小説
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もうすぐ君と、さようなら



窓から、温かい日差しがさしこんでいる。春の陽気だ。三月ももうじき終わる。そろそろこの辺りも桜が開き始めるころだろうか。

「ねえおそ松くん。桜が咲いたら、見に行きたいな」
「ん、いいよ。俺が連れてってあげる」

嘘つきだね、おそ松くん。そんなこと、出来やしないくせに。いつもそうだね、君は口ばっかり。カリスマになるだなんて言って、家でごろごろして、パチンコして、競馬に行って。でも、それでも良かったよ。良かったんだよ。君が楽しそうに「今日は負けちった」なんて笑うのを見るのも、好きだったから。だから、君がどんなにだらだらしても私は何も言わなかったし、きっと君も私のそんなところを気に入って一緒にいてくれていたんだろうね。

「桜を見ながらさ、お団子を食べようよ。ピンクと白と緑の、三色のやつ」
「えー、俺団子より酒の方がいいな」
「お酒も飲もうよ、出店でおつまみとかも買おう。一緒に桜見て、お酒飲んで、美味しいもの食べて、楽しくしようよ」

叶わないって知ってるくせに、私はそれに気が付かないふりをしている。
気が付かないふりをしていれば、知らないふりをしていれば、この楽しい時間が続くから。仮初の楽しさを、せめてもう少しだけ味わっていたかった。

「ねえおそ松くん、また明日も会ってくれる?」
「……うん、もちろん」
「本当?」
「何疑ってんの、ほんとだって。おれがお前に嘘ついたことあった?」
「たくさんあったよ」
「……あったな」

お互い顔を見合わせて笑う。おそ松くんはいつもみたいに歯を見せてくしゃくしゃの笑顔を作る。顔いっぱいで楽しさを、嬉しさを表すような彼のその顔が、私はたまらなく好きだった。

おそ松くん、私知ってるよ。おそ松くんが明日からもう来てくれないことも、明後日も一週間後も一か月後も、もうずっと私と会ってくれないことも、今日でお別れなことも、全部知ってるんだよ。きっと君は私のためにって嘘をついてくれているんだよね。私が、もう会えないと知って悲しまないように、泣かないように。でもそれって、おそ松くんが最後に見る私の顔が、泣き顔だったら気分が悪いからって言うただの君のエゴなんじゃないかな。弱虫だね、おそ松くん。意地っ張りで、強がりで、とても弱虫だ。

「それじゃあまた明日ね、おそ松くん」
「うん、またな」

またな、だなんて嘘つきだね。最後まで、黙ったままなんだね。それでもいいよ。私、君のそんな弱虫で自分に甘くて、本当は臆病で愛されがりなところも、全部全部大好きだったから。だから、かまわないよ。

君はどこに帰っていくのかな。兄弟が待っているあの家だろうか。それとも、私の知らないどこかへ行くのかな。
彼の背中が見えなくなるまで、私はずっと眺めていた。あと少し、もう少し、ずっと見つめていたのに、一瞬、瞬きをしたせいで彼はいつの間にか地平線に飲み込まれてしまった。


桜を見上げて喜ぶ私を、彼は呆れながらも笑って見守る。
海に行って、彼の顔に水をかけて、怒った彼は私に仕返しと水鉄砲をかける。
彼と、そんなことがしたかった。そんな風に、季節を過ごしたかった。
私と彼が過ごしたのは、秋と冬の半年だけで、君のことを少しだけしか私は知らない。けれど、それでも十分すぎるくらいに、どうしようもないくらい惹かれてしまった。もう会えないのに、馬鹿みたいだね。またなだなんて言われたら、私はきっとずっと君を待ってしまうよ。来る当てもない「また」を、期待してしまうよ。酷い人だね、おそ松くん。けれど、そんな酷い彼のことが、私は愛しくてたまらないのだ。

君が真夏の太陽を背中に背負って、私に手を伸ばす。彼の手を、私は驚きながらも笑って手に取る。
そんな白昼夢を見ながら、私は目を閉じた。
さようなら、おそ松くん。

彼とずっと一緒にいたかった。秋だけじゃなくて、冬だけじゃなくて、春も夏も、秋も冬も、何回だって彼と楽しみたかった。今となってはもう、全て遠い夢の話だ。



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