あれから三日。
リノはずっと上の空だった。

一気に大人になったような、知っちゃいけないことを知ったような、禁忌を犯したような気持ちだった。

一度に色々ありすぎて処理が追い付いていない、というのが正しいだろう。

自分の気持ちさえもよくわからない。
誰が好きとかそうじゃないとか、ぐちゃぐちゃになってわからないのだ。

メロと交わってから、ニアとあまり話していない。
避けてしまうのは申し訳ないと思っているが、きっとまともに話せないので仕方ない。

ため息をついて、机にぐったりと突っ伏した。


そんな様子のリノを見かねたニアは、まずメロのもとへ行った。


「メロ。」

サッカーボールを持ち、外に出ようとしていたメロを呼び止める。

「…なんだよ?」

対するメロは、前よりもニアのことをライバル視するようになっていた。理由は言わずもがな。



「最近、リノの様子がおかしいんですが、何か知りませんか?」

鋭い眼光でメロを睨む。
しかし、メロが怯む様子はない。

「具体的にどうおかしいんだよ?」

「私を避けている気がします。」

「愛想でも尽かされたんじゃねーの?」

挑発的な笑みを浮かべるメロ。
ニアは視線を落とし、ため息をついてからもう一度メロを見上げた。

「予想はついてます、回りくどいのは面倒です。」

「それもそうだな。じゃあ言ってやるよ。三日前にリノを抱いた。リノをお前にくれてやるわけにはいかない。俺がもらう。」

「残念ながらそれは不可能です。私は絶対にリノをもらいます、そしてメロに渡す気もない。負けません。」



互いに退かない争いが始まった。



しばしにらみ合いをした二人だったが、ふと聞こえてきた声によって、それは終わりを告げた。





「リノ?元気ねーのな、大丈夫かよ?」
「マットぉ〜!」

空いていた前の席に座ったマットの手を、リノはぎゅっと掴んだ。

「おわ!?手ぇ掴むなって!コマンドミスるから!」
「マット、凄い癒される…今の私にはマットが必要なの!」
「な、な、なにいってんだよ!?」
「説明はちょっと今は出来ないんだけど、とにかくマットに癒されたい…」


あの一連の出来事に関係のないマットの存在は、今のリノにとって癒しであった。
無駄なことを考えずに話すことができる友達…というと少し失礼かもしれないが。


「わけわかんねぇ…って、うわ、ちょっ、抱きつくな!」
「うん!ごめんね!」
「ごめんねつって、全然やめねーじゃねぇか!あーあーも〜!」

ゲームをする手を止めて、マットは抱きついてきたリノをぽしぽしと撫でた。

「一体なんなんだ…」

ため息を吐きながらも何だかんだ相手をするマットは、リノに甘い。

目の前が少し暗くなり、不思議に思ってマットが顔を上げると、そこには白い服と黒い服。

正確には、ニアとメロが立っていた。

二人から漂う謎の殺気に当てられて、マットは思わずリノから手を離した。

「ん?マット───」


リノは急に黙ったマットに疑問を感じて顔を上げた。
マットは何故か両手を上げて、降参のポーズ。

振り向けばそこには、ニアとメロがいた。


「ひぁ」

二人の妙な殺気による恐怖と驚きで、リノはすっとんきょうな声をあげる。

「えーーと…ごめんっ」

リノはマットに軽く謝ってから、するりとその場から逃げ出した。

「リノ!」

ニアに呼び止められて、振り返るが、そのまま立ち去った。

逃げるようなことはしてないと思うが、なんとなく気まずい上に、怖い。

途中マットの絶叫が聞こえたが、気にせず部屋へ戻った。





思い切り感じの悪いことをしてしまった。


自責の念に襲われて、リノは布団のなかで丸くなる。

ニアにもメロにも悪いことをした。
特に、ニアには何も話していないのだ。
それで急に避けられたら、誰でも嫌な気持ちになってしまうだろう。

どう謝りにいこうかと考えて唸っていると、ドアが開いた音がした。


「リノ?」

優しい、ニアの声。

「…ニア………」

ニアの声を聞くなり、涙が溢れる。


「ごめんなさ…っ、わたし、メロと…ッ」
「知ってます、怒ってません。寧ろ悪いのは私です。」
「なん、で…ッだって、私、ニアに、好きって言って、なのに他の人としたんだよ…!?」
「いい気分はしませんが、現状、そんなに悲観してませんよ。」
「どうし、て…っぅ…」

色々な感情が溢れて、涙が止まらないリノを、ニアは抱き締めて慰める。


「余計な事を考えないくらい惚れさせればいいだけです。」


ニアの言葉は、メロの言葉とよく似ていた。

「私が、悪いんだよ…!?どうして、そんなに…っ」

「それは絶対にありません。メロもきっとそう言います。ついでにマットも。」


ニアはきっぱりとした口調で告げた。

「難しいことは考えなくて良いんです。好きか否か、それだけでいい。」

「う、ん……っ」

「決めるのはもっと先でも良いです、待ちますから。」
















朝、重たい体を無理やり起こして洗面所へ向かう。
鏡にうつった自分の顔を見て、リノは一言「うわー」と漏らした。

昨日泣いたせいで、目が少し腫れぼったい。
仕方ないので、タオルに水を含ませて目の上に乗せることにした。


ぞろぞろと皆が起き出す中、リノは布団に仰向けになって、目を冷やす。


今日は日曜日なので授業はない。

しばらく昨日のことを思い出しつつごろごろした。


ああ言われても、気になるものは気になる。
どんな顔してこれから話せばいいのか。


悶々と考えていても答は出ない。
気晴らしに外へ出ることにした。




寝間着から着替えて、いざ外へと足を踏み出した。
天気がよくて、太陽の光が温かい。
なんだか気分が良くなって、思わず軽くスキップ。
しかし三歩ほどしたところで小石につまづいて思い切り転んでしまった。
それはもう、見事な転びっぷり。顔面からいかなかったのが幸いであった。

