浮気者

「ああ……。柳宿、また後宮に用なのだ?」

「そうよ。ここまでやると準備に時間が掛かってしょうがないわ。んで、なんで雪は牛みたいにもーもー鳴いてんの」

しっかりと紅をひいた唇、結い上げた長い髪、艶やかな衣装。これをひと目で男性だと見抜ける人間は、恐らくこの世にはほとんどいないはずだ。

井宿は深く息をついてから、雪を見やった。案の定目を丸くして柳宿を見つめたまま微動だにしない。年の割に察しのいい娘だし、状況はこれでもう理解しただろう。

「雪」

呼び掛けにびくりと反応を示し、今にも泣きそうな顔をしている。先程の彼女の文句の続きを予想しつつ、井宿はこう呟いた。

「昨日の晩、後宮の友人に会いに行く途中の柳宿と会ったのだ。雪はそれを見たんじゃないのだ?」

「うっ……!」

「え、何。雪見てたの?それが今のあんた達とどういう……、あ!あぁ、成程」

尋ねておいて自己解決したらしい。柳宿は数回頷いた後で、雪を見て満足そうに笑った。

「あたしが美しいばっかりに、気を揉ませちゃって悪いわねえ……。まだまだ捨てたもんじゃないってことかしら。まっ、分かったら仲良くすんのよ。んふっ」

跳び跳ねるように、だがしかし優雅さを保ったままで遠ざかっていく背中を見送り、静かになった雪を横抱きにしてやった。

もう彼女が何かぎゃあぎゃあと騒ぐことはない。息が詰まったように、ただ腕の中で縮こまっているばかりだった。このまま物言わぬ蛹にでもなる気だろうか。

「さぁーて、雪」

少しねちっこい口調で言いながら、青ざめた雪を寝台に座らせる。相変わらず縮こまって声も出さないし、焦点の合わない目がゆらゆらと床板ばかりを眺めていた。

「雪さん?」

「……はい、聞こえています」

「もしかしてヤキモチ妬いたのだ?珍しい事もあるものなのだな」

暴れた時に引っかかれてしまった面を外してそう言うと、雪は大層申し訳なさそうに頭を垂れた。可哀想に思えるが、この際だからまだもう少し揺さぶってみたいという気持ちが勝っている。決して怒ってはいなかった。

「……だって、私って井宿からすればまだ子供だし……あんな風に、もっと大人の女の人の方が良いのかと思って……」

「ん、柳宿は雪とそう年変わらなかった気がするのだが」

「見た目の話をしてるのっ!」

井宿としては他意はなかったものの、今のでまた少しへそを曲げたらしい。

「そんな事気にしてるのだ?お馬鹿さんなのだな」

年齢差を気にしているのは、自分の方なのに。雪だってもっと元気で、年の近い男と一緒にいるほうが似合っているはずなのだ。

この世界で二人が出会わなければ、今頃雪の隣にいるのは……きっとそういう男だっただろう。

――そんな暗い気持ちとため息を噛み殺して、話題を変えることにする。今はそんな話をする空気でもない。

「まぁそれはいいのだ……。というか、オイラ浮気者扱いされて傷ついてるのだ」

「あっ……!ご、ごめんなさ……」

「童貞ってまで言われたのだ?あんな大きな声で」

「ご、ごめんなさいいっ……!」

若干泣きかけながら謝り倒す雪だったが、これくらいならいじめたってバチも当たるまい。これを機に、色々と一人で突っ走る癖を改めてもらいたいくらいだ。

腰を折って視線を合わせると、黙ったまま口付けた。

「っ……ん……?」

咄嗟に応じた雪が戸惑っているのもお構い無し。どんどん体を傾け、終いには背中が寝台にべったりとつき、押し倒す形に持っていくことに成功した。

「っ……!ち、井宿さん……!?」

無理矢理唇を離して喚くが、ただ一言「何か?」と首を傾げる。

「あの、」

「いや、童貞って言われたから、違うって証明してあげようと思ったのだ」

「じ……時間考えてよ!」

ちなみに、もうすぐ朝餉の時間である。朝も早く、起床直後からこの騒動は起きていたわけだ。

「だからどうしたのだ?オイラ童貞だから、いつするものなのかも分かんないのだが」

「言ってる事が滅茶苦茶だから……!」

童貞だって言ったり違うって言ったり!と呟きながら暴れたので、井宿はぱっと体を離す。誰かが呼びに来たら困るし、当然本気で襲うつもりはない。

「じゃ、雪の言う通り、お詫びは暗くなってからしてもらうとして。腹が減っては戦は出来ぬのだ」

「なっ……!井宿っ!」

投げつけた枕をぎりぎりで遮った井宿に手を引かれた雪は、まだ真っ赤な顔のままだ。

だが今度は素直に井宿と並んで、歩き出してくれていた。



⇒おまけ・反省会






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