1万打企画
- ナノ -


▼ 飼い猫による狼退治及びマーキング

※寝坊助とニートIf拾ったのが一松だったら 何もしてないよの話


「苗字さん、大丈夫? ベッドまで運ぼうか」

玄関が開く音、それから見知らぬ男の声。何事かと居間から顔をのぞかせれば、驚いたことに同居人がぐったりとして男に身体を支えられ帰ってきていた。
何これ、事案? 警察呼んだほうがいい? ていうか、何やってんの、あんた。

警戒心をなくして無防備に帰ってきた同居人の顔を気だるげに見つめる。意識があるのか無いのか知らないが、本人は真っ赤な顔でふらふらとしていた。
先ほど聞こえてきた男の声は、下心を出血大サービスかってくらいに詰め込んだ気持ちの悪いものだった。つまり、彼女は送り狼を企てられたと、そういうことだろう。あーあ、馬鹿じゃないの。馬鹿が馬鹿に目つけられちゃって。
数か月前から一方的に世話になっている同居人は、僕が言うのもなんだけど隙だらけで馬鹿で、よく今まで騙されずに無事生きてこれたなってくらいのお人好しだ。

「ねえ、何やってんの名前。馬鹿なの」
「ふふふ、いちまつさん。ただいまぁ」
「はいおかえり。 ……で、おたくは」
「えっ、いや、あの、俺は、苗字さんが酔っているから、送ってあげようかなーって……」
「ふーん」

ああ下心丸出し。鼻の下伸びてる、気持ち悪い。
無言で彼女へ向けて腕を伸ばすと、よろよろと僕の方へ歩み寄って、そして小さな体が胸に収まる。おかえり。
いいでしょ、羨ましい? 僕の飼い主、馬鹿だけどよく躾がなっているでしょう。

「ねえあんた、帰んないの」
「あ、ああ、それじゃあ、失礼します」

早く帰ってくれないかなという思いを声にも態度にも込めて、言葉にも出して相手をじとりと見つめると、そいつは気まずそうに帰っていった。ぺろりと頂こうとしたんだろうけど、生憎だったね。相手が悪かったんじゃない。

いつも通りに戻った、二人きりの空間で、へべれけに酔った彼女とソファに並んで座って向かい合う。

「名前、俺さぁ、昨日飲みすぎないよう言ったよね」
「いちまつさん、」
「なに、話の途中なんだけど」
「ふふふ、しかめつら」

無遠慮に顔に手を伸ばされた。彼女の細い指が僕の眉間の皺をぐいぐいと伸ばそうとする。話聞いてないな、これ。「跡になっちゃいますよ」じゃないよ、誰のせいだと思ってんの。ダメだ、もう今説教しても意味ない。躾は悪いことをした直後にしなくちゃ意味がないのになあ、なんて思いながらも眉間を押す手を振り払う。
彼女は手を振り払われてから何が面白いのかふふふと笑い声をあげて、首元くるしい、と言ってシャツのボタンを上から二つ目まで開けた。ちょっと、下着見えるよ。

不意に彼女が前屈みになって、僕に顔を寄せた。
唇に、柔らかく少し湿った感触が当たる。それから、口内にぬるりと忍び込む濡れた舌。僕の歯を、彼女の舌がなぞった。今まで感じたことのない感触に、ぞくりと背筋に震えが走る。
突然の出来事に、身体は動かないのに脳だけがやけに冷静だった。ああ睫毛が長いんだと、そんなことを思った。

彼女の吐息はアルコールの香りがした。日本酒の味が、舌にじわりじわりと毒のように広がる。日本酒はあまり好きじゃない。アルコール自体、元からそこまで好んでないけれど、特に日本酒は、一番上の兄に飲んでみろよと無理やり飲まされて悪酔いした記憶しかないから苦手だ。あんた日本酒飲まないって言ってなかったっけ。どうしたの、無理やり飲まされたりしたの、あの男とかに? ねえ名前さ、こういうこと、酔うと誰にでもやってたりするの?

