ようこそ、紅南国へ

「お、も、い……!」

苦悶の表情で見下ろした台車には、てんこ盛りになった本の数々。その大多数は分厚い埃をかぶって、もはやなんの本だか分からないようなものだ。

「くしゃみ出そうっ……」

マスクを持ってこいなんて言うからおかしいとは思っていたけど……と思いつつ、鼻先を摘まんでぼやく。

今は、知人に頼まれた「わりのいいアルバイト」の最中である。というのも、図書館の蔵書整理を手伝うものだった。

本格的な作業は雪の手出し出来るものではないので、やっているのは整理される運命にある本たちを台車に乗せて行ったり来たり、なんていう肉体労働なのだが。

「これで最後、時給九百円ー、終わったらお礼の焼き肉バイキングが待ってる……YO」

ぶつぶつと呪文かエセラップのように呟いて、倉庫の電気をつける。

台車からコンテナの中に、その小汚い本たちを一人でどんどん放り込んでいく。新品だったはずの軍手は、もうすっかり灰色だ。

「よっし、最後!」

底にぽつんと残った、赤い表紙の本を拾い上げる。

「お前が記念すべきラストだよ……」

疲れから少々独り言が増えている。雪は何気なく、その本の埃をぬぐった。

「四神天地書?奥田永之助……ふーん。知らないなぁ」

そう言いながらも何故かひどくその本に惹かれた雪は、ちらりと腕時計を見てから――その小汚い表紙をめくる。ここまで放り込んできた本のことは気にもしなかったくせに、この本だけ何故そこまでしようと思ったのかは、本人もよく分からない。


『是れは、朱雀の七星を手に入れた一人の少女が、あらゆる力を得て望みをかなへる物語で……

……物語は其れ自体が一つの呪文になつており、読み終えた者は主人公と同様の力を得、望みがかなふ。』


「…………?」

とにかく相当古いものであることは分かる。これはいったい何の本だろう、昔のファンタジー小説か?

妙に先が気になるが、まさかここで読みふけるわけにはいかない。ちょうど近頃本を読むのが趣味になっていたところだ、どうせ捨てるなら……。

「──おーい雪、済んだか?」

「あ!あ、うん!すぐ戻る!」

知人の声にばたんと本を閉じ、その足音が遠ざかった時……そっとその本を、リュックの中に忍ばせた。

泥棒のような行動に少し躊躇いや罪悪感はあったが、どうも好奇心が勝る。とにかく「これを今捨ててはいけない」気がした。

「どうせあとは捨てるだけだしね、まずかったらこっそり戻しとこ」

そんな風に呟いて台車を掴むと、がらがら音をたてながら休憩所へと戻っていった。

その晩は楽しみにしていた焼き肉バイキングもご馳走になって、帰宅後は泥のように眠って、翌朝は普段通りに登校して――。

そんな日の放課後、学校から帰宅した雪は自宅のソファに身をあずけて、深いため息をついた。

暇だが動く気はしない。何なら部屋着に着替えるのも億劫である。何か、動かずに出来ることはないだろうか。

「……あ、そうだ」

雪ははたと思い出したようにソファの足元へ手を伸ばし、置きっぱなしにしていたリュックを引っ張りあげた。

取り出したのは勿論、昨日図書館から泥……いや、拝借してきた「四神天地書」だ。

最初のページの続きに目をやると、そこにはこう記されていた。

『なぜなら、物語は頁をめくつた時事実と成つて始まるのだから――』


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