影山 飛雄
- ナノ -


もう大丈夫 3






「ゲッ・・・う、牛島?!」

私は気が遠くなって、夢でも見ているのかしら?
目の前には間違い無く、牛島若利が・・・バレー部のジャージ姿で、そこに立っている。

「苗字が嫌がっているだろう。離せ」

そう言った彼は一見、無表情にも見えるが・・・怒っている。それも、相当に。その場にいる誰もが感じ取れる程、言葉にはできない迫力があった。
気圧された男はすぐさま手を離し、私はようやく片腕が解放された。安心した瞬間に、ずっと抑え込んでいた嫌悪感が一気に雪崩れ込むような感覚がして足元がフラついてしまう。そんな私の身体を、牛島がその逞ましい片腕ですかさず支えてくれた。
そして男達の難癖の矛先が、今度は牛島に向いた。


「何なんだよテメェ、いきなり出てきて王子様気取りかよ?」
「コイツ、前からムカつくと思ってたんだよなぁ。エースだか全日本だか知らねぇけど、完全に調子乗ってんじゃん。・・・ついでだしボコっちまうか」
「・・・そんな事をしてみろ。お前達はそれなりの処分を受ける事になるぞ。どう考えても一方的な暴力行為だ」

感情的な男二人に対し、牛島の冷静な調子はかえって火に油を注いだようだった。今にも殴りかかってきそうな様子で彼らは言葉を続けた。

「一方的な暴力だって証拠がどこにあんだよ?当然、コッチもやられたって主張するんだぜ?!そしたら先に手ぇ出したのがドッチだって、暴力事件扱いだよな。そうなりゃ部活動停止とか、対外試合禁止とか・・・体育会系的には大ダメージだよなぁ。俺はサッカー部に腹いせできて丁度良いけど、お前はヤベーな、白鳥沢のエースが暴力事件なんて、超スキャンダル!!」

ぐ、と隣にいる牛島が言葉を飲み込むのがわかった。
・・・どこまでも卑劣な男たちね。それにこれは多分、部活に精を出す牛島への個人的な嫉妬の感情もあるのだろう。

私の背中は、牛島の腕によってしっかりと支えられていた。・・・男に触れられているはずなのに、不思議と先程のような息苦しさは無かった。どうしてなのか、むしろ深くしっかりと呼吸ができ、勇気さえ湧いて来る気がした。
もう、大丈夫。
私は一度大きく息を吐いて、そして真っ直ぐに男達を見据えた。


「・・・証拠なら、あるわよ。ここの部屋、監視カメラがついているから」
「・・・ま、マジかよ・・・?!」
「貴方達が私の後輩をいびってる所から、私を連れ出そうとした所、牛島を脅迫した所、全部しっかりと映ってるわよ。それに加えて、生徒会長である私と、我が校の顔である牛島若利が証人だとしたら・・・分が悪いのはどちらかしら?」
「クッソ、この女・・・牛島来た途端、調子に乗りやがって!!」
「それでも殴りたいのならどうぞ、そうしたら良いわ。けれど残念よね・・・中の上の大学どころか、白鳥沢に居られるのかしら?せっかく、三年まで頑張ったというのに、可哀想」


私の言葉を聞くと、男二人は真っ青な顔をして後ずさりをした。そして逃げ出す直前に、鞄からシワになったプリントを私に押し付けて来た・・・それは、スポーツ大会のプリントで。ちゃんと必要事項も記入されていた。やれやれ、これ一枚提出すれば済む事だったのに。



「・・・しかし、驚いた。この場所に、監視カメラが付いていたのか」

男達が居なくなって、部屋には私と牛島の二人が残った。きょとんとした表情でそんな事を言う牛島は、先程男達に凄んでいた人間と同一人物とは思えなかった。

「ふふ。嘘に決まっているでしょ」
「・・・そうだったのか。何だ、信じたぞ。あの状況であんな言葉が出るとは・・・大した奴だな、お前は」
「それは、こっちの台詞だわ。まさかここに、あなたが現れるなんて」
「ああ・・・ランニングをしていたのだが、他の奴らより早く着いたから校舎の周りを多目に走っていたんだ。屋内練習場の横を通った時、以前生徒会室に居たお前の後輩を見かけて・・・」

牛島の話は、こうだった。
私の後輩が男達に絡まれているのではと思って窓の外から見ていたら、私が現れた。
私が男と接する事を、始めはすぐに助けに行こうかと思った。でも、もしかしたら弱点克服の為に挑戦しているのではと思い、少し様子を見る事にした。
しかし腕を掴まれた辺りから明らかに様子かおかしいと思って、練習場の玄関に回って、助けに来てくれた・・・。

「・・・そうだったのね。それは・・・どうもありがとう。あなたと普通に話せるようになったから、もう大丈夫なのかと思ったのよ。だから彼らとも、話してみようって思って・・・それなのに、情けないったら」
「情けない事は無い。お前は、後輩の為に勇気を出したのだろう?お前が慕われている理由がわかったぞ。だが・・・全く。相手を選べ、相手を」

