凛とした 3 「ごめん……苦しかったよな」 いつもよりくぐもった声は、胸元から感じられ、熱い息が篭る感触に思わず身を震わせた。 それを理解しているだろうに、ナルトは離れることはなく、ただヒナタを先ほどのような狂おしい力ではなく、どこまでも優しく求めるような力加減で抱きしめている。 「気に……しないで」 「ん……さんきゅ」 まだ鼻声なナルトがスリッとヒナタの腕の中で擦り寄り、ぬくもりに熱の篭った吐息を漏らした。 柔らかい感触と、あたたかいぬくもりに、離れがたく、今は彼女の好意に甘えて子供のように縋っていたい。 そう、子供の頃、母がいたら貰えたかもしれない、柔らかくあたたかく優しい慰め。 (オレ、本当にヒナタに甘えてるよな……) 今まではそんなことはなかったはずだと、ナルトはぼんやりと思う。 誰に対してもそうだが、ここまで手放しに甘えるなんてコトは無かった。 綱手やイルカやカカシとは全く違う、ヒナタに対してだけ覚える、どこか熱を孕んだ甘え。 同世代の女がするような慰め方ではないと理解しているのに、離れられない。 (だってさ……オレ、このぬくもりを離したくねェんだ……オレをバケモノじゃねェって、迷うことなく、いっぺんの曇りなく言えるコイツだから、オレは……求めるのかもしんねェ) 頭上に感じるヒナタの呼吸。 そして、少し早い鼓動。 篭る熱と、甘く馨しい香り。 (ヒナタは……女なんだよな。やっぱ、全然違う……) 母クシナに抱きしめられたときを思い出し、ナルトはそれと同じくらい安心してしまっている自分に気づき、口の端を少しだけ上げる。 母より少し豊満だけど……と、胸に埋められた顔を少しだけ動かしてみれば、ヒナタの体がぴくんっと揺れた。 恥ずかしいのだろうなと理解は出来るのだが、この状況は今度いつチャンスがあるかわかったものではない。 記憶しておきたい、忘れたくない、そんな想いを篭めて大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出す。 背中に回している手を解くにはかなりの時間がかかるだろう。 ソロリと指を這わせ、より一層ヒナタを感じようと貪欲に何かの位置を探る。 心臓の真後ろ。 ここを位置取られるのは、忍……いや、戦う者としては致命的である。 だが、ヒナタは何も言わず、ナルトに身を任せていた。 (……どこまで……オレを信用してんだよ) 命すら握られてもナルトを受け入れているヒナタに、ナルトは滲んだ涙をグッと堪えて力を入れる。 「ばっか……お前、どこまでオレを受け入れんだよ」 「ナルトくんになら、この命、差し出しても後悔しないよ」 「……似たような言葉、あの時にも聞いたな……」 「うん、あの時から何も変わってないよ」 「オレが人柱力だって知っても、九尾化しても……お前は、本当にブレずに変わらずに……オレを?」 「私は変わらないよ。ナルトくんがナルトくんである限り、絶対にアナタを想い続けてる。大好きだって……何度でも言えるよ」 何て強い心だろう。 何て強い気持ちだろう。 何て……揺るぎもしない愛情なのだろう。 そう思うと胸が詰まったナルトは、震える吐息をついて、目を閉じる。 「ナルトくんは、もし私がナルトくんのような状況になってしまったとしたら……嫌いになる?傍にも寄りたくない?」 「んなわけねーだろっ!」 そんな馬鹿なことがあるはずがないという思いのままに勢い良く顔を上げれば、優しい瞳とかち合う。 近くで見える柔らかい光を宿す瞳に、心そのものが射抜かれたように動けず、言いたかった言葉すら失った。 ナルトがそんな状況だとは思いもしないのだろう、ヒナタは耳に心地よい声で囁くように言葉を紡ぐ。 「うん、同じ」 「……ひな……」 「同じだよ」 微笑むその顔を見上げ、ナルトは目を見開きヒナタを見つめる。 まるで導かれるかのように…… いや、もう無理なのだと、ダメなのだと言っても止められないのだと認識してしまったがためなのか、ナルトは一度目を閉じた。 「どんなに否定しても、どんなに止めようとしても……止められない思いってあるんだな」 「……そうだね。