*第一章 栄陽の街で
背中越しにふと感じたのは、よく知っている、だけど久しぶりの柔らかな気配だった。
「あら、随分久しぶりじゃないの」
聞き覚えのある女口調に振り返る。そこには、相変わらずの垂れ目でにやりと笑う仲間の姿があった。
「……二年ぶりくらいになるのだ?」
笠を脱いで懐かしさに目を細め、柳宿も同じような表情を浮かべてから「そうね」とひとつ頷く。
「なに、また流浪の旅人やってたの?」
「そ。栄陽は久しぶりなのだ」
賑やかな城下町、雑踏。「栄陽」の名に負けず、人も気候も暖かくて、栄えた街である。このところ田舎を放浪してばかりだったので、少々人酔い気味だ。
だがあの忌まわしい戦があった時、先陣に立ってこの地を護れた事だけは、誇ってもいいだろうか。ぼんやり、唐突にだがそんな事を思ったりする。
「ねえ!此処じゃ何だから、お茶でも一杯付き合わない? あたし暇なのよ。あんたもそうでしょ?」
最後に見た時よりも少しだけ伸びた髪をひらりと柔らかく揺らして、返事も待たずに近場の茶店へと誘導する。まるで昨日別れたばかりの人間同士のように、距離感は何も変わっちゃいない。
断る理由もないので素直に誘いに乗ると、柳宿は興味深げにこう切り出した。
「何でまた今頃、栄陽に? あれからずーっと離れてたって、風の噂に聞いてたけど」
うーん、と唸る井宿は何か誤魔化すように顎を掻きながら、やや肩をすくめてしまった。
「何となくなのだ」
「へえ、あんたがすることには大抵理由があると思ってたけど」
「……そうでもないのだ。直感だけで動き回る事もしょっちゅう……あ、どうもなのだ」
運ばれてきた茶は、湯気をあげて美味しそうな香りを鼻まで運んだ。味は少しだけ甘い。
「でもいいわねえ!流浪の旅人!あたしなんか、実家に戻って兄貴の世話焼いてばっかりよ。黙ってると息が詰まりそう」
「君の実家といえば……。ああ、呉服問屋だったっけ?暇だとか言いながら、実は抜け出してきたんじゃないのだー?」
彼の実家は結構な大店で、裕福な家庭であると聞く。兄を尻に敷いて、元気に店を仕切る姿が目に浮かぶようだった。
――そんな事をぼんやり考えていると、柳宿がはっとしたように声をあげた。
「……ねぇ井宿。あたし、店の外に見たことある奴がいるような気がするんだけど。井宿はどう思う?」
「だ? ……あー、本当なのだ」
あの特徴的な橙色の頭と、派手な出で立ち。間違いない。
顔を見合わせることもなく、二人は同時にまったく同じ名前を口にした。
「翼宿」
「あぁ? ……うおっ、お前らか!何しとんねん、こんな所で!」
こちらも相変わらずの陽気さで、当たり前のように井宿の隣にある空席へどっかりと座った。暑苦しいが、不快ではないのが不思議である。
「井宿ほどじゃないけど、あんたも久し振りじゃない。元気そうね」
「おう!今、たまたま山降りとってん。せやけど、まさか井宿がおるとは思わんかったわ」
「オイラもまさか、久々の栄陽で君に会うとは思わなかったのだ」
「相変わらず冷たいのぉ、お前は!ほんまは俺に会えて心底嬉しいんやろ?ほれ、もっと喜べや!」
三人とも、すっかり顔がほころんでいる。
しばらく何だかんだ会話に花を咲かせて茶店を出た時、ふと井宿は足を止めた。