そう言って牛島は、まるで小さい子にでもするように、心配そうな笑顔で私の頭をふわりと撫でた。
息が、苦しくなった。−−−でもそれは、さっきの男達に触れたれた時のような、嫌な息苦しさでは無かった。

「あなたに毎日協力してもらってるのに。・・・これ以上もう、どうしたら良いの?やっぱり私には無理なのかしら・・・。これからもまた男と話す度にあんな風に気持ち悪くなるだなんて、考えただけで恐ろしくて、私、」
「・・・その度に俺が、守ってやる」

そう言って牛島は私の頭に乗せていた手を、そのまま自身の胸の中へと引き寄せて、−−−そして私の身体は彼の両腕に包まれ、抱き締められる形になった。

「だから、大丈夫だ。今日のように俺が、いつだってお前を守る。どんな時でも。・・・お前がどこに居ても、必ず」

ぎゅう、と強く抱き締められると、今まで感じた事の無い安心感で、私の胸はいっぱいになった。
私とて背は小さい方では無いのに、彼の身体にすっぽりと包まれてしまっている。
頬をうずめた牛島の胸は、思っていたよりもずっと大きくて、硬くて、そして温かかった。
こんな風に抱きしめられるのは初めてなのに、ずっと前からこうしてもらうのを望んでいたかのように心が震えた。

先程までの不安も、情けなさも、恐ろしさも・・・牛島の腕の中までは、まるで入って来られないみたい。その言葉通り、この大きな身体の中で守られていると感じた。

こんな男が、世の中にはいるのね・・・。
こんな幸福が、この世界にはあるのね?
私は無意識のうちに、自分の両腕も彼の背中へ回そうとして・・・
−−−そしてその手を止め、はた、と気がつく。

でも・・・彼に、守ってもらうだなんて。・・・はたしてそれで、良いのだろうか。・・・いや、そんな事はあって良いはずは無い。
私は今だって既に、彼の負担になっている。
牛島若利という男は素直で、真っ直ぐで、紳士だ。誠実な性格であるがために、乗りかかった船のような心理で"私を守る"という新たな契約まで結ぼうとしてしまっている。せっかくひとつの契約から、解放されようとしているのに・・・。

現に今だって、部活の途中に抜け出して来たじゃないの。もう、これ以上彼に負担は・・・かけられない。
それに、自分のためにも。私は強くなりたくて始めの契約をあなたと結んだのに、こんな風に腕の中にいたのでは・・・弱くなるばかりに、決まっているもの。




「・・・守って頂かなくて、結構よ。貴方との約束は、もう終わりにしなくてはね」

牛島の背中に回しかけていた両手を私は二人の身体の間に滑り込ませ、そして彼の胸をグイと押し返した。・・・うまく力が入らないのは、どうしてなの?


「今日、わかったのだけれど・・・貴方と過ごしていても、男性恐怖症の克服にはならないみたいね。協力して頂いたのに、申し訳無いのだけれど・・・貴方といくら話せるようになった所で、他の男と対峙した時にこんな調子なのではいくら貴方と居たって時間の無駄という事だわ」
「・・・苗字、約束したからではない。俺が、お前と一緒に居たかっただけだ。俺が守りたいんだ。・・・俺は、お前の事が」
「さぁ、早く部活に戻りなさい。貴方は"我が校にとって"、大切な人なのよ。応援してるわ・・・"生徒会長として "、ね」


彼の目を見たら、泣いてしまうと思った。
優しい言葉に甘えて、あのまま腕の中にいられたらどんなに良かっただろう。
私は、まるで初めて会った時みたいに彼の目も見ず、彼の言葉を遮るかのようにひどく薄っぺらな言葉をただただ並べた。


「勿論、この場所の使用権利は男子バレー部に移しておくわ。来週にでも使えるようにしておくから、どうぞ活用して頂戴ね」
「・・・苗字、」
「何?」
「・・・お前と過ごす意味が、あの約束の為だけでは無くなっていたのは・・・俺だけなのか」


・・・この関係は友情でも、ましてや恋愛でもなく、ただの契約だ。そしてこの約束は、本当ならもうとっくに終えなくてはならないのだ。・・・優しいあなたに、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。

それ以外に何の理由があるの?私が答えると、牛島は「・・・そうだな」とだけぽつりと呟いた。そしてそれ以上何も言わなかった。
・・・なぜだか私は、妙にさみしくて。
追って来てほしかったとでもいうの?だとしたら私は強くなるどころか、どこまで弱くなってしまったのだろう。


そうして私たちの約束は、春という季節と共に静かに終わりを迎えた。
練習場の窓の外はまだまだ明るく−−−その陽の高さが、新たな季節の訪れを告げているのだった。











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