見なかったばかりか、ちゃーんとオレ自身を見てくれてんだな……)

 成績だけで見れば、落ちこぼれも良いところであるのは自覚していた。

 それ故に、馬鹿にする人も多い中、彼女はその枠から外れている。

「何だか気づくの遅れちゃって……ナルトくんに負担ばかりかけてる気がするの……ごめんなさい」

 しゅんと落ち込んだ雰囲気のヒナタの言葉に自らの考えに没頭しそうになっていたナルトは意識を取戻し、背後の彼女をチラリと見やった。

 背中の制服のワイシャツをきゅっと指先でつかんで俯き加減で唇を噛んでいる、そんなヒナタの姿に胸が痛む。

 彼女が今回の件で何も思っていないワケではないということは、カカシたちとの話し合いの中で知ったはずであった。

 きっと彼女はこうして自らの負担になること自覚するたびに自らを責めるのかもしれないと思ったナルトは、思考を巡らせ背後に少しだけ体重をかけてヒナタの体に自らの体を近づける。

「ヒナタはそんな脚力なくても良いんだってばよ。オレが代わりにできるんだからさ」

「え……」

「オレにできねーことがヒナタにはたっくさん出来る。反対に、ヒナタにできねーことがオレにもたっくさん出来る!」

 火照った体に心地よい風が吹き抜けていく中、ナルトは目を細め、背後で自らの話の続きに耳を傾けてくれている彼女に向かって言葉を紡ぐ。

「1人だと出来ることはたかが知れてるけどさ、2人だったら倍以上出来ることが増える。それでいいんじゃねーかな。ぜーんぶ1人でやっちまおうなんて思わなくていいんだ。」

「でもっ……」

 何を思いつめているのか、そこまでは正確に把握は出来ていないだろう。

 全部わかってる、理解しているなんて自惚れない。

 だからこそ、こうして対話が必要なのだとナルトは考える。

 少しでも彼女が抱えているモノを、自らの言葉で軽くしたかったのだ。

「オレがいる、お前にできねーことはオレがやる。そんかわり、オレにできねーことは、お前がフォローしてくれ!オレとお前って、やれることとやれねーことバラバラだから、結構いいコンビだと思うんだってばよ」

「そ、そう……なのかな」

「おう!オレってば、お前のことスゲーって思ってる。お前もオレのことスゲーって思ってくれてる。だから安心して一緒にいられるんだってばよ。お前はオレを裏切らねーだろ?」

「う、うんっ!もちろんだよっ」

 間髪入れずにそう返答するヒナタの言葉に笑みを深め、ナルトは姿勢をもとに戻すと、ハンドルから右手を外して、後ろのヒナタの腕をぽんぽんと叩く。

「そうやって言ってくれるヒナタに、オレは救われる。言葉って大事だと思うぜ……だから、ヒナタもちゃんと思ったこと感じたことをオレに言ってくれ。オレもお前にちゃんと伝える」

「ナルトくん……」

「で、どんなに頑張ってもオレとヒナタにできねーことは、きっと他の誰かが手伝ってくれる。そういう仲間だろ、あいつらは」

「そうだね……」

「だから、今回のことで気に病むことはねーよ。お前が狙われて何かあったら、オレが平気じゃいられねェ……だからお前を守ることは義務とかじゃなく、オレのためでもあるんだ。だから、お前は黙って俺に守られてろってばよ!」

「守られてるだけじゃ嫌だよ……」

「ああ、だからヒナタはオレがお前をちゃーんと守れるように、サポートしてくれんだろ?勉強見てくれるし、弁当すっげー楽しみにしてるんだぜ」

 ニシシシッと笑うナルトの笑顔は見えなくても、彼の笑顔を思い浮かべられると、ヒナタは滲みそうになる涙を堪え、ナルトの背にこつんと額を預ける。

 その軽い衝撃に目を見張ったナルトは一瞬動きを止め、言葉も飲み込んでしまうが、ヒナタの腕を再び優しく撫でてからハンドルへと手を戻した。

「ほらヒナタ。もうちょいスピード上げるから、また掴ってくれってばよ……って、あー、いや、汗臭いかもだからベルトとかに指ひっかけるとか……でも……いいってば……よ?」

 流れる汗に気付き、あたふたとそう提案したナルトをきょとんと見つめたヒナタは、ためらいもなくナルトのウェストに腕をまわして抱きつく。

「汗臭くなんてないよ……ナルトくんの匂い好きだもの」

「そ、そ……そっか……サンキュ……」

 耳まで真っ赤に染めあげながら、ナルトは自らの腹部の前で交差された白い腕に手をやりポンポンと叩いたあと一度目を細めて笑う。

「オレもヒナタの匂い、すっげー好き。よし、行くってばよ!!」

 ぐんっとスピードを上げた自転車に揺られながら、ヒナタはナルトの背中に頬を寄せ目を閉じる。

 どくどくと自らの心臓が大きく音を立てていて、いつもなら倒れそうになるのに、今日は何故かそれが心地よく感じた。

(ありがとう……ナルトくん。こんなにも……アナタが好きです……もっと好きになってもいいですか?)

 切ない想いを抱えながら、ヒナタはナルトの広い背中に言いようのない安堵感を覚え、甘く吐息をほうっと吐きだす。

 傍から見れば完全に恋人同士の2人なのだが、心はまだまだすれ違ったまま、片や片思い続行中、片や無自覚で形容しがたい想いを抱え、日が沈みそうになている住宅街を疾走するのであった。



 



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