ちっぽけな手のひらを、そっと包んでくれたから

彼女が着ていたあの服の飾りの色は、なんだっただろうか。

彼女が好んで読んでいた小さな書物の名前は、なんだっただろうか。

声は、香りは、笑うときの癖は。

忘れたことなんかないのに、思い描く彼女の姿は日に日に不鮮明になっていくような気がして、もしかしたら向こうもそうなんじゃなかろうかとか、背筋がうすら寒くなる事がある。

それもこれも秋の空模様のせいだと井宿は思った。寒くなり始めると、何故だか人肌恋しくなる。

――井宿は今現在、久方ぶりの旅の途中だった。雪が元の世界へ帰ってしまってから、それなりの時間が経つ。宮殿を出たのは井宿が一番最初で、見送る翼宿からは「傷心旅行か?」なんて言われたりもした。曖昧に笑った井宿に、彼は何か言いたげにしながらも、元気でな、とか、寂しくなったら山に会いに来たらええ、とか……確かそんな事を続けて言っただろうか。

田舎の川べり、透き通った水の流れに乗って、色づいた紅葉の葉が流れてくる。

そういえば去年の今ごろ、宮殿の庭で、栞に使う紅葉を一緒に拾ったっけ。来年も同じことをしようと約束した雪の姿を鮮明に思い出したら、なんだか寂しくなってしまった。

不鮮明になっていたのは記憶の劣化ではなくて、精神的な防衛本能だったのかもしれないと思った。

「元気にしているだろうか。近頃、めっきり寒くなってきたから」

思わず拾い上げた紅葉から、冷たい滴がしたたる。

「君の世界でも、もう紅葉が色づいてるのだ……?」

誰も答えない問いかけをやめた井宿は、濡れた葉を指先で拭い、そっと懐に仕舞い込んだ。


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