コート上の王様 3
名前さんと会うのは、彼女が中学を卒業してから初めてだった。
つまり高校の制服を着てる所を見るのも、初めてだ。
烏野高校に進学した事は知ってた。
そこでマネージャーするのが夢だって、よく言ってたし。
けど、高校の制服着た名前さん…か、かわいすぎだろ。
久しぶりに会えたっていう嬉しさも手伝ってなのか、心臓が信じられない位大きく脈を打った。
「名前さん・・・!ち、ちわっス」
「影山くん、久しぶり・・・わ、やっぱり背が伸びたねぇ!近くで見ると、よくわかるね。・・・どんどん、大きくなるのね」
背を比べようと無邪気に顔を近づけてくる名前さん。
俺はというと、突然の幸せを噛み砕けずにいた。
ここ数ヶ月、会う事すらできなかった片思いの先輩にやっと会えた事。
今まで女子の制服にどうこう思った事なんてないのに、名前さんはすげー可愛くてめちゃめちゃ似合ってるって思う事。
背が伸びたと褒められた事。
今けっこー顔が近い事。
どれかひとつでも、かなりヤバい。
それが一気に降り掛かって、俺はソートーにヤバかった。
「っ・・・あ、あの、名前さん・・・か、かおちかいっス」
「あ、ごめんっ・・・はしゃいじゃって、」
ハッとして俺との距離を空けた。あのままでも困るが、離れてしまったらしまったで名残惜しい。
名前さんはその後も、背は何センチになったのかだの、担任は誰になったのかだのと弾んだ声で聞いてくれた。
その姿はすごく嬉しそうに見えて、俺に会うのが楽しみだったのかなと思うのは思い上がりではないと感じた。
「って事は、影山くんも体育の先生あの先生?」
「ーーーあの・・・・今日って、なんか用だったんですか?」
いつまでもこのまま、楽しく話していたい気もしたけど。
でもきっと、何か大切な用事だったんじゃないか?そう思って俺は遠慮しつつも、言葉を切り込む。
「・・・そ、そうだね」
キラキラしていた瞳が、一瞬にして曇る。
そうだね、という呟きはまるで自分自身に言い聞かせているみたいだった。
−−−言いにくい話、なんだろうか。
「座って、話そっか」と名前さんは言い、俺たち二人は小さな公園に申し訳程度に1つだけ置いてあるベンチに腰を掛ける。
「えーっと。最近、部活はどう?」
「まぁ、調子は良い感じっスね」
「うんと、じゃあ、チームの雰囲気はどう?」
「チームの雰囲気、っスか・・・?」
ーーーなんとなく、要件が掴めたような気がした。
名前さん、ウチのチームについて、心配しているんじゃないか。
・・・・それは、コーチや監督、チームメイト、OBの先輩方・・・俺が周囲から散々言われてきた事だった。
いつも責められるのは、俺で。
俺だって・・・いや俺は誰より、チームの勝利のためにやっているはずなのに。
そうだ、名前さんならもしかしたら−−−いや、きっと、それをわかってくれるんじゃないか。
そうだ、そうに違いない。
だって名前さんは、俺にとって特別な人だから。
特別に仲の良い先輩で、・・・特別に大好きな人。
この恋心が一方的な片思いなのは自分でもわかっているけど、でも名前さんも俺の事を特別に親しい後輩って・・・思ってくれているんじゃないか。
そんなふうに思うのは、都合が良すぎるだろうか。
「雰囲気、は悪くないと思います。士気が高まってる感じっス。でも・・・あいつら手を抜いてるっていうか」
誰に言っても、お前が悪いの一点張りだった。でもきっと、名前さんなら理解してくれる。
・・・味方がほしいとか、そんなんじゃねえ。
頑張ってますアピールとか、そんなんでもねえ。
ただ俺は無性に、彼女にきいてほしい気持ちになった。
この頃の俺は相手チームだけじゃなく、自分のチームメイトとすら戦っているような気持ちになっていた。
無意識に縋るような気持ちに背中を押された俺は、名前さんに打ち明け始める。
「俺は、全力でやってます。試合に勝つ事が、チームの為っスから。そのためにアイツらも、三年間やってきたと思うし・・・。けど、アイツらが・・・あんなんじゃ、この先勝ち進めねェよ。全力でやったって勝てるかわかんねぇのに、手ェ抜いてて勝てるかよ」
「・・・影山くん」
