*第十章 傀儡の術
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「……鬼宿」
鬼宿はもう、星宿達のすぐ目の前まで迫っていた。降りしきる雨の中、濡れるのも構わずじっと佇むその黒ずくめの姿は異質だった。
「貴様が彩賁帝か」
姿形、声色――そしてその体から発せられる気まで、紛れもなく鬼宿そのものである。ただ雰囲気だけが全く違うのはどうも理解ができなかった。
「……間違いあらへん。たまや」
「信じられない。一体鬼宿に何があったっていうのよ……!」
じりじりと睨みあう両者。脱力しているように見える鬼宿だが、恐らく一瞬の隙も見せる事は出来ない。まさか仲間同士でこんな事になるなんて、誰が想像しただろうか。
「鬼宿……、一体どうしたというのだ!」
「へっ。何を言ってるのか、さっぱり分かんねえよ」
鬼宿の表情が歪み、嘲笑混じりに呟く。
「おい。今すぐ朱雀の巫女をここに連れてこい」
「嫌だと言えば……どうする?」
試すような口ぶりで、星宿は剣を構えた。
「全員、ここで殺してやるよ」
「鬼宿……おんどれぇ……! 黙って聞いてりゃ調子に乗りおって!」
――絞るように叫び、翼宿が鉄扇を抜く。柳宿の制止も間に合わぬ速さで一気に駆け出し、それを高く振りかざした。
「烈火……神焔!!」
激しい雨に負けることなく繰り出された真っ赤な炎は、迷わずに鬼宿へ向かう。……もはや容赦なしで狙ったのだから当然だ。
しかし炎が到達する寸前、それは彼を中心にして二股に別れ、雨の中へと消え失せた。
「何……っ!?」
まるで、彼を覆うような見えない壁でも存在しているかのように。
「悪いが、効かねえよ」
鬼宿が、微動だにせず三人を再び嘲笑った。
「結界か……!?」
「くそっ……もいっぺん……!!」
「翼宿、待って!」
踏み出そうとした翼宿の肩を、今度こそはと柳宿がしっかりと掴んだ。骨が鳴りそうなくらい強く握られているのに、痛みは感じない。
「柳宿、おのれは!また邪魔すんのかい!」
「あれ……見て」
眉をひそめた柳宿が見つめる先に現れた、もう一つの影。
「だ……誰や?あいつ今まで、一体何処に――……」
近づくにつれてどんどん鮮明になる、二人目の黒ずくめの男。
「……嘘やろ」
絶望だった。体を内側まで、ゆっくり蝕むような。
鬼宿から一歩下がった位置に立ったのは、見間違えるわけがない、もう一人の仲間の姿だった。
「井宿か……?」
しばらくの間、誰も口を開けない。ただひたすら、雨の音だけが響いていた。
虚ろな赤茶色の隻眼が、じっとこちらを睨み付けている。
あいつはあんな顔だったかとか、もはやそういう次元ではない。何故こんな事になっているのか……三人は、情報量の多さにひどく混乱していた。
とにかく今の井宿は、変わり果てた鬼宿側の人間なのだ。それだけは間違いなかった。
雪がこれを見たら、どんな顔をするだろう。
「ま、そういう事だ。お前らに俺達は倒せねえ。いいか、もう一度言う。朱雀の巫女をここへ連れてこい」
「ふざけんなや……貴様ら二人とも、ええ加減にせえよ!!」
どいつもこいつも勝手なことばかりして。翼宿は怒りに震えながら、喉が潰れそうなくらい叫んでいた。