第十章 傀儡の術

「……遅いっ!」

紅南国では、残った七星士達が井宿の帰りを今か今かと待っていた。もうとっくに午後になっているというのに、彼からは何の音沙汰もないのだ。

実は昨日、倶東にいる井宿から連絡が入っていたのだ。鬼宿は怪我をしているが一応無事で、自分はこれから一旦こちらへ戻ると確かに言っていたはず。だから雪達も倶東行きを取りやめ、こうしてじっと待っていた。

「井宿……何かあったのかな?」

「雪、もう少し待とう。あいつはきっと大丈夫だ」

軫宿の言葉と優しく頭を撫でる大きな手に頷いて、真っ青な顔色のまま彼女は押し黙った。

「何やあいつ……いちいち心配かけよってからにっ!俺、もう我慢できへんぞ!」

大声をあげて立ち上がる翼宿を、柳宿が引き止める。こんな状況では、誰かが冷静にならなければならない。

「待ちなさいって!入れ違うかもしれないでしょ、そうでなくてもあんた一人で行ったって!」

「離せっ……こんの、馬鹿力ぁっ……!」

いくら翼宿でも能力が格段に上がった柳宿の腕を振り解けるとは思えないが、むやみに暴れて怪我でもしては大変だ。

「翼宿っ……!」

雪の大きな声ではっとしたように、翼宿は腕の力を抜いた。

「私も我慢するからさ。ね、もうちょっとだけ」

きっと彼は、何も出来ずに燻っている自分が悔しかったのだ。そして誰よりも、彼の帰りを待ち望んでいる雪の為に……何かしてやりたいと思ってくれたはず。

こうやって黙っているだけしか出来ないのは、行動派の翼宿にとって我慢ならない事だとも分かっていた。

「陛下っ!皇帝陛下!」

その時外がにわかに騒がしくなり、扉の向こうに数人の人影が膝をつく。

「何事だ!」

「先程、怪しい人物が城門を突破して中へ侵入したとの報告が……!」

「何……!?」

咄嗟に剣を握りしめた星宿が歩み出て、扉を開けた。近くにいた翼宿と柳宿も、雪を背後に庇うようにして少し前に出る。

「倶東の刺客か?」

「そ、それが……」

額に脂汗を浮かべた衛兵は、ひどく気まずそうに口ごもりながら視線を下げる。

「未だ分からないと申すのか?」

「いいえ、負傷した兵によりますと……、す……朱雀七星の、鬼宿様だと申すのです……」

「た……鬼宿やて!?」

全員が信じられないという表情を見せたすぐ後で、宮殿の外から誰かの騒ぐ声が聞こえてきた。

雪のひどい胸騒ぎは、その音が近づくごとに強さを増していく。

「あかん、あれじゃすぐに中まで来よるで!」

「星宿様……!」

切羽詰まったように声をあげた翼宿と柳宿を見て、返答に窮した星宿は目を伏せた。まだ表の事情が把握できない以上、下手な返事はできないのだ。

何故?どうして鬼宿がそんなことを?よく似た偽物なんじゃないのか?雪はぐるぐると巡る疑問を口に出すことも出来ず、ただおろおろと仲間達を見回すしかない。

雪の知る鬼宿はそんな事をする男ではない。真っ直ぐでよく笑う、人懐っこい青年だ。

「軫宿と張宿は、雪を頼む。何にしても、まずこの目で確かめなければ」

「えっ、ちょっ……ちょっと待って星宿……!」

「大丈夫だ。すぐに……済む」

ずっと背中を向け、剣をしっかりと握り締めたその背は、心なしか震えて見える。それが何に対する震えなのかは分からない。

続いて、翼宿達も振り返らず部屋を飛び出していった。

「待って、星宿っ」

「雪……!」

涙目で走り出そうとする雪を軫宿が捕まえ、背中をさすりながら宥める。雪はずっと、言葉にならない声をあげていた。

「今出ては危険だ、ここにいろ」

「でも、でもっ……もし本当に鬼宿だったら!?」

「雪さん、落ち着いてっ……!」

鬼宿がいなくなった時からずっとずっと、嫌な予感がしていたんだっけ。やっぱり虫の知らせだったとでもいうのだろうか?とにかく、とても不快な胸騒ぎ。

無鉄砲だと叱られても、傷ついてもいい。とにかく走り出さずにはいられなくて、雪は一瞬の隙をついて軫宿を振り払っていた。

「雪……っ!!」

軫宿の叫ぶ声が、時間ごとに激しさを増す雨音にかき消された。






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