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ハリーがドアを閉めると、スネイプの「遅刻だ」という冷たい声が突き刺さった。

幸いなのかなんなのか、ハリーの頭の中は昨夜の夢のことよりも ここまで来る途中にあったアクシデントで頭の中はいっぱいだった。「ダンブルドア軍団」の情報を漏らした女子生徒について、チョウから詰られていたのだった。いや、詰られていたというよりはあれは責任転嫁されていた。マリエッタのことでチョウにもう少し言ってやるべきだったと思うばかりだ。
スネイプはというと、ハリーに背を向けて いつものように憂いの篩の中に自身の想いをしまっているところだった。あの中に、ディアナとの関係や死喰い人との繋がりを匂わす記憶を隠しているのだろうか、となんとも無しに考えてしまい、ハリーはかき消すように頭を振った。

「何をしている、杖を構えろ」

いつのまにか水盆を片付け終えたスネイプがハリーをその暗い瞳で見下ろしていた。慌ててハリーはいつもの場所に移動する。が、そこに邪魔が入った。ドラコ・マルフォイがスネイプに用事があったようで部屋へと入ってきたのだった。スネイプがわざと「補習授業である」とドラコに伝えたので、ハリーは自分の顔が羞恥で真っ赤になっているのがわかった。

アンブリッジから呼び出しがあったのだという。閉心術の訓練は明日の夕方へと変更になった。
それだけをハリーに伝えるとスネイプはさっさと研究室から出て行った。ドラコが部屋を出て行く際、くるりとこちらを振り返り、口の動きだけで「まほうやくの ほしゅう?」とニヤリと笑ってスネイプの後を追って言った。
訓練から逃れられたのは有り難かったが、明日にはハリーが魔法薬の補習を受けているという噂がたっている、という代償があるのでは手放しに喜べなかった。ハリーはローブの中に杖をしまって研究室のドアに足を向けて…足が止まった。

ちらちらとした灯りが、昨夜の夢で見た灯りにどうも似ているような気がして辺りを見回す。その灯りはスネイプの机に置かれた水盆の中から射していた。銀白色の煌めきが、中に吸い込まれ渦を巻いている。
スネイプの想い、それはハリーがまぐれでスネイプの護りを打ち破った時に、見られたくない記録。
ハリーは好奇心が湧き上がってくるのを感じた。スネイプがハリーが遅刻して現れた後もなお せっせと篩へと移していた、ハリーから隠したかったのは何だろう。水盆の中で銀色の灯りが渦巻き、壁に反射した灯りが揺らめいていた。

もしかしたら隠しているのは神秘部の情報なのではないか?
スネイプはスリザリン生で優秀なディアナを操って就職活動と偽って神秘部に侵入を試みた。しかし神秘部から攻撃を受け、ディアナは捕らえられてしまう。スネイプが安否を知っているのは魔法で操っていたから、杖で繋がっているせいではないか。
だとしたら、ディアナは政府に保護されているということなのだろうか。夢の中でコールマンという人が神秘部に匿っているのだという風に言っていた。それならば辻褄が合うのでは。
頭の中で合致したその空想に、水盆が乗った机の方向へと足が伸びる。

ハリーは背後を見た。心臓が昨夜の見つかりかけた時のように強く早く鼓動している。
ハリーは少し躊躇した後、耳をすませて、杖をローブから取り出した。そして、そっと憂いの篩へ杖先を浸したのだった。





手間取ってしまった、とセブルスは漏れる不機嫌を隠しもせず舌打ちをした。トイレに詰まっていたスリザリン生徒を救出し、状況を把握しようと話を聞いていると新校長がやってきて「彼は親衛隊のメンバーなのでわたくしが身柄を預かります」と掻っ攫っていこうとしたからだ。ダンブルドアも要らない置き土産をしたものだ。姿を消して暗躍するのであればマクゴナガルを頭に据えてくれればいいものを。お陰でアンブリッジのやりたい放題、授業スケジュールもめちゃくちゃである。最近になって一部生徒たちのアンブリッジに対する反抗で少しは胸がすく思いだが、それでも鬱陶しい。

セブルスは男子生徒から話をあらかた聴きだすと、「親衛隊だかファンクラブだか分かりませんが、彼がスリザリン寮生である事には変わりありませんので。トイレに詰まって疲労困憊している彼を休ませなければなりません」と彼女の要望を突っぱねて押し通してきた。後で何かしら嫌味が来ることは間違いないだろう。
それよりも、とセブルスは足を早めた。

あのハリー・ポッターのことだ。彼が研究室を出て行くのを見届けてから、自分も部屋を出るべきであったと 思わず爪を噛んだ。久しぶりにこの癖が出た。マルフォイ夫婦に世話になっていた頃に矯正された癖だ。ルシウスは根気強く付き合ってくれたが、ナルシッサは「子どもがやる癖だ」と見るのも嫌がっていた。姉のベラトリックス曰く、本人も指しゃぶりの癖があったらしく母親に厳しく躾けられたらしい。その頃が思い出されて不快なのだろう。