「アイツらだって、良いモノ持ってんのに・・・それを100パーセント引き出す事が、セッターとしてチームにできる事って思ってるし、すこしも手なんか抜いてねぇ。なのにアイツらのモチベーションが上がんねぇのは、俺のせいって監督もコーチも」
一度抜いた栓からとめどなく水が流れるように、俺の口からは溜まりに溜まった鬱憤が溢れ出た。
この人ならわかってくれるという安心感のようなものに包まれて。
名前さんが何か言いたげに瞳を揺らしてるのにも気付かず、一方的にまくし立てる。
「及川さんみたいになりたいって思ってました。今の俺の方が勝ってるトコもあるはずなのに・・・なんでだよ。オレが、全部やれたらいいのにな。レシーブもトスもアタックも」
「・・・か、影山くん・・・」
きっと、『そうだよね、わかるよ』と微笑んでくれる。
そう信じて疑わない俺は、自分の言葉をようやく止めて名前さんが口を開くのを待った。
「・・・今、変わらなきゃいけないのは・・・周りの皆じゃなくて、影山くんなんじゃないかな」
−−−俺は、自分の耳を疑った。
まさかこの人から、俺を否定するような言葉が出るなんて・・・
「影山くんが頑張っているのはわかるよ。勝つ為に誰より努力してるって、私なりに知ってるつもり。実はね、この間・・・北一の試合、観にいったの。影山くん、すっごく上手になってて、びっくりした!・・・でも、まわりの皆が着いて行ってない感じが、私にもした。それは技術的な事じゃなくて・・・気持ちっていうか。影山くんが、ひとりで先を走っている感じがしたの」
信じてたのに。
アンタだけは、って。
・・・・けど、やっぱりそんなのは俺の一方的な勘違いだったんだな。
俺は勝手に裏切られたようやショックと、試合を観てそんなふうに思われていたのかという恥ずかしさとで、目の前が真っ暗になる。もう名前さんの言葉は、ほとんど入ってこなかった。
「なんていうか…偉そうな事は言えないけど、影山くんは上手だし、努力家だし、それでまわりとも一緒に頑張れるようになったら、もっと…。それにね、何より影山くんには、楽しくきらきらバレーをしててほしくて、」
「・・・何が、ワカんだよ」
何かが切れる音がした。
もう、止まらなかった。
「え・・・?」
「アンタみたいな試合にも出れねぇヤツに、何がわかんだよ!」
ーーー叫んだ瞬間、ハッとした。
彼女に対して絶対に言ってはいけない事を言ったと、すぐに気が付いた。
焦って、名前さんを見る。
頼む。いつもみたく『ひどい、影山くんって、ハッキリ言うよねー』なんて、笑って言ってくれ。
冗談みたいに、してくれ。
そんな俺の願いは、届く事が無かった。
名前さんは瞳をまんまるにして俺を見たあと俯いて、「そうだよね」と消え入りそうな声でポツリと呟いた。
「ち・・・違うんです、名前さん、」
昔、名前さんが言っていた。
バレーが大好きだって。
だから、自分は運動が苦手だけどマネージャーになれて良かったって。
烏野高校へ行ってバレー部のマネージャーをするのが夢だって。
それまで俺は、マネージャーなんてやりたがる奴の気持ちはわからなかった。
でも名前さんに出会って、マネージャーってすげえって思った。
そして、選手という形じゃなくても人を夢中にさせるバレーも凄いと思った。
その気持ちは嘘じゃない。
そんな俺が、そんな彼女に、絶対に言ってはいけない言葉だった。
でも、もう、何の言い訳もできなかった。
俺は唇を噛み締めて、ただ、俯く。
名前さんが力なく立ち上がった。
「・・・余計な事して、ごめんなさい」
立ち去る彼女の背中すら、こわくて見る勇気は無かった。
知っていた。
俺に、変わらなきゃいけないと言ったときの名前さんの手が、震えてた事。
きっと、勇気を出して言ってくれた。
でも俺は・・・俺の事をわかってほしいって、認めてほしいって、自分の事ばっかりだった。
どれだけ後悔しても、彼女が戻ってくる事は無かった。
バレーが好きで。
名前さんが好きで。
それだけなのにどうして、俺は何もかもうまくいかない。
全てのものが、手のひらからこぼれ落ちて行くだけだった。
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