*第八章 晴れた空と裏腹に
湯あがり、まだ少し濡れた髪のままで翼宿は回廊を歩いていた。
だらだらして少し入浴が遅くなってしまったせいで、先の方に見えた他の仲間の部屋に明かりはない。とっくにみんな眠ってしまったようだ。
「あ。翼宿」
明るい声に振り向くと、同じように半乾きの髪を夜風に揺らしながら雪がやって来る。
また無意識に歩幅を縮め、隣に並んだ彼女との調子を合わせた。
「なんや、お前もやったんけ?こんな時間に」
「うん、色々やってたら遅くなっちゃった。今日は星が綺麗だったね、見た?あんなの久しぶり」
なんて、しばし他愛もない会話をする。元気は元気そうだ。
――しかし、なんだ。……どうして女子というのはこう、甘い匂いがするのだろうか。
いつもならそんなに気にならないはずなのに、今日はやけに鼻に残るから面倒臭い。お陰で世間話さえもいまいち頭に入っていない気がした。
「んぁー……あかん」
「なにが?」
「……あ。こっちの話や」
いい匂いがするなんて、そんな変態じみた事を言えるはずもなく。若干怪訝そうに翼宿を見上げた雪だったが、あるとき唐突にぴたりと足を止めた。
そこは七星士や雪の部屋が並ぶ廊下のど真ん中で、今しがた通り過ぎた部屋を振り返っている。
その視線の先にあるのは井宿の部屋だ。
「おい。どないしてん、雪」
「なんか変な音がしたんだけど……暴れるみたいな」
「なに?」
風邪で寝込んでいるはずの人間の部屋から妙な音が聞こえるなど、いい予感はしない。倒れた?それとももっと別の何か?
理解するよりも早く行動を起こした翼宿だったが、扉の前まできたところで思い直し、時間を考慮した抑え気味な声をかける。
「おい、井宿ー。おるか?」
いないわけがないのだが、何故か返事はなかった。少しだけ悩んだ後、翼宿はおもむろに扉を開ける。雪と同じように、彼もまた井宿の状況が気になったのだ。もし何もなければそれでよい。
「お……、」
翼宿は呻くように言って、息を詰まらせた。
「翼宿、どうし……」
「お前は来んなっ!」
放った怒鳴り声の鋭さに雪がびくりと震えたが、この際そんなことはどうでもよかった。ただ、翼宿は今目の前にある光景にひどく腹を立てている。
「翼宿……っ!」
寝台から僅かに背を浮かせて激しく咳き込んだ井宿と、それにのし掛かるようにした体勢のまま不愉快そうに目を細めた女。薄暗がりから三つの目が同時に、翼宿を見ている。
――こんな時間、この部屋に、雪以外の女がいるなんて。