05



スピナーズエンドは相変わらず陰気な場所だった。廃液を含んだ淀んだ川が通っており、

近くには廃工場が不気味な古城のように佇んでいる。マグルの掃き溜めのよう、と形容されたのもうなづける。周辺に建つ工業区の労働者が暮らすオイルと埃くささのある街なのだ。
2人は家から少し離れた場所に姿現しし、夕闇に身を隠すようにして 帰路を急いだ。


「予知を強要といえば…」
「なんだ」
「研究所でミーティングをしている時にファッジ大臣がおいでになって、『魔法省に夢を提出しろ』とおっしゃったんです」
「それで?」

ディアナは今 そこに所属して夢の研究
を行っている。先日血清をつくっていた所とはまた別だ。
彼女の悪い笑みを見て、それだけではあるまいと気付いたセブルスが玄関の魔法を解除しながら先を促す。

「『わたしはあなたのお嫌いなダンブルドアに保護されている身ですが、その予知を信用していただけるのですか?』とお答えしたら、怒って帰ってしまわれました」
「ふん、」


2人とも家に入り、素早く鍵をかける。盗聴器が付いていないか、セブルスが魔法で一通り調べて何も出てこないと分かると やっと息をついた。セブルスは重たげにソファのほうへ歩いていって、四肢を投げ出す。ディアナはローブの下の魔法ポーチに入れていた荷物を、キッチンカウンターの上へと取り出した。


「ひと休みしたらご飯にしましょう、夫人から お夕飯分けていただいたんですのよ」
「ホースラディッシュ(わさび)の香りはそれか」
「あら、袋から漏れてる…」


中を魔法で拡大したポーチではあるが、液漏れなどは普通のポーチと変わらないので表面に染みとなって現れる。お気に入りのポーチだったのに と肩を落とすと、セブルスが杖を振って清め呪文を使ってくれた。それでもわさびのツン、とした臭いはしばらく取れないだろう。


「きっと階段から落ちかけた時に容器がズレたんですわね。……まさか、セドリックを引き合いに出されるとは思いませんでしたわ」
「気にするな、お前のせいではなかろう」
「それでも友だちでしたから。あんなに真っ直ぐ責められると少しグラつきますわね」


涙をわさびの香りのせいにしようとしたが 溢れたものは仕方ない。目の下を拭いつつ 潔く吐露すると、セブルスが両手を広げた。
なんのことか、と思案していると「来んのか」と呟かれ、ディアナはようやく合点したようにその腕の中に収まった。
先日のあの夜から2人のパーソナルスペースが だいぶ狭まったのは感じていたが、こんな風に自分を慰めてくれるセブルスも珍しい。
精神が落ち着いてきて、ディアナが冗談でもひとつ言って 離れよう思っていると、節くれた大きな手がディアナの背中をひと撫でした。ぞくり と粟立つ感覚に ひん、と甘い声が漏れてしまう。その恥ずかしさにディアナはセブルスの胸に顔を押しつけた。
双方無言の時がすぎて 最終的に にやり、と彼が笑う気配がした。これはよろしくない、とディアナが離れようとするが、腰に手を回されてこれ以上引くことはできない。まさか、と身構える。緊張で心臓の音がうるさい。
しかし 期待したような刺激は来ず、セブルスは両手をあげてディアナの体から手を離した。いきなりの事にディアナはぽかん とその顔を見上げる。



「…なにを期待している」

面白がるような呆れたような声が降りてきて、指先でおでこを叩かれた。痛い…というよりは予想外のことに咄嗟に言葉が出ない。


「期待していたのかね?」

意地の悪い顔をしているセブルス。何事もなかったかのようにするりと解放されてディアナは慌てて体を離した。安心と物足りなさでごちゃごちゃになりながら、ディアナは乱れた髪に指を通して落ち着こうとする。セブルスは愉快そうに口の端を上げて それを眺めていた。余裕そうな体が腹ただしい。いや、下心があるのはディアナのほうなのだ。そう、セブルスはディアナを慰めようとしただけ。ディアナが勘違いをしただけだ。


