01.特等席




 昼下がりの木ノ葉の里に、いつも通りラーメン一楽で腹ごしらえを済ませた大戦の英雄たる、うずまきナルトの姿があった。

 段々復興しつつある里の様子を眺めながら、漸く手に入れた休日を満喫すべく、彼は思案しつつも里をゆっくりと歩く。

 幼少の頃からは考えられないくらい、里の人たちが温かい言葉をくれる。

 正直最初はどうしていいか判らなかったが、今ではそんな彼らも受け入れている自分に驚きつつも、己の根底にあるくすぶった感情は、言いようのない汚泥となりこびりつく。

 人の心は移り変わるもの、だけど、その移り変わりがきっと良い方へ向くことを祈りつつ、ナルトは何となく一人になりたくなって森の中へと足を進めた。

 小鳥の囀りが聞こえてくる、そんな森の中、一番大きな木の枝に寝そべりながら、昼寝を決め込むとゆっくりとまぶたを閉じてみる。

 静かな森の中、何か違う音が聞こえたと思ってうっすらと目を開くと、軽やかな声が下の方から聞こえてきたのだ。

「ほら、そんなに慌てなくても、みんなのぶんあるよ」

 耳に入ってきた軽やかなその音は、よく知っている声だった。

 トクリと1つ心臓が音を立て弾かれたようにその声の主を上から探してみると、意外とすんなり見つかった。

 少し離れた茂みの切れ間、切り株の上に腰をかけて手に持った小鳥の餌の袋から少量手のひらに取って、辺りにパラパラと蒔き小鳥に餌をあげている彼女、日向ヒナタの姿が見える。

 ナルトは己が見たこともないような、柔らかな笑みを浮かべて、優しげな声で小鳥や動物に語りかける彼女を見て何とも言えない気分になり、知らず知らずにため息が出てしまうのは致し方が無いことであろう。

(オレにはあんな笑顔、見せてくれたことねーくせに)

 願っても叶わないと知っているからこそ恨み言のように内心呟きつつも、惹きつけられたように目が離せない。

 淡く優しげに微笑む彼女を始めて見たのだ、何か引き寄せられるような感覚を覚え、正直戸惑った。

 木漏れ日の中、彼女の一族でも見たことがない紫がかった髪、薄い色素の薄紫の瞳。その瞳は角度を変えれば、不可思議な色に輝き、先ほどから軽やかに笑い声を上げる唇は桃色で、その瑞々しさすら伺わせる。

 少し丸みのある白い陶磁器のような顔に、大きな目を綺麗に縁取る睫は角度を変える度に、細かく震えた。

 誰もいない中、彼女はとても自然体で、とても伸びやかで、そして美しかった。

(ヒナタって……綺麗だよな)

 野暮ったい服ではなく、今日は日向一族の纏う着物を着ていて、その胸元から柔らかな曲線を描いて、同期では大きすぎるふくらみを惜しげもなく披露していた。

 柔らかそうな彼女の肢体を、何気なく見つめていたが、どこか神聖で犯しがたいものを感じつつも、己の手で触れればどうなるのかと、邪な考えが一瞬浮かび、思わず首を振って思考を霧散させる。

(ヤベー……なんつーこと考えてるんだってばよ)

 誰もいない場所でなら、彼女はこんなにも伸びやかで美しいのに、誰かがいると途端に萎縮してしまう。

 最初は何故だか判らなかったが、今では判る。

 彼女の幼少の頃の冷遇が原因なのだと、ネジにそれとなく聞いたことがあったからだ。

 ネジ自身もそうであったが、ネジの父親が死ぬ原因となり、名取りとしては才能がない彼女に対して、大人は勝手に期待して勝手に絶望したのだという。

 それを全て、あの細い肩に乗せられ、それでもその期待に応えようと、彼女は必死に努力した。

 彼女の強さの源であり、彼女の引っ込み思案でマイナス思考の元凶。

(いい家に生まれても、オレと同じような苦しみを知ってる……まだ続いてんだよな、ヒナタは)

 名取りという呪縛から解き放たれない彼女に、心ない言葉を言う者も少なくはない。

 何より、歳の近いネジの才能があるが故に、彼女自身は一族の分家からの風当たりは強いようであった。

 名取りになれないのなら、どこかへ嫁にやって白眼の血継限界を後生残す。

 レールが敷かれた運命を、彼女は進しかないのだと、ネジは語っていた。

(だけど、それってヒナタの幸せとは違うよな)

 思い出したのはペインとの戦いで、単身飛び出してきた彼女。

 己を大好きだと言った彼女の言葉は、胸にじんわりと乾いた大地に水が染みこむように、心に響いた。

 そして、その大地に確かに何かが芽吹いたのだ。

 それが何かは、まだ判らないのだが……。

 ナルトがそんな思考の渦に巻き込まれている間に、餌をやり終わったのか、ヒナタが柔らかそうな桃色の唇から旋律を紡ぎ出す。

 ほどよい高さの音程が耳に入り、それが子守歌のように聞こえたナルトは、ゆっくりと瞼を閉じる。

(すっげェ……気持ちいい……)

 どことなく満ち足りた気分で、その子守歌を聴きながら、ナルトは渦巻いていた思考を放棄して眠りに誘われ全身の力を抜いたのであった。

 どれほど経ったか定かではないが、次に目を覚ました時、辺りは既に暗くなっていて目をぱちくりさせてから夕日が地平線に沈んでいく様子を見つつ、体をグッと伸ばす。

 意外と固まっていた筋肉や筋は、それで解れてくれた。

 結構ぐっすりと眠っていたらしく、少し肌寒くすら感じる外気に体を震わせると視線だけ巡らせる。

(やっぱ、帰っちまったか)

 眠る前にヒナタがいただろう場所に視線を向けて、彼女がいないという事実に思いの外落胆し、ため息をついた。

 少し話しをしようかと思っていたのに、疲れていた体は睡魔をはね除けることもできず、熟睡してしまったのだ。

 この場所なら、何にも囚われない彼女の声や言葉を聞けそうな気がして、ナルトは意識を手放す前の彼女を思い出す。

 柔らかな笑みを、もう一度見たいと思う。

 あの子守歌を、もう一度歌って欲しいと思う。

 しかし、普通に話しかけて、どれも得られる気はしない。

 ならば、ここにくれば得られるのではないかと考えつき、暇な時は来てみようとナルトは1つ頷き口元を綻ばせた。

「へへ……特等席だってばよ」

 木の枝をぽんぽん叩いてから立ち上がり、ナルトは夜の闇へ塗り替えられていく木ノ葉の里へと一歩踏み出したのであった。







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