社交界で通用するマナー、美味しい紅茶の入れ方、フィリップ王国の歴史、お城のこと。
同じ時間を過ごしていくうちに、本当は優しい人で誤解されやすいだけなんじゃないかと思うようになって。
…いつの間にか尊敬は恋慕に変わっていた。
もう、これ以上誤魔化すことなんて出来そうにない。
――クロードさん、私はあなたの心に触れたい。
●●●君と始めるワールドエンド●●●
(プリィズ プリィズ キャッチミー)自分の気持ちを欺くことは出来ないと覚悟を決めた×××だったが、幸か不幸かそれからしばらく城内でクロードに会うことが無かった。
この感情に気づかれて避けられているのかと思ったが、どうやら単に忙しくてあまり城内にいないだけらしい。
避けられていないと分かってほっとしたのも束の間、一度認めてしまった気持ちは加速して、想いはただただ募るばかり。
今日会えなかったら、一度シャルルのアパートに戻って気持ちを落ち着けよう。焦っていても変わらない。
「はー…」
何をするわけでもなく、ぼーっと廊下の窓から庭を眺めていると、向こうから足音が聞こえてきた。
ラフにジャケットを羽織る、金髪に青色の瞳の彼。…ウィル王子だ。
「心ここにあらずって感じだね」
「ウィル…」
「×××の考えている事、当ててみせようか?」
ふ、と目を細めてウィルが視線を廊下の向こう側に移した。
「クロードなら向こうの廊下で見かけたけど」
「…!!」
「どうやら正解だったみたいだね」
礼を言おうとする×××を制すると、ウィルは早く行くように促した。彼女の背中を押したのは自分。
来る日も来る日も想いを募らせるだけの彼女を見ているは辛かった。だから、最後にもう一押しを。
どうやら、女神は彼女に微笑んでくれそうだ。
「…お幸せに」
ウィルは可愛い妹分の後ろ姿にエールを送ると、彼女が走っていった方向とは真逆にある自分の執務室に歩いて行った。
*****
――間違えるはずのない背中が見えた。
「…クロードさん!」
「×××様、廊下を走るなと何度言えば…」
「ご、ごめんなさい…」
廊下を走るな。たったそれだけの、耳にタコが出来るぐらい聞かされた台詞がとても愛おしい。
しかしお説教を受けたいわけではない。×××は素直に非を認めて謝った。
「それで、どうかしましたか?」
「え?」
「私に用があったから、廊下を走ったのではないのですか?」
クロードに会ったら想いを伝えよう。そう決意した×××だったが、いざとなると何も言葉が浮かばない。
そもそもこれは用事に値するのだろうかと逡巡し始めた×××に、ふっと影が掛かった。
「……失礼」
クロードの長い指が、すっと×××の前髪を払った。額を掠めた指の感触に、×××の頬にかっと朱が走る。
「髪に埃が付いて…×××様?」
クロードの切れ長の瞳が、静かに×××を覗き込む。至近距離で見る彼の瞳は、やはり海の底に似た藍色だった。
綺麗だけど鋭くて、それなのに安らぎを感じてしまう。…×××の覚悟は決まった。
「クロードさんが好きなんです…」
口うるさくて意地悪で人を庶民やら小娘やらと見下してばっかりで。それなのに嫌う事が出来なかった。
ふとした瞬間に触れる、彼の優しさや慈しみ。執事という名の仮面が外れて、奥底に秘めた人間らしい感情が零れる瞬間が好きだった。
あの日ノーブル・ミッシェルのカフェで見せた笑み。先日のお見合い騒動で見せた激情。彼の秘めた感情に触れるたびに好きになっていく。
いつしか、×××の中にはクロードしか存在しなくなっていた。もしも誰かに身を委ねる日が来るのなら、彼の全てに身を委ねたいと思うほどに。
「クロードさんに好きになってもらおうとは思っていません。でも、私が貴方を好きでいる事だけは許して下さい」
少しずつでもいい。彼が引いた一線を越えていくことが出来れば――
きっといつか、その世界に触れられると信じているから。
「あの、突然こんな事言ってごめんなさい。その、忘れてもらっても…」
恥ずかしさと居たたまれなさで顔を伏せた×××。きっとクロードさんは呆れているんだろうなと思った×××だったが、クロードの視線に呆れは無かった。
そこにあるのは戸惑い、躊躇、逡巡。
気のせいだと言い張ってきた感情を認めたくなくて。
しかし無視は出来なくて――…
“クロード、これが最後通牒だ。”
クロードはあの日感じたウィルの本心を思い出した。彼女の背中を押したのも、ここに彼女が来たことも、おそらく彼の意志だろう。
もう、後戻りは出来ない。
――あぁ、それでも構わない。
「……独り言だと思って聞いて下さい」
「私にはウィル様と王家に仕えることが全て。それが世界だと言っても過言ではなかった」
「それは今この瞬間も何一つ変わっていない。ウィル様とスペンサー家の為に自分は存在している。…それ以外は必要無かったんだ」
静かに告げられる、クロードの覚悟。家も家族も自分自身も全部切り捨てて、ただ王家の為だけに生きてきた男の覚悟。
他の世界だなんて知るつもりなど無かったし、見る気も無かった。…そう、彼女に出会うまでは。
いけ好かない女だと思った。マナーも立ち居振る舞いも、気品の一つすら持ち合わせていない、市井に暮らす一般庶民。
嫌々ながら面倒を見ていただけなのに、どうして胸が痛むようになったのだろう。切り捨てたはずの感情が、少しずつ甦っていく。
「もしも新たな世界を見ることが許されるのなら、」
気づかないふりをしたあの日の痛みを恋だと言うのなら、この胸に抱える感情の名前はただ一つ。
割れ物の硝子細工に触れるかの如く、クロードは顔を伏せたままの×××を引き寄せた。
早鐘のように鳴り響く鼓動はきっと、世界の終わりを告げるカウントダウン。
「貴方を愛してる」
君と始めるワールドエンド
世界の終わりを君と共に。
End.
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ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました!
(後書きみたいなもの)
title by:夜空にまたがるニルバーナ