だから、苦しいけど……愛しいんだと思う」 ヒナタにしてみれば、己の思いに対しての言葉だったのだと思ったのだろうが、実のところは違い、ナルトの己の心の内へ対する言葉であった。 「知らなかった……こんな想い、今まで知らなかった……こんなに、求めるのを止めようとしてるのに、何で……止まんねーんだろ」 その言葉と同時に少し足に力を入れ、上半身を伸び上げると、ナルトはヒナタの無防備な桃色の唇に己の唇を触れ合わせる。 微かに触れる柔らかい感触。 そして、驚いたようなヒナタの瞳。 それを見つめながら、もう一度── 何度も啄ばむような口付けを繰り返した後、ナルトは熱い吐息を吐き出し、名残惜しげに離れる。 頭を抱えられていた腕がなくなり、寂しい気持ちを感じながらも、今度は自分の番だと言いたげに、ナルトはヒナタを己の腕の中へと閉じ込めた。 「すまねェ……」 「あ、謝らないで……」 縋るように背に回された腕を感じながら、ナルトは熱っぽくヒナタの耳元へ唇を寄せて囁く。 「キスしたことを謝ってんじゃねーよ。順序がバラバラですまねェって意味だ……我慢出来なかった」 ぴくりと反応する体を愛しく感じながらも、ナルトは耳朶に口付け、言葉を紡ぐ。 先ほどまでの孤独の寒さは微塵も無く、今は狂おしいばかりの熱が支配する。 「ヒナタ……オレさ、やっぱ……お前が好きだ。第四次忍界大戦で、自分の力や立場を考えれば、普通の幸せなんて無理だって諦めたんだ。やっと……お前が好きなんだって気づいたのに、なのに……オレ……人じゃねーみてェだって……そう思っちまったら、言えなかった。返事をすることも出来なかった」 「ナルトくん……」 「だけど、オレなんか忘れて幸せになれって……言いたくなかった。手放したくなかった……ずっとずっと閉じ込めてしまいたかった。オレの我が儘でお前を縛り付けてしまいたかったんだ」 普段と変わらず接してくれるヒナタにどれだけ救われただろう、そして、どれだけ恋焦がれ、手を伸ばしかけたのだろうと、ナルトは目を閉じ思い出す。 手を伸ばしてはいけない。 そう自分に厳しく戒めても、無意識に求め、無意識に傍に居ようとする。 何気なく任務のすれ違いざまに声をかけていたり、少しだけ触れ合う瞬間が嬉しかったり、彼女の微笑みが何よりも幸せを運んできてくれた。 その声で、そのぬくもりで、その笑顔で……満足できるハズだったのだ。 「あの女どもに『バケモノそのもの』って言われてさ、ああ、やっぱそう見えるんだって……そう……思ったら……オレは……」 胸に去来する痛みに喘ぎ、苦しくて仕方が無いようにナルトは目を閉じる。 言葉にならない灼熱の塊が、喉に蓋をしたように言葉が出てこず、ナルトは大きく喘いだ。 「ナルトくんは、バケモノなんかじゃない」 「オレといることで、ヒナタも奇異な目で見られる」 「慣れてる。白眼を持って生まれてきた瞬間から、そうなる運命だもの」 「もっと酷いことを言われるかもしんねェ」 「ナルトくんが独りで傷ついて悲しむよりいい」 「……ヒナタ」 言った事に対し、それこそ歯切れの良い返事を返してくれるヒナタの、いつもとは違う様子に、ナルトは呆気にとられながらも、その言葉がじわりじわりと内へと染み込み、滲み出るような喜びを心へ伝えてくる。 否定したことばを出して、肯定して欲しいのか……と、自分がどこまでもヒナタに甘えているのだと、大の男が情けないと胸中で呟きながらも腕の力は篭るばかり。 言葉で否定して、体で求める。 離したくは無いのだと、腕は彼女を閉じ込め続ける、そのアンバランスさをヒナタも感じていた。 (本当は……こうして、手放しで甘えてみたかったんだよね……ナルトくん) 求める力加減に、甘い吐息をつきながら、ヒナタは口を開く。 彼が求め、そして自分も求めている言葉を音にするために…… 「独りで……別々に苦しむんじゃなく、一緒にいて互いの支えになりたい……そう、思うの」 息を呑む音が聞こえ、ヒナタはナルトの顔を見上げれば、その目に切なげに歪むナルトの必死な表情が飛び込んできた。 