恋人ごっこも楽じゃない

「……と、いうわけなのよ」

先程のやり取りを終えてからしばらくして、変な空気に満たされた部屋に雪が連れて来られた。咀嚼しきれず「何を言っているんだ?」と言いたげにぽかんとした後、急に顔を真っ赤にして大声をあげる。

「なっ、な……何でっ!?」

「そりゃあんた、あたしら七星士ってのは保護者も同然だから。悪い芽はどんどん摘むわよ、時と場合によってはえげつない手を使ってでもね」

「いやっ、分かるしそこまで心配してくれるのも有難いよ。でも、そのっ……井宿の意思はっ」

「あー、あんたまで井宿と同じこと言う。そんなのどーだっていいのよ、『ふり』なんだから」

鬼宿と翼宿が、脱力したような姿勢で井宿を見ている。物言わぬ彼らは一体、この状況に何を思うのだろうか。

「でも、敵を騙すにはまず味方からよ。あたしら七星士以外には作戦を内緒にして、それっぽく振る舞った方がいいわ。練習にもなるしね」

「それっぽくって……つまり、前段階から本当に恋人同士みたいに振る舞っとけってこと?」

「そういうこと」

「ちょっと待ってよ……!ほらっ、井宿も皆もずっと黙ったまんまじゃないさっ、どうするのこれっ」

両手をばたばたと動かし、雪の動揺は止まらない。そりゃそうだ、当人の知らないところで話がどんどん進んでいたわけなのだから。

井宿だって今まさに同じ状況で、つかめないまま目の前で話が進んでいる。

「別にわざわざ公言しなくていいのよ。もし聞かれた時は否定も肯定もしなくてよし。ただ後で噂になった時『あー、あの二人ってやっぱりそうなのね!』って思われるくらいにしとけば満点」

柳宿は、宥めるようにそう言って笑う。

それはそれで後々引っ込みがつかなくなる気がしたが、どうせまたうまく丸め込まれるだろうから反論するのはやめておく。はっきり言って無駄だ。

「ううっ、晩餐会までまだ何日もあるってのに、井宿をそんな事に付き合わせてらんないよ……」

「よく考えなさい、あんたは自分が思ってるよりずっと特殊な地位にいるのよ?もし何かあったら皆困るんだから。それとも何、井宿じゃ嫌?あいつもあいつなりに心配してるわよ」

「そ、そんな事は言ってないよ!」

雪の顔が見えなかったが、ひとまず嘘をついている声色ではなくて井宿はほっとする。ここで嫌だと言われたら、さすがに傷ついた。

「あのね井宿……私は大丈夫だから、嫌なら嫌って断ってくれていいよ。どうにかするし……」

不意に振り向いた雪は視線を泳がせ、今度はせわしなく両手の指を胸の前で組んだり解いたり、果ては変な方向にねじったりしている。

「や……まあ、決まった以上は全うするつもりなのだ」

首を左右に小さく振りつつ、ここでようやく口を開くことができた。彼としては嫌なのではなくて、ただどうもこの速度に気持ちが追いつかないだけなのだ。

「あとは若い二人にお任せするわ。くれぐれも、人前で会話する時は気を付けなさいよー」

「楽しそうなのだな、柳宿……」

楽しいに決まってるでしょ、と悪びれもせず、柳宿は二人を部屋の外へと押し出す。あの馬鹿力である、あっという間に廊下に置き去りにされてしまった。

中で残った仲間達がどんな会話をしているのかも気になるし、雪がどんな感情で隣に立ち尽くしているのかも気になる。今どうするべきなのか考えたが、はっきりとした答えは出てこなかった。

そっと肩を叩くと、雪は井宿を見上げる。何か言いたいが、何を言えばいいか分からなくて困っている様子だ。

「とりあえずここにいても仕方がないし、部屋へ行こう。オイラもちょっと落ち着いて整理したいのだ」

「うん……そうだね」

相変わらず落ち着かない様子の雪を連れ、井宿は部屋の扉を押し開ける。考え事でもしているのか、そのまま通り過ぎようとするのを咄嗟に捕まえた。

すると顔を上げた彼女は、驚いたようにこう言ったのだ。

「えっ、部屋ってそういう事!?一旦解散じゃなく!?」

どうやら上手く意図が伝わっていなかったらしい。別に初めて来たわけでもないのに、彼女はひどく慌てていた。

だが確かに、今は少し配慮が足りなかったかもしれない。

「ゆっくり話し合って固めたほうがいい事もあると思ったのだが……いや、でももし雪ちゃんが一人で整理したいのなら今日は、」

「いやっ、そうじゃないの!ごめん、じゃあ……お邪魔します」

一人で考えても余計に頭がとっ散らかるから――と続けた雪が、前をすり抜けて部屋へ入るのを目で追った。

いつもよりほんの少し、彼女の動きのすべてを意識しながら。

追うように部屋に入り、さてどうしようか、と井宿は呟いた。椅子に座った雪と、寝台に腰掛けた井宿の距離はまだどうも遠い。

「どうしたらいいか分かんないんだ。私、男の人と付き合ったことなんて一度もなくて」

「ん、それは見ていたら分かるのだ」

「なんかわかんないけど、ひどい」

わざと明るくそう言ってみると、雪は狙い通りに笑ってくれた。実際人懐っこい人間ではあるし見た目も可愛らしいが、すべてにおいて経験値は低いと感じていたからだ。

だからこそ、皆が必要以上に心配するのである。極端な話だがこれが救いようのない遊び人で性悪女、とかであれば、きっとまた違っているのだけど。

「まあ気楽にやってればいいと思うのだ。例えば二人一緒に行動する時間を増やすとか」

「でもさ、普段から井宿とはそれなりに一緒にいない?翼宿とか柳宿も一緒にいることが多いけど……」

言われてみれば確かにそうだ。彼女とはよく話をするし、彼女から井宿に会いに来る事だってたくさんあった。最近じゃそれも当たり前になりすぎていたのだが。

「では、今まで通りでもいいって事になるのだな……」

「今まで通りとはいかないと思うんだけど……。やっぱり意識しちゃうよ」

「そりゃ無理もないのだ。オイラだってあんまり冷静ではないし」

「それで冷静じゃないって?絶対嘘でしょ」

柳宿達の前で見せたように、君の前でも露骨に慌てていては年上の男として格好がつかない。そう言ってしまいそうになるのをこらえて、井宿は曖昧に笑った。






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