かなり恥ずかしい状態だったので、見られてないかとあたりをぐるりと見回すが、まだ誰もおらず、痴態を晒さずにすんだ。


「っはは!!ムリ、もう我慢できねーわ!リノ面白すぎるだろ…ッ」

突如響く笑い。

「マット!?」

見上げれば、木に登って寛いでいたマットを見つける。

「や〜堪えようとしてたんだけど、無理だったわ。だって、お前…ッふふ」
「笑いすぎじゃないかな!?」

顔を真っ赤にして大笑いするマットと、顔を真っ赤にして怒るリノ。

「ごめんごめん、怒んなってドジっ子姫さん。」
「もー!!」

ひょい、とマットは木の上から飛び降りて着地する。

「あ、マット…昨日ごめんね、巻き込んじゃって…」 
「あれな…もう二度とごめんだあれは…」

一体何があったのか、マットは怯えた表情を浮かべていた。

「それよりケガしてないの?ずっこけてたけど。」
「ちょっと血が出ちゃった…。」
「よーし、じゃあそこ座って待ってろ。優しくてイケメンのマット君が手当てしてあげましょー」
「ありがと、マット。」

クスクス笑いながらお礼をいって、言われた通り待っていると、マットは救急箱らしき箱を持って戻ってきた。

「消毒するから右足ちょっと上げて?」
「はーい。」

傷口に消毒液をかけると、リノが体を揺らした。

「しみる?」 
「うん、意外と痛かった…」
「よしよし、はい絆創膏貼るよ。」


マットの手当てが完了。
リノは再度お礼を言った。

「はー俺って優しいわ。」
「…その一言がなければね。」
「えっひどい。でもイケメンだろ?ん?」

得意気な顔をしてるマット。
リノはそのゴーグルを外して、顔を近づけた。


「うん、すごく綺麗な顔だなって思う。」


マットは予想外の行動をされて、三度瞬きを繰り返した。

「マット?おーい。」

呆然としてフリーズしているマットを揺さぶる。
ハッと我に帰ったマットは、何やら顔を赤らめて「そ、そ、そうだろ!?あは、あはは…」と、焦りながら言った。

「あ、ちょ、ちょっと野暮用思い出した!ごめん先戻るわ!!」
「え、あ、そうなの?手当てありがとねマット!」



その後、ダッシュで部屋に戻ったマットが、赤面した顔を押さえて座り込んでいたことは誰も知らない。








救急箱を保健室に返しに行った帰りに、廊下でマットに出会った。


「あれ?野暮用終わったの?」
「んぁ?あ、あぁ。」


どことなくぎこちない返事のマット。
リノは不思議に思って覗き込むが、目線を反らす。

「…マットが変。」
「いや通常運転。」

やはりぎこちないが、聞いても答えなさそうなので、追求はしなかった。

「ねぇマット。」
「何?」
「相談とか、しちゃダメかな?」
「いや、俺でいいなら…って感じだけど。もしかしてニアとメロのことか?」
「え、うん…なんでわかったの?」
「昨日ちょっと聞いた。…ここで話すような事でもないよな。移動しよう。」
「うん…。」


リノとマットは、人気の少ない、ハウスの裏へ行った。
太陽の光がちょうど遮られていて、一面が日陰になっており涼しい。
その場所に並んで座って話を続けた。

「自分の気持ちとか、よくわかんなくなっちゃって。昨日、好きか否かだけでいいってニアに言われたけど…」

「なるほどねー…俺は昨日の話聞いてちょっと驚いたけど。リノが処女じゃないってことに。」

「しょ、…っば、バカ!そういうこと普通に言わないでよ…っ」

「ごめんごめん、本当に驚いたからさ。…で、気持ちが分からないんだっけ?」

「うん…」


んー、と口元に手を当ててマットは唸った。


「俺は、悩まなくてもいいと思うよ。」

「どうして?」

「何て言うか…好きだったら自然に好きって思う気がするし。今、自分の気持ちがよくわからないなら、ほっといてもいいんじゃねーの?」

「そっか……マットは好きな子とか居たことあるの?」




「居るよ、今も。」


マットの声の調子がいつもと違っていて、横を向くと、彼は優しくて切なげな笑顔を浮かべていた。


その顔が何故かリノの心をうつ。



「ほんとう?」
「嘘かも。」

マットはいつもの少しふざけた笑顔に戻った。
別人のようだった先ほどのマットは消え、いつもの、安心するマットがそこにいた。


「ま、とにかくさ、深く考えなくて良いんじゃねぇの?そしたら勝手にあいつらがお前を惚れさせようとしてくるんだからさ。」

「な、なんか少女漫画みたいなことになってるよね。」

「そうだなぁ。そーすると俺は、さしずめ…」

そこまで言って、マットは立ち上がり、リノの前にしゃがんだ。

「優しい友達に見せかけてヒロインを狙う悪い男、とか?」

ちゅ、と首筋にキスを落とされる。


「ま、マット…?」
「冗談だってば、そんな怯えんなって!そろそろ戻ろうぜ、ニアもメロもお前と話したがってるだろうし。」


冗談、に見えなかった。
一瞬だったが、そのまま押し倒されてもおかしくないような雰囲気を纏っていた。

しかし、前を歩くマットにそんな素振りはなかった。

気のせいだろうと考えて、リノは早足でマットの隣へ行った。

03【If】
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