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爪を彩る紅



「なにそれ、なんで使わないの。俺の色じゃん」
「いや、赤って私の服の系統と合わないんだよね」

思い返してみると、たしかにこいつのふわふわした雰囲気に原色の赤い爪はたしかに似合わないかもしれない。

「じゃあなんでそれ買ったの」
「うん、おそ松の色だーって思って、衝動的に買ってた」

はあ、ずるい。ずるすぎ。こうやってさり気なく嬉しい言葉を落としていくから、俺はそれを一つ一つ拾っては胸の中で大事にしてしまうのだ。俺の色だと思って、思わず買っちゃったんだって、聞いた? チョロ松にアイコンタクトで伝えれば、睨まれた。多分、惚気んなクソ長男とか思ってんだろうなあ。

「じゃあ使わないならどうするの、捨てちゃうの」

俺の色だと思って買ったってのは嬉しいけど、よく考えたらいらなかったと捨てられるのは、正直辛い。すっかりその赤いマニキュアに感情移入してしまっていた。可哀想な俺。

「雑貨をデコるのに使ったりも出来るけど、そう大量に消費するものでもないし」
「捨てるんだ、可哀想」
「可哀想って何よ。じゃあおそ松いる?」
「いらねえよ、使い道ないじゃん」
「塗ればいいでしょ」
「男が爪塗るなんて気色悪いだろ」
「別に良くない?恥ずかしいなら足でもいいし」

やだって。抵抗は聞き入れちゃもらえなくて、彼女は俺をソファに座らせて、俺の足元に屈み込む。あ、このアングルちょっとやらしくて興奮するかも。

「塗りにくいからちょっと、私の膝に脚乗せて」
「いいの?」
「いいよ」

とん、と彼女の太ももにかかとを乗せた。体重がなるべくかからないようにしたけど、ふくらはぎが震えたので数秒で諦めた。彼女がマニキュアの瓶の蓋を開ける。筆と一つになったみたいな形の、特有の蓋を親指と人差し指で摘んだその手は、薄い桃色に染められていた。トド松の色じゃん、少し妬きそう。

「塗るから大人しくしててね」
「はいはい」

少しだけ、ヒヤリとした感覚が足の先に伝わる。爪先だけ濡れたような、そんな感じ。慣れない感触がむず痒い。親指から小指にかけて、一つ一つ俺の足の爪が赤に染まっていく。血のような赤だ。たしかに、こいつにこの色は似合わないなあ。こいつには、桜貝みたいな爪がよく似合う。途中で左右の脚を交代して、計10本の赤い爪が完成した。

「しばらく動いちゃだめだよ」
「俺のど渇いた」
「ちょっと待ってて」

あいつが一人一階へ降りていく。台所からお茶を一杯持ってきてくれるに違いない。それが出来る程度にはあいつはこの家に慣れ親しんでいた。

「なあチョロ松。見てこれ」
「赤いね」
「つまんねえ感想」
「だってそれ以外に何言えっていうの。女の子ならまだしもおそ松兄さんの爪に対して」

ご尤もなことで。

「お茶、持ってきたよ」
「ありがと」

もし手の爪も塗っていたら、ここで飲ませてもらうことも出来たのかもしれない。まあたらればはどうだっていい。

「これ、落とすときどうするの」
「リムーバーっていう、液体で拭えば落ちるよ」
「ふうん、じゃあ落としたいとき言うわ」
「うん、そうして」

この赤を落としてもらったら、次は他の色を塗るよう注文しよう。そうしてまた、こいつが俺の足元で俺の爪を綺麗に着飾らせるのを、ソファに踏ん反り返って見下ろしてやろう。目の前の男がそんな醜い計画を立ててるのを知らずに、こいつは赤い爪を満足げに見ていた。



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