僕が戸惑って動けない間も、彼女は俺の口に啄むようにキスを繰り返す。

好き勝手に人の口を弄んで満足したのか、しばらくすると名前は寝息をたて始めた。僕はしばらく放心していた。ぽかんと、彼女の寝顔をあほみたいに見ていた。

金縛りと混乱が、それから少ししてから解けた。キスされた。女の子に、唇を奪われてしまった。何してくれたんだ。唇を好き放題弄ばれて、僕の硝子のハートはズタズタに傷つけられた。ああ悲しい。

混乱の原因を睨み付けるが、本人は知らぬ顔でぐっすり夢の中だった。くそ、と悪態をつく。奪われるだけでは癪だった。でも、だからと言って僕から同じことをやり返したってつまらない。
少し悩んでから、おもむろに彼女の首に口を寄せる。喉元に噛み付くと、くすぐったいのか寝ぼけながらもくつくつと笑い声をあげる。何がおかしいんだ。
鎖骨の下に唇を寄せて、音を立てて吸うと、薄く鬱血した。明日になったらもっと色濃く残っていることだろうと想像して、笑みを濃くする。

もしかしたら僕、酔ってるのかもしれない。日本酒味のキスをしただけなのに。そうじゃなかったら、こんな馬鹿げた真似はきっと出来なかった。

  ◇

朝、名前に揺れ起こされる。壁にかかった時計を見上げると13時だった。

「おはよ……、今日仕事ないんだっけ」
「ああ、はい。ええと、その、おはようございます」
「あんたさ、酔っ払うとすげえめんどくさいね」
「あっ、あの、私、昨日何したんですか。起きたらバスタオルかけて床で寝てたんですけど」
「自分の胸に手当てて聞いてみたら」
「ええ……?」
「とりあえず顔洗ってきなよ」

顔洗って、それから、朝ごはん作って。玉子焼きは甘いのにしてね。
しきりに首を傾げながらも、彼女は洗面所へと足を運ぶ。水音がしばらくして、それから数秒後色気のない悲鳴が聞こえた。うるさい。

「い、一松さん!?」
「なに、うるさいんだけど」
「な、なんで、これ。一松さん……?」
「何が」
「何がって、あの、私の首元、すごい噛み跡っていうか、歯型とか、痣とか付いてるんですけど、これ」

そう言って、自分のワイシャツの襟をめくる。自分からはだけさせてどうするんの。せっかく僕が寝る前にちゃんと直してあげたのに。まあその前に乱しまくったのも僕だけど。
彼女がめくった襟からのぞくのは、見事な歯型と鬱血痕だった。白い肌を一部赤黒く染めるそれに、初めてにしてはうまく付けられたものだと胸が満足感でいっぱいになる。

「これ付けたの、一松さんですよね」
「そうですけど」
「えっ、そうですけどって、え、ええ? なんで、こんな、えっ」
「なに、文句あんの」
「え? いや、なんでこんなの付けたんですか」
「付けたかったから」
「え、ええ……? 付けたかったからって、や、やめてくださいよ……」
「なんで?」
「なんで? なんでって……。か、噛まれたら、痛いし……?」
「痛くしなきゃいいんだ、へえ」

痛いとか痛くないとか、そういう問題じゃないのに、本当に馬鹿だ。寝起きで頭回ってないのかな。ただでさえ彼女は朝に弱いのに、予想外の方向で驚かされて、ひどくポンコツになっているようだった。
僕が真顔で屁理屈を言えば、「もしかして自分が悪いのかもしれない」と呟き始める。ああ、本当に馬鹿だ。 救いようがないほどに。

「付けたかったって……なんで……?」

無理やり納得させたけれど、まだ腑に落ちていないらしく彼女はぶつぶつと呟いている。


ただのマーキングだよ。別に恋だとか愛だとかそんな甘ったるいものじゃなくて、ただこいつは俺のものだってだけ。あんたを、変なのに危うく取られそうになっちゃったから。首輪だとか迷子札みたいなもんだと思ってくれればいい。誰だって、自分のものを他のやつに取られないように備えるだろう、それだけのことだ。あとから出てきた他の奴らに掻っ攫われないように、もうあんなこと起きないように、こいつは俺の飼い主だって、そういうしるし。それだけだってば。他に意味なんて何にもない。飼い主が馬鹿だと、飼われてるこっちは大変なんだよ。