恋人ごっこも楽じゃない

悩み、というほどではない。

すべての始まりは、おそらくそんな気持ちで彼女がこぼした一言だった。

「物珍しいのは分かるんだけど……」

宮殿に出入りするのは、なにもそこで働く者だけではない。限られてはいるが、出入りの商人や小国の大使、あとは栄陽に住まう上流階級の者も時折。雪や七星士達が普段生活している内部まで入ることはできなくとも、異世界から来た巫女である雪の噂を聞いて「是非ひと目会ってみたい」と言う者は少なくなかった。もっとも、それを星宿が許すことはなかったが。

彼女は見世物でも、政の道具でもないからだ。

「また何かあったのだ?」

――なので井宿がそう尋ねると、雪は眉を寄せて小さくため息をつく。

「さっき、いかにも身分高そうな感じの男の人に呼び止められたんだけど」

「え、雪ちゃん、外に出てたのだ?」

「城下まで買い出しに行っててね。柳宿と一緒に」

「ああ、なるほど」

その男から何を言われたのかまでは語ろうとしなかったので、井宿も追求するのはやめておいた。それに、そこまで首を突っ込む権利はない気もしている。

ただ少し気にかかる部分はあった。確かに雪が感じているように、異世界から来た若い娘に興味があって近付く男もいれば、本当に憧れや好意を寄せている男もいるかもしれない。それだけならまだ良いが、朱雀の加護と力を持つ彼女のことをいいように利用したい輩もいないとは言い切れない。

……最後は少々、心配が過ぎるだろうか。彼女だってそういった相手を見極める目はあるはずだ。他人を疑うより信じてしまうたちではあるものの、警戒心も人並みにはある。

「井宿?どしたの、難しい顔してるけど」

「あ……いや。ちょっと色々と心配だなと思ったのだ。まあ、君が少しでも不安を覚えるなら、気を付けるに越したことはないんじゃないのだ?」

表情を変えて、ひとまず考え事を振り払いながら言う。

「んー、そうだよね。七星士の皆とか宮殿の人達と違って、外から来る人の事はどうも信用しきれなくて……でもそれがすごく失礼な気もしてきてて、最近ちょっともやもやしてたんだ」

「いや。自分の直感を信じるのは、別に悪いことじゃないのだ」

ほっとしたように雪が表情を緩ませたので、井宿も安堵する。どうやら彼女が欲しかった言葉を返してやることが出来たようだ。

「ありがと、おかげで少し気が晴れた!じゃ、ちょっと星宿のところ行ってくるね。用があるって呼ばれてたんだった」

手を振りながら、雪は小走りに去っていく。――ならば自分も部屋に戻ろうかと踵を返したところ、その先に腕を組んだ柳宿の姿があった。口の中でぶつぶつ何かを呟くような表情をしている。

「お帰りなのだ、雪ちゃんと出掛けてたんだって?」

「まあね。……あんた何か聞いた?」

「ん、男に何か声をかけられたって話なら聞いたのだ。詳しくは知らないけど」

「今度、なんかあのテの……上流階級とか貴族ってのかしらね、要は金持ち?そういういいご身分な輩を集めた晩餐会が宮殿であるらしいのよ。当然そいつも来るっぽいんだけど、あたしら七星士や雪も出席してほしいってあちこちから……」

それは初耳だったが、柳宿もさっき聞いたばかりの事だったらしい。まだきちんと詳細が決まったわけではないそうだ。

「雪とサシで会わせて欲しいって申し出には星宿様も渋るけど、そういう場所で安全にお披露目だけでもしておけば、とりあえず義理は果たせるでしょ?」

「あ。さっき雪ちゃん、星宿様のところへ行くと言ってたけど……もしかしてその件でなのだ?」

「かもね、打診なんじゃないの?あの子が首を横に振れば、きっとそれでこの話はおしまいだけど」

「きっとそれはないのだな、性格的に。若いわりに律儀なのだ」

歩き出した柳宿につられて、井宿も続く。

「でしょ。だからあたしらも、今のうちに軽く作戦会議しといたほうがいいんじゃないかしら。油虫は駆除しないと、お花が駄目になるでしょ」

「さっきから随分な言い方だが、まあ……話しておくのはいいかもしれないのだな」

雪ちゃんも気持ち的に疲れてきているようだし、と言い訳のように付け加え、井宿は口を結んだ。






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