*第十五章 道を間違えたなら
一人になって最初に感じたのは、湿っぽい熱だった。冷えた頬を伝うそれに指先で触れて、静まり返った部屋の中で乾いた笑い声を洩らす。
「何を泣いてるんだか」
本当に傷ついて泣きたいのは、あの娘の方だろう。そう思いながらも、もうどうにも出来そうにない。井宿はまたしても、大切なものから手を離してしまったわけだ。
背負わせるには、やはりこの罪は少し重すぎた。あの小さな背中を潰してしまう前に開放してやりたいと思ったし、恋人という立場である彼女の身に何か事が起きるのを恐れている。
――今起きている厄介事の黒幕は飛皋なのだ。そして原因は、間違いなくあの事件にある。
今迄見たこともないくらい悲しそうに表情を歪めて、部屋を飛び出していった雪の事を思い出す。したばかりの約束を守れず、最後の最後にまたしても酷く傷つけた。
『君は、早く元の世界へ戻った方がいい』。井宿は最後、追い打ちをかけるように雪に言った。あれほど怒らせたのにまたしても、だ。
何度揺らいでも井宿を信じ続け、言い合いをした事は忘れたかのように傍で支えてくれたのに。最低だ。でももしそれで愛想を尽かしてくれるなら少しは気が楽である。
「……こんなにも好きなのに、他に方法が思いつかないなんて」
痛む身体を軋ませて、ぎゅっと丸める。
人生で二度もこんな目に遭うとは、さすがに思わなかった。
「だが……俺一人でいいはずだ」
届くかどうかも分からぬ気持ちを言葉にして、井宿はゆっくり隻眼を伏せた。
思考停止させていただけで眠っていたわけではないが、しばらくして井宿は軫宿の声に目を開ける。入室してきた時の表情は深刻そうで、井宿もつい眉をひそめてしまう。
「少し話がある。身体の調子はどうだ」
「よくはない……が、何かあったのだ?」
「雪の熱がぶり返した。今朝は調子が良かったから、俺も少し油断していてな」
「そんなに、良くないのだ?」
井宿には心当たりがあり過ぎる。いくら彼女が見かけによらず強い心を持っていても、万全でないところに精神面での大きな負担をかけてしまったのは明らかなのだ。
「部屋で倒れていたのを柳宿が見つけた。泣いてうなされていたから、どうにか薬を流し込んだところだ。それで今は落ち着いてるようだが」
「そう……なのだ」
無意識に浮かせかけた腰を戻し、深くため息をついた。もう彼女のそばへ駆けつける権利はないのだ、と言い聞かせて。
「軫宿」
「ん」
「できるだけ、傍に……居てやって欲しい。オイラに出来る事は、もう何もないのだ」
軫宿が、それでなくとも仲間の誰かが傍にいてくれれば、何かあっても雪は安心できるだろう。そういう意図だ。
彼女を護る仲間は他に六人もいるのだから、この際自分は近くにいない方が安全だとまでも思っている。
「…………。分かった」
若干の間を置いて、何か言葉を飲み込んでいる軫宿には気付かないふりをした。