<真波山岳 / 長編>
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「オイ、名前。おまえ、ホントに来ねぇーの?」
今日の放課後練習は、軽いミーティングのみで終了だった。
職員会議の為という事で、自転車部だけでなく全ての部活動が早めに切り上げられた。会議が今日だったのはたまたまだろうけど、部活をやっている箱学生たちはなんとなく浮き足立ってみんな嬉しそうだった。
なぜなら、花の高校生からしてみれば今日はただの平日ではないから・・・
そう、−−−今日は、12月24日。
クリスマスイヴだった。
ミーティングも連絡事項程度の簡単なもので終わり、私はカバンを肩に掛け部室を出ようという所だった。
どうやら今日くらいは自主練もやめにして、カラオケで騒ごうか、という事になったらしい黒田がそんな私に声をかけた。
「お前も来いよ、カラオケ。オレと、塔一郎と拓斗の3人だぜ?知らねーヤツとか居ねぇからさ」
「名前さん、たまには良いじゃないか。息抜きも必要だよ」
「いいね、名前ちゃんってクリスマスって感じがするし!」
黒田、泉田、葦木場の同級生3人が誘ってくれるのは嬉しいんだけど・・・(葦木場の言ってる「クリスマスって感じ」の意味はイマイチわかんないけど)、本日、日直だった私はやる事が残っていて教室に戻らなくてはならなかった。
「ごめん、ミーティング出る為に日直の仕事を途中にして来てるんだ。だからこれから教室戻って、日誌とか書かなきゃいけなくってさ。誘ってくれて、ありがとね」
「なんだよ名前、つれねぇな〜。途中からでも良いから来いよ!どーせ予定も無いだろ?ぼっちのクリスマスイブなんて、独り身女には寂しいだろうと思ってせっかく誘ってやったのによ」
「はぁ?黒田、あんた人のこと言えんの?!」
「ンだと?!」
「ちょっとユキ、名前さん!・・・まったく、キミたちと来たらすぐに喧嘩になるんだから・・・!」
「え?名前ちゃんとクリスマスイブ過ごしたいって、一番思ってるの塔ちゃんかと・・・オレ、てっきり思ってた!」
「アブ?!な、なんだい拓斗?!脈絡も無く!!」
「ギャハハ、拓斗ナイス!さすが天然!!」
なんだかんだで仲の良いらしい、私と同学年の3人。真面目な泉田と、天然の葦木場と、ツッコミ役の黒田・・・性格はそれぞれに違えど、なかなか良いコンビネーションのようだった。それはもちろん、レースの中でも。
いつまでも漫才のような話をしている3人に、私は怒る気も失せて、じゃあねと笑って手を振り部室を後にした。
教室のある校舎へ戻るため、私は一旦外へ出た。
周りには、クリスマスイブを友人や彼氏彼女と過ごそうという箱学生たちが嬉々とした様子で校門の方へと歩いている。
そんな中わたしはいそいそと、玄関のある方向へ足早に向かった。うう、コート羽織ってても今日は寒いくらいだなぁ。
すると・・・ 校門へ向かう生徒達の中にひとり、明らかに薄着すぎる人物の姿が。
上は長袖とはいえタイトなスポーツウエアだし、下に至ってはハーフパンツである。
ギョッとして私が目を見開くと、ロードバイクを押しながら歩くソイツもこちらに気付いてへらりと笑った。
「名前せんぱーい」
ひらひらと手を振って、人懐こい笑顔で近づいて来たのは・・・そう、真波山岳だった。
箱根学園、と大きく書かれた長袖のサイクルジャージを着た姿は、なんだか出会った頃よりも逞しく見える気がした。
「・・・あんた、今日のミーティングさぼったでしょ」
「あはは。だってさ、今日って空気が澄んでてすっごく気持ち良いじゃない?こんな日は山、登っとかないと!」
そう言った山岳の瞳が、12月の透き通る青空を映した。太陽の光を受けてキラリと輝くその目は、もう不安や後悔で陰る事は無くなっていた。
−−−山岳は、ひとつの大きな暗闇から脱した。
そのきっかけは、おそらく・・・3年生の引退レースである、"追い出し親睦ファンライド"。
あのレースから戻った後、山岳は憑き物がとれたかのように表情が軽くなっていった。
