- ナノ -

カウンターの向こう

<今泉俊輔/ 読み切り>※大学生設定
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チリリン。
自動ドアが開き、鈴が鳴る。それはお客様が来た合図で、私がアルバイトしている大手コーヒーチェーン店は、全国どこへ行っても同じ仕様だ。

「いらっしゃいませ」

その音が鳴れば、必ずそう言わなくてはならない。マニュアル通り。
だけど私は毎日、朝のこの時間帯だけは、マニュアル以上の満面の笑みでカウンターの向こう側を見つめる。

「アイスティー、ひとつもらえるか」

今日もやっぱりこの時間に来てくれた、こちらのお客様。

「かしこまりました。ストレート、ですよね。本日もテイクアウトでよろしいですか?」
「...ああ。そうだ」

毎日の事だからもう、こちらのお客様の好みまで覚えてしまった。
その人は、今年の春からこのお店に来るようになった。多分、近くの大学に通う大学生じゃないかな...同い年くらいの。私服で来る事もあれば、スポーティーなジャージ姿で来る事もある。お店の前に停めている自転車はかなり本格的で、見るからにお高そう。

このお客様とはじめて会ったときの事は、今でも覚えてる。
入店してすぐ席に着こうとした彼に、こちらで先にご注文いただけますか、と声をかけたのが私だった。お客様は私の言った言葉の意味をしばらく考えてから、すこし恥ずかしそうに紅茶を注文してた。
あの時は、年頃の男の子だからコーヒーショップデビューだったのかな?位に思っていたけど、もしかしたらセルフサービスになんか縁の無いおぼっちゃんなのかもしれない。カバンやお財布なんかを見ると、普通の大学生が持つようなものでは無い気がする。艶やかな黒髪からはいい匂いがしそうだし、涼しげな目元から育ちの良さが滲み出てる。

...私は密かに、このお客様に想いを寄せているのです。
同世代の男子でこんなに落ち着いた人って、私の周りにはなかなかいない。体育会系とは真逆のイメージだけど、でも身体つきといい、なにかスポーツをやってる気配がある。なんのスポーツなのかな。そのときも、いつもみたく冷静なのかしら。
お客様と、世間話はダメ。
...でも。話、してみたい。

「お、お客様」
アイスティーのカップを手渡してから、勇気を出して声をかける。氷みたいに冷たい視線が、真っ直ぐに振り降りてくる。
「いつも、紅茶ですけど...コーヒーは、苦手ですか。当店にはおすすめのコーヒーもあるので、もし良かったらと思いまして」
「.........。苦手ってワケじゃ無い。ただ、朝は紅茶なんだ。昔から」
「そうですか。では、もしよかったら限定フレーバーの紅茶も試してみてください」
「.....ソレ、会計後に言うのか?」
「あっ....し、しつれいしましたっ」


あわてて頭を下げると、お客様は小さく声をあげて笑った。笑った顔は意外と幼くて...か、かわいい。やばいかも、何このギャップ。

アイスティーを片手に店を出るお客様の背中に、ありがとうございましたと言うと、ひらりと片手だけ挙げてくれた。クールな人なんだなぁ....。
...でも、しゃべってしまった。しかも、けっこー長めに。
ただの店員とお客様という立場上、多分これ以上の進展は無い。だけどそれでも全然いいよ、毎日の流れ作業みたいなバイトの中の、ときめきエッセンスだよ彼は。

っていうか、昔から朝は紅茶って...絶対おぼっちゃまじゃん。









その日は一日通しのバイトで、シフトが終わって帰る頃にはもう夕方だった。
はー、今日も忙しかったなー...。
けど今日は、イイコトもあったし。あのお客様と、初めてオーダー以外のお話をしてしまった。ふふ〜。


「.....オイ、そこの.....店員!」


ニヤけ顔でお店の裏口から出ると、どこからか機嫌の悪そうな声がする。そこの、店員?誰の事だろう。ついさっきまで店員さんをしていた仕事柄、つい条件反射で返事をしてしまう。
キョロキョロと辺りを見渡すと...隣の公園の前にいる男の子が、眉をしかめてこちらを見ている。なんと、"アイスティーの彼"ではないか!

「えっ...お、お客様?!どうしてこんなところに...っていうかもしかして今、私の事呼びました?!」
「ああ。待ってたからな」

−−−え。待ってた?私を?!

どうしよう、クレームだろうか?!まさか店員という立場を乗り越えて、あんなふうに馴れ馴れしく話しかけたから?!
青ざめる私に歩み寄った彼が、真っ直ぐに向き合う。私たちの間に今、いつものカウンターは無い。


「....今朝、話しかけてくれただろう。ああやって話すの、初めてだったから...その、嬉しかった。お前の事、気になってたから」
「..............へっ?!」
「なんだよ、やっぱり気付いてなかったのか?こんだけ毎日通ってんのに」
「だ、だってそれは.....朝は紅茶派だからですよね」
「ああ。昔からそうだったから...大学に上がって初めて一人暮らしたけど、やっぱり紅茶飲まねぇと目が覚めなくてな。でも毎日通ってたのはそれだけじゃなくて...お前の顔見ないと、調子出ねぇんだよ」


すこし恥ずかしそうに頬を染めながら、でも真っ直ぐに私を見て彼は言う。
...クールな人だと思ってたのに...こんなふうに感情を言葉にするような、熱い部分を持った人だったなんて。



「....え、えっと....その。嬉しいです....私も、お客様のことが」
「今泉俊輔」
「.........へっ?」
「ぷっ......アハハ。マヌケな顔....店じゃ見たこと無い.........お前、そんな顔もするんだな。今泉俊輔、オレの名前。お客様じゃなくて、名前で呼んでくれ」

いまいずみ、しゅんすけさん。小さくそう呟くと、彼は上品な口元をすこし嬉しそうに緩ませた。


「......明日はお前のオススメってやつ、飲んでみるかな」



じゃなあ、また明日。
そう言うと彼は、見慣れたあのかっこいい自転車で夕暮れの中へと消えていく。

チリリン。
風に乗って、お店の正面口の方から鈴の音が小さく響く。
何かがはじまる予感がした。
明日の朝あの自動ドアから入ってくる彼はもう、ただのお客様では無いのだ。







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