己の内にある不安を掻き消すために、自らを傷つける言葉を選び話しているのだろうかと、不安になり背に回している腕の力を強くする。 もっと隙間を埋めたくて、ぴったりと寄り添って、ナルトの内に秘められている不安や孤独を埋めたいと願いながら篭められた腕の力。 するとナルトの腕にも力が篭り、互いの隙間をまた少し埋めた。 しなやかな筋肉に覆われた硬い体と、ふわりとした感触を覚える柔肌に包まれた肢体。 視線を絡み合わせたまま、互いの瞳の奥にある本心を見逃さないようにするかのように、瞬きの間すら惜しく、互いを見つめ続けた。 「オレが……本当にバケモノになったら、お前はどーすんだよ」 苦しい吐息と共に吐き出された言葉は、痛みを伴い、血を吐くような言葉となってヒナタに伝える。 だが、そんな痛みを伴う言葉にすら、ヒナタは微笑んで応えた。 「それでも一緒にいる」 何も迷いなど一片も感じさせない言葉に、ナルトは目を見開き弱々しく首を左右に振る。 ソレはダメだと。 どんなことがあっても生きて欲しい人が、己の手にかかる最初の犠牲者になるなど耐えられないと心が悲鳴を上げた。 「……何バカなこと言って!」 「そうなったら、一緒に死んであげる。ナルトくんがナルトくんじゃなくなって、バケモノというものになってしまったら……その時でも一緒だよ」 「何で……どうしてっ」 「だって、ナルトくんは絶対にそんなものにはならないって信じているもの。人が言うバケモノってなんだろう……私が思うソレは、人を人と思わず平気に傷つけて殺せる人のことだと思う。外見や力のことじゃないの、誰もが持っている残酷な心、それを制御できない者のことを、私はそういうんだと思う」 「……誰もが……持っている」 「うん、私にだってある」 「ねーよ、お前がそんなこと……あるワケねーだろ?」 「あるよ……あるんだよ?私だって、大事な人が傷つけられれば怒ります」 迷うことなく告げられる、どこか力の篭った言葉に、ナルトは不思議そうな視線を向け、それから想像がつかなかったのか苦笑を浮かべた。 「やっぱ、ヒナタにはねーよ。お前は誰より優しいし、誰より慈悲深い奴だから」 「そんなこと……ないよ?」 自分が一番良く知っていると、ヒナタは苦笑を浮かべた。 ナルトを傷つけたくノ一たちを叩きのめしたところである。 アレで自制無く力のままに痛めつけ、立てなくなるほど叩きのめしたのなら、自分の心はソレに近くなるだろうと思った。 誰もが自分のその心と戦っている。 だからこそ、ナルトの心がそうにはならないだろうと思えるのだ。 彼の心は、誰よりも痛みに敏感で優しいから── 「ナルトくん、私は……アナタが大好き。変わらず……ずっと、これからもそうだよ」 迷うことなく告げられた彼女の心に、ナルトは胸がいっぱいになり、唇が戦慄く。 心が奮え、痛みも不安も全て吹き飛ばし、愛しさでいっぱいに溢れかえる。 本当に求めていいのかと、確認するように言葉を選ぶ。 それに対する彼女の言葉を聞きたいがために、今まで聞けなかったことを言葉にした。 「オレものになったら、きっと……普通の幸せを与えてやれねェ……それでも、お前はオレを選ぶのか?」 「……普通ってなんだろう」 「え?」 「私の幸せは、ナルトくんと一緒にいて、一緒に笑って、一緒に悩んで、一緒に泣いて、一緒にこうして抱きしめあえることだよ」 「望んで……いいのか?お前を……心から望んでしまっていいのかってばよ」 「うん、私も望んでる。ナルトくんのものになりたい……アナタが望むなら、私の全てをナルトくんに捧げるよ。命すら惜しくない」 「命なんていらねェ……ずっと……ずっとオレの傍にいてくれ。オレと一緒にこうして……お前がいい、ヒナタじゃなきゃダメなんだ……好きだヒナタ。好きなんだ……オレは誰が何と言おうと、お前を……離したくねェんだ」 「離さないで……私も、離れたくない……」 再び重なる影は、今度は中々離れることが無く、ただ隙間を埋めるように重なり続ける。 冷たい夜を感じさせないような熱い空気を纏いながら、二人はお互いの熱を感じ、漸く重なり合った心に喜び、月の下で微笑みあうのであった。 |