前みたいによく笑うようになったし、何より・・・ロードに乗るとき、本当に楽しそうだった。
今日みたいに、ミーティングや平坦練習をサボって山に行っちゃう悪癖も再発したけれど、私はそれでもホッと胸を撫で下ろしている。
・・・良かった、本当に。
山岳がまたこんなふうに、ロードを楽しめる日が戻ってきて。
きっと、追い出しファンライドで東堂さんと何か話しをしたんじゃないかと思う。
けど私はレース中の会話まではわからないし、もしかしたら直接的な話じゃなくて走っている中で吹っ切れた事なのかもしれない。
でもとにかく、ファンライドのスタートとゴールで山岳の様子がまるで違うのは明らかだった。
あの日から、彼はみるみる内に自分らしさを取り戻してまた自由に自転車に乗れるようになった。
「名前先輩、冬の山も良いもんだよ。夏とはまた違った風で、気持ちよくって・・・はじめは寒かったんだけど、今はもうあつくてあつくて!ボトルも空になっちゃってさ、補給しに一旦戻ったんです。でも、今日はまだまだ登れそうなカンジ!!」
そう言って、満開の笑顔を咲かせた彼が眩しくて・・・私は思わず、目を細める。
−−−私と彼の関係は、相変わらず。
ただの、先輩と後輩に戻ったままだった。
・・・正直、寂しくないって言ったら嘘になる。
だけど、彼がまたこんなふうにロードを楽しめるようになった事が、私は心の底から嬉しい。
「まったく・・・。楽しいのは良いけど、陽が落ちるのも早いから気を付けて乗ってね。それから身体も冷えやすい季節だから、ちゃんと汗拭いて着替えるんだよ。今日はもう他の部員は帰っちゃうみたいだから、部室の戸締りしっかりしてね」
「あっはは。なんか名前さん、マネージャーっていうよりお母さんみたいだ」
山岳は無意識かもしれないけど、 名前"さん"と久しぶりに呼ばれて思わず胸がつまった。
・・・なに、今更ドキドキしてるのよ、私のバカ。たまたま、言い間違っただけに決まってるじゃん。
私は彼に別れを告げて、再び玄関へ向かって歩き出そうと思った、その時。
山岳が「あの、」と・・・どこか真面目な声色で私を呼び止めた。
「名前さん・・・あ、先輩。・・・その、」
山岳はゆっくりと私の名前を呼んで・・・そして、先輩、と一度言い改めてから何か言いたげに瞳を揺らした。
「どうしたの山岳。なにかあった?」
「・・・その・・・。・・・いえ、やっぱりいいや。さむいのに、引き止めてゴメン。また明日、部活でね!」
そう言うと山岳はすこしだけ眉を寄せた表情で手を振って、部室のある方へロードを押して行った。
・・・何だろう?
なにか話したい事でもあったんだろうか。
−−−けれど私はもう、こういう事にいちいち、彼がまだ私を好きなんじゃないかとか、そんな自分勝手な期待をするのはとっくに卒業していた。
それは彼にとっても迷惑だとわかっているからだ。
教室へもどると、そこにはもう残っているクラスメイトは誰もいなくて、シンと静まり返っていた。
・・・当たり前か、ホームルームが終わってからけっこう経つしね。今日はクリスマスイブだし、みんなすぐに遊びに出かけたのかも。
私は窓側の自分の席へ向かい、コートを脱いで椅子にかける。
日直の仕事はいろいろあるのだけど、今日やらなきゃいけない作業で残るのは学級日誌だけだった。
私は椅子に座り、机に向かう。
今日の一限目の内容は何だったかな、なんて考えながら筆箱からシャープペンを取り出すのだった。
*
−−−机に向かっていたのは、十数分だっただろうか。
授業の内容や、日直のコメント欄を書き終えた私は、ふう、とひと息ついて窓の外を見る。
夕暮れの気配がもうすでにあって、透き通るようなブルーにほんのりと橙色が霞みはじめていた。誰もいないグラウンドに、ゆっくりと夕日の影が落ちる。
陽が暮れるのが、この頃ほんとうに早くなったなあ。
束の間、そんな事をぼうっと考えていると・・・窓の外に、ふわり、と真っ白な羽根のようなものが舞いはじめた。
羽根・・・?