研究室のドアに手をかける。いつもは音のない静かな部屋に 風が渦巻く音がする。音の出所はすぐにわかった。机に置かれた水盆をハリーが深く覗き込んでいる。焦りや怒りよりも、血の気が引いて一気に冷静になった。
つかつかと歩み寄るとその二の腕を強く掴んで水盆から引き離す。これは唯一無二の唯一無二の魔道具だ、まがり間違っても 傷つけるわけにはいかない。

「楽しいか?」

ハリーの周りを漂っていた光の粒子がセブルスにも巻きついてくる。その粒子に反射して、今ハリーが見ていたであろう景色がセブルスにも見ることができた。
セブルスがリリーに言ってはいけない言葉を掛けてしまい、それに怒ったジェームズがセブルスを魔法でねじ伏せて辱めようとした時のことだ。あれは 屈辱的だった。

「お楽しみだったわけだな、ポッター?」

下卑た笑みを浮かべて学生時代の自身に躙り寄るジェームズから 青い顔をしてこちらを見上げたハリーへと視線を移し、ゆっくりと聞いてやる。くしゃくしゃの髪型、同じ顔立ち、すぐにつけ上がる性格。
怒りが一気に噴出する。

「お前の父親は、愉快な男だったな?」

掴んでいた二の腕を激しく引きつけて、怯えながらも真っ直ぐにこちらを見上げる目を覗き込んでやる。が、リリーと同じ色のそれに怯えたのはセブルスだった。
必死に言い訳を言い募るハリーを地下牢の床に投げつけた。

「見たことは、誰にも喋るな!」

自分が喚いている声がする。
ああ、だめだ。リリーにも癇癪を起こすことはよく叱られていた。あなたの嫌っているお父上を同じになってしまうわよ、と気遣わしげに合わせてくる、あの暖かなグリーンの瞳。あの小生意気で愛しいブルーエメラルドの瞳も困ったような色をして言っていたではないか。『「ハリーと反発して、レッスンが打ち切りになることが見えてましたので」』ーーこれは、あの時のことではなくこの瞬間のことを言っていたのではないか。
喘ぐようにハリーが「はい、でも、あのーー」と言い募っているのにさらに畳み掛ける。


「出ていけ、出るんだ!」

「でもスネイプ先生、ディアナとーー」

「お前の顔を見たくはない!来週もこの時間に訓練だ、今は失せろ!」


ハリーがなにか言いかけたが被せてしまった。
今なんと言った? はた、と気付いてセブルスはハリーを振り返ったが、彼はもうすでに扉へと駆けていくところだった。


「待て、ポッター! ディアナがどう」


バタン、とハリーが扉を閉める音にかき消され最後まで言い切ることはできなかった。奴は今なんと言った、ディアナ? ディアナについての記憶を見ただと?そんなもの、篩に保存した覚えはなかった。何かの記憶にくっ付いて入ってしまったのかもしれない。
怒り、焦燥、色々な感情がまた噴き出しそうになってセブルスは目を瞑り、手を握りしめた。
出来るだけ深呼吸をし、手の震えが止まったのを確認し、ゆっくりと机へと手を降ろす。
水盆は相変わらずキラキラとした不思議な靄のようなものを吐き出していたが、既に記憶の映像は失せていた。水盆に反射した自分の顔が随分とくたびれて見えた。


「セブ、また眉間に皺が寄っていてよ?」


鈴がコロコロと鳴るような笑い声が聞こえた気がして、セブルスはローブのポケットに手を入れ、黒水晶の磨き石(タンブル)のつるりとした表面を撫でる。
ディアナに渡したネックレスと同じ石から取れた片割れだった。
ディアナが姿を消してから2ヶ月、磨き石に濁りやひび割れなどの変化はない。紛い物を掴まされたということはないので、まだ生きているということだった。毎年毎年 何かしらやらかすので、保険をかけた。何も知らなければ ただの上質な水晶のネックレスである。
気になるところといえば、ゴーリングが何かを知っているらしいということだが タイミングが合わずにまだ聞き出せずにいる。そこのところはルシウスが交渉しているらしいので任せた。
癒者であることを振りかざしてちょこまかと逃げているらしいが、彼があの親馬鹿に捕まるのも時間の問題だろう。ゴーリングはあの方のお気に入りらしいので、ルシウスも手荒な真似はすまい。


「プレスタットのチョコレートなんてどうかしら?」


溜め息をついたからか、ディアナのそんな幻聴が聞こえた気がした。疲れた時には いつもタイミングよく甘い菓子を携えて茶に誘いに来たのが懐かしい。


「いくらでも淹れてやるから」


早く帰ってこい。
弱音を飲み込んで、自身にまとわりつくようにして漂う 水盆から出た靄を振り払った。








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