「涙は引いたな」
「…やだ、もう。寝る前にルバーブ・クランブルケーキが食べたい」

ウィーズリー夫人が「手伝ってくれたお礼に」の多めに持たせてくれたケーキだが、やけ食いしたい気分だった。









さきほどの甘い悲鳴はかなり下半身にキた。そういう欲は薄い方だが、セブルスも男だ。涙を浮かべて他の男の名を言うそれに、ぐずり と胸が疼いたそれは まごう事なき『嫉妬』だった。相手はもう亡いというのに。悄気ている彼女を見たら揺らいでしまった。
今 ディアナは目の前でケーキを食べている。無言で、湖畔の瞳をじっとりとセブルスに向けて。からかい過ぎたか、と それから目をそらしつつ 濃いめにいれたコーヒーをすすった。

『預かり物』である彼女に手を出してしまった時点で、セブルスの大人としてのプライドはズタボロなのだが、なけなしのそれをなんとか振り絞った結果がこれである。
形の良い桜色の口へと消えていくルバーブジャムのケーキ。それが官能的に見えるあたり、セブルスもまだ引きずっている。どこでこうなったのか。

知り合いの愛娘は成長するごとに 自分へ甘く微笑む女性へと開花した。惹かれているのは抗いようのない事実だ。と同時に、自分には過ぎたものだと思う。
闇に浸かり、人道的に許されないこともそれなりにしてきた。なによりも、目を瞑ればいつでも思い起こせる たっぷりとした赤毛の幼馴染みーーリリーの幻影が セブルスを赦さない。彼女が生きていれば「人のせいにしないでよ」とでも言いそうだが、大切なリリーを自分のせいで失くした という事実が セブルスを搦めとる。いま目の前にいるのは、こんなにも絆すような好意をむけてくる 年下の少女だというのに。


「セブは食べないんですの」
「ルバーブジャムは好かん」
「好き嫌いわかれますわよね。…ん、ご馳走様。せっかくお夕飯も お裾分けしてもらったのに、これは明日の朝食ですわね」

大きめのワンカットをペロリと食べきって、食器をシンクへと持っていく。こういうところが おかしいものだとセブルスはつくづく思う。彼女は魔法界の大貴族の出なのだ。望まなくても与えられる、満ち足りているはずのご令嬢が なぜ炊事洗濯・身の回りのことをひと通りこなせるのか。
ルシウスは自分の愛娘が下女のようなことをするのを嫌がるはずだ。ではナルシッサの教育方針なのか。いや、ブラック家の出自を持つ彼女だからそれはあり得ない。またいつものようにこそこそと身につけたのだろう。ディアナがまとめる情報収集サークルも、名目上は上流階級の箱入り娘たち相手に家庭魔法なんかを練習させるというものだったはずだ。蝶よ花よと育てられたディアナが なぜ暗躍なんてイバラの道に自ら進もうとするのか。その特殊な能力をもつことの負い目もあるのだろう。


(なんて不器用な)

愚直すぎる自分がいうのもなんだが、なんて不器用な生き方か。それでも自分で切り開こうとするその生き方がセブルスには眩しかった。償いのために生きる自分とは違う。
いかに惹かれていようと、どんなに好意を向けられようと 自分と道を交えてはいけない存在なのだ。胸をジワリと焦がすような痛みを振り切るようにして、セブルスは目を閉じて頭を振った。


「セブ?」
「食べ終わったなら寝ろ。消灯する」
「はい 寮監殿(イエスサー)」


傷付きたくないからと 目をそらしているのはお互いのくせに。客室へと消えていったディアナを目で追いながら、セブルスは照明のスイッチに手をやって小さく息を吐く。
パチリ、と軽い音とともに闇に包まれた。









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