じゃない。・・・これって、
「わ、雪だ・・・!」
私は年甲斐もなく嬉しくなって、思わずひとりで声をあげて椅子から立ち上がる。そっか、どうりで今日は寒いはずだ!
山地である箱根は、雪が降る事はそう珍しくないらしい。
だけど元々この辺りの出身でない私にとっては、心踊ってしまうサプライズだった。しかもクリスマスイブに降るなんて、なんとも素敵だ。
両手で窓ガラスに触れると、ひんやりとした冷たさを感じた。・・・ふわふわと舞い降りる雪はまるで、天使の羽根みたいだった。
羽根、−−−そういえば・・・山岳、いまも外を走ってるはずだよね。
わーっ、まさか雪になっちゃうなんて。大丈夫かな?積もったり路面が滑ったりする前に、ちゃんと帰って来ると良いけど。
・・・って、やっぱりまた山岳のこと考えてる・・・。
期待するのはやめようとか、部活に集中しようとか、いくら気持ちを抑えてもこうしてふとした時に彼を想ってしまうのだった。
はぁ、と私はため息をついて窓ガラスに触れたままの指を握りしめる。すると、すこしだけ曇っていたガラスにその指の跡だけが透明な軌跡となって残った。
私は人差し指で、まだ曇っている部分のガラスをキュッと撫でてみる。
小さい頃はこうして、窓ガラスに絵とか描いたっけなぁ。
・・・子どもの頃は、クリスマスが楽しみでたまらなかった。
サンタさんが持ってきてくれたプレゼントをお兄ちゃんと見せ合いっこしたり、みんなでケーキを食べたり。
あの頃読んだ絵本には、『クリスマスイブには願いごとがなんでも叶う』なんて書いてあったっけ。
高校生になった今、サンタさんにプレゼントをもらえるわけじゃないし、特別な事といえば寮にツリーが飾られるくらい。だから、イブっていってもただの平日だ、なんていう大人の気持ちもすこしだけわかるようになってきてしまった。
でも、昔のあたたかな記憶のせいか・・・特になにがあるわけでなくても、クリスマスはどこかわくわくする特別な日だ。
今日は、クリスマスイブ。
願いごとが叶う、特別な日。
だけど、私の本当の気持ちを『願いごと』にしてしまうのは、決して許されない事だ。だってそれは、彼の迷惑になる事だから。
だけど・・・今日くらいは、心を素直にする事くらいは、許してあげてもいいのかな。
こんなふうに雪を見て山岳を想う事を、「マネージャーとして」なんていちいち言い訳するのも、今日だけはやめても良いだろうか。
クリスマスイブにまでロードざんまいな彼を見て、まだ新しい彼女はできてないのかな?なんてすこし安心したのも、今日だけは認めてしまっても良いだろうか。
私は窓に触れた人差し指で、「まなみ さんがく」と描いてみた。
それだけで、ぎゅう、と胸がつまる。・・・名前を文字にしたくらいでこんな気持ちになるんだから、ほんとは何も言い訳できない。
私は空を見上げて、自分を抑えつけて来たものを吐き出すみたいに、ゆっくりと深呼吸をした。
−−−山岳が、好き。
あなたも今どこかで、この美しい雪を見ているといいなと思う。
わぁ綺麗!なんて、うれしくなって笑顔でロードに乗ってたら、いいなあ。
そして本当は・・・そんなとき、私のことを思い出してくれてたら、いいのにな。
すこしでいい。
山とか、ロードとか、風とか、坂道くんとか・・・あなたの心がいつも、あなたの大好きなことで溢れて、いつだって幸せであってほしい。
これから先も、ずうっと笑顔で自転車に乗っていてほしい。
その心の中に、私のことを・・・ほんのすこしで、いいから。
・・・それが、私の本心だった。
"忘れなきゃいけない"
"勘違いしちゃいけない"
・・・今はそう、いつも思ってる。
そしてそれは、明日からも続く。
だからこれは、願いごとなんかじゃない。クリスマスだからって、天使さまに叶えられてしまっては困る。
クリスマスイブに、こんなにも美しい雪を見ながら彼の事を祈れる。大切な彼が、笑顔でロードに乗ってる。今の私には、それだけで充分だった。
「ありがとうございます」・・・
私はクリスチャンではないけど、空から舞う天使の羽根に心の中でお礼の祈りをした。
だって・・・今日は、特別な日だから。