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- ナノ -


  月の放物線 2





その日の夜遅く、野球部の寮に電話をかけた。
かけて良いものかと悩んでいたら、時間はどんどん遅くなって・・・だけど、どうしても寿くんと話したかった。一目見れたらとグラウンドにまで行ったくせに、次は声がききたくなってしまった。
用事も無いのに?話すだけなら明日だって良いのに?今すぐ声が聞きたかった。その言い訳に、『幼馴染だから』『側にいなくちゃいけないから』・・・そんなふうに自分に言って聞かせる限界はもう、とうに過ぎている。

キミから掛けてくるなんて珍しいね。しかもこんな夜遅くにどうしたの?寿くんの言葉に、なんてことない声を装って話した。そうかな?あら、もうこんな時間だったんだね、−−−嘘つきがどんどん上手になる。その嘘を隠すためにまた新しい嘘が必要になると、わかっているのに。
寿くんを騙して側にいること。
あまつさえ恋に落ちてしまったこと。
クラスメイトの男の子を利用しようとしたこと。
疲れているはずの寿くんに、こんな夜更けの電話に付き合わせてること。
罪がどこまでも増えていく。


−−−だというのに、寿くんは朝が明けてすぐに会いに来てくれた。
私の自宅の前に、息を切らして彼は現れた。
辺りはまだ薄暗く、私たち以外は眠りの中にいるような静けさの中。部所有の自転車で駆けて来たらしい寿くんの乱れた息遣いが、朝靄に溶けた。
姿を見たら、泣けてしまった。
ごめんなさい。
苦しくて、胸が痛んで、涙がぽろぽろと流れた。寿くんが慌てて、ただ顔が見たくなって来たのだと言った。トレーニングも兼ねてね、なんて・・・嘘だ。昨日の電話の様子が気になって来てくれたんでしょう。もしかしたら夜も悩ませてしまったかもしれない。滅多にない寿くんの嘘は、いつも優しい。

なんにも言えずにいたら、抱きしめてくれた。そしてまるで小さい子にでも言うように優しい声で、なにかあったの、ってきいてくれた。
なんでもない。ただ、気付いただけ。私がかっこいいって思う男の子は、この世界に寿くんだけだってこと。
私が思わずそう言うと、寿くんの肩が揺れた。


「なまえちゃん・・・それって、どういう・・・いや、聞かないでおくよ。今は、まだ」


でも、と、寿くんは言葉を続けた。


「僕が可愛いと思う女の子も、この世界できみだけだよ」


寿くんの周りに、もっと可愛い子は沢山いるじゃない....。ひねくれた私がそう返すと、そういう事じゃないんだよ、と言って彼はうれしそうに笑った。


その日から。
ただの幼馴染じゃないということ、そして互いにそう想い合っている事に、ふたりは、気付いた。









しかし、寿くんが時々いじわるをするようになったのも又、その日からであった。
このごろの彼は私を揶揄った後、幸せそうに目を細める。だから私は、もう、と溜息をつきながらもゆるしてしまうのだった。
電話で試合中の寿くんがかっこよかったと言った事を、次に会ったときに直接言ってほしいと言ってきたのも、その内のひとつであった。

あれから数日、私は校内で寿くんに会ったらどうしよう?面と向かってなんて絶対言いたくない、ってハラハラ過ごしていたけど、意識すると意外と会えないものだった。私はホッとしたような、すこし寂しいような、そんな気分だった。


それから何日か経ち、私はそんな事もすっかり忘れかけていた。
それよりも、寿くんの祖父母に「今日は寿也が久しぶりに実家に帰って来るから、なまえちゃんも夕飯を一緒に食べないか」って誘ってもらえて、楽しみで胸がいっぱいだった。家族団欒に割り込むのは悪いと思い、一度は断った。でも、なまえちゃんもいた方が寿也も自分達も嬉しいから、って、私にとっても大好きな二人に言われては首を縦に振る他は無かった。

寿くんが帰って来たのは、その日の夕方近くなってからだった。今日からしばらくは休暇があり、実家で過ごせるのだという。
玄関の方で音がしてすぐ、三人で寿くんを迎えた。おかえりなさい、寿くん。ただいま、なまえちゃん。なんだか私まで家族の一員になったみたいで、照れくさかった。

「なまえちゃん、ちょっといいかい?」

玄関でのお出迎えが済み、皆で居間へ向かおうと廊下を歩き始めた時。寿くんが私だけを呼び止めたので、振り返った。おじいちゃんとおばあちゃんは、先に中に入ってるね、と私達を廊下に残して居間へと進んだ。

「寿くん、どうしたの?」

向き合うと、若竹色の瞳が真っ直ぐに私を見下ろした。
寿くん、すこし背が伸びた?身体もおおきくなったかな。出会った頃は、私の方が大きかったのに・・・。
ああ、かっこいいな。本当に困ってしまう。見つめられただけで、こんなにどきどきしてしまうなんて・・・。


「なまえちゃん。この前の僕の試合、どうだった?」


−−−言われて少しして、なんのことを指しているのか分かった。....寿くん、覚えていたんだ....ああ、もう....。


「・・・ホントに、言わなきゃだめ?」
「うん。約束したじゃない」
してない。約束は、してない。
「・・・なんでそんなに、直接聞きたいの?」
「え?なんかなまえちゃんが可愛い顔して言ってる気がしたから、見たいなって」
「し、してないよ」
「じゃあどんな顔?」
「・・・ふつうの、真顔」
「ふふ、ほんとかな?じゃあ、言ってみてよ」
「えぇー・・・」




、、、寿くん、かっこよかったよ。


ぽつりと言うと、寿くんは自分で言わせたくせに一瞬固まって、そして見る見るうちに顔を赤く染めた。

「なまえちゃん。その顔、ゼッタイ他の人に見せないで」

ひとことそう言って、ひとりですたすたと廊下を進んでいった。どういう意味だろうと思い自分の頬に触れると、熱でもあるみたいにあつい。ああ、これでは寿くんの事言えないじゃないか。


その後も寿くんは試合後に毎回「どうだった?」と聞き、私が例の言葉を言う、というのが恒例になってしまった。
それはプロになってからも続き、会えないときは電話で伝えた。
はじめは揶揄い半分だったけど、その言葉がききたくてがんばれたのだと、随分後になってから寿くんは教えてくれた。
寿くんがうれしそうなのが、うれしかった。ぜんぶ、いけない事だと分かっていた。だけどもう、止められなかった。




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