貴様は誰だ。初対面ってわけでもないのに奴の口から出てきたのはやっぱりそんな言葉。よう石田、と口にしかけていた言葉を引っ込めて、今日も自己紹介をする。わざわざ英語を使って。

「マサムネダテ?」
「おう、伊達政宗だ」
「ふん」

それで、まさむねとやらが私に何用だと白い部屋でそれよりも白い顔をした石田は俺に問いかける。頭には包帯、腕には点滴、足にはギプス。この前階段の降り方を間違えて、盛大に転げ落ちた時の傷はまだ治っていない。顔色を見るに血も足りない。睡眠も足りない。多分また、あまり寝ていないのだ。

「one more please」
「は?」
「もっかい俺の名前呼んでみな」
「………?ま、さむね、だて?」
「No、伊達政宗な」
「そっちか」

なんだ、私に名前を呼ばせてなにがしたい、と不平を言いながらも伊達政宗、と石田は素直に俺の名前を呼んだ。前世じゃ考えられないような素直さだぜと奴の頭をぐしゃぐしゃ、傷に触らないようにしながらも撫でるとバシ、とその手が叩かれる。

「おー、いて」
「何をする!」
「Sorry、いや、なに。お前はあれだな」
「?なんだ」
「こっちのほうが可愛げがあるな」
「なんの話だ」
「こっちの話さ」

ほら、見舞の品だとわざわざ持ってきた果物の詰め合わせを石田の眼の前に掲げる。いきなり目の前に現れたそれにぱちぱちと目を瞬かせた石田は、何故こんな知らない男が私に見舞の品を、と言いたげな顔をしながらちゃんと礼を言ってそれを受け取った。

「まぁ、この間よりは元気そうで何よりだ。また明日来るから」
「あ、ああ………」
「see you」

ひらひらと手を振って病室から退室する。病院を出る途中で家康とすれ違って、あいつまた忘れているぜと報告すれば家康は困ったように笑った。

「知っている。ワシも刑部も、朝一で貴様は誰だと言われた」
「なんだ、あんた朝も来たのか?」
「ああ、家も近いしな」

しかし刑部は駄目だな、すっかりショックを受けている。と家康は肩をすくめた。

「お前は?」
「ワシか?ワシは、そうだな。殺すとか憎むとか、そういう事を言われないので嬉しいが、悲しいと思っている」
「Ah……」
「ベッドの上で安静にしている点では安心しているんだがなぁ、しかし、」
記憶喪失ってのは頭を叩いたら治らんかなと真面目な顔をして言うその頭を殴る。古いテレビじゃねーんだぞ!と叫ぶとすまんすまんとこちらに謝ってきたのはいいが、俺には分かる。その目はマジだった。多分俺が止めなかったらこの硬い石頭で石田の頭に頭突きでもしてたんじゃないだろうか。

「………大谷とお前には悪いが、俺は石田はあのままのほうがいいんじゃねーかと思う」
「何故だ?」
「そのほうが…………いや、なんでもねぇ。悪いな」
「いや、気にするな」

確かに記憶がない今の三成の方が健康で、具合が良いのだ。そう言って家康はからからと笑った。戦国時代にこいつと敵対したまま死に、そうしてその記憶をまるっともって生まれた石田はやっぱりこの眼の前の男をバラバラにして、燃やして、骨まで砕いて地面に叩きつけても足りないようなそんな憎しみを抱いていた。豊臣の奴らが家康を許す、と言ってもだ。

「そういえば昨日、秀吉や半兵衛が来たのだ」
「へぇ」
「やっぱり、分からなかったみたいだけどな」

病院内の自販機の前にたって、家康がボタンを二度押す。スポーツドリンクと、カフェオレの缶。その片方を俺に手渡し、家康はもう片方の缶のプルタブを開けてそれを飲んだ。手の中の缶を見る。カフェオレ。

「あいつは、丸っきり別人になってしまったようだ」
「…………まぁな、俺の名前もちゃんと呼ぶ」
「あ、ああ、それはまぁ、三成は、その、な」
「ヘタな慰めはいらねぇよ。今でも腹が立ってるが、石田はそういう男だろ」
「………うん!」

そう、絆だ。と家康は勝手に何かに納得して、空になった缶をゴミ箱に放り込んだ。俺達以外誰もいない待合室にからんからんと軽い金属が落ちる甲高い音が響いて、どちらともなく一瞬無言になった。

「………………」
「………………、じゃあ、俺、そろそろ行くから」
「ああ、またな。独眼竜」
「またな、権現殿………あと、これを石田に渡しておいてくれ」
「………?これ、ワシがお前にあげた、」
「どうせいつもあいつに買ってってんだろ。俺はこういう物は飲まねぇんだよ」
「あ、」
「俺の好きな飲み物は?」
「………コーヒー」
「正解」

手のひらの中でいくらか温まった缶を家康に押し付けて、外へ向かう。自動ドアを潜りぬけ、なんとなしにそこで大きく息を吸うと生暖かい外気が肺を満たした。対して良いものではないが、それでも病院のどこか死の匂いがする空気よりはましだ。

「あんなとこにいたら良くなるもんも良くならねぇと思うんだが……」

石田の病室と思われる場所を見て、目を細める。頭を打って記憶中枢の螺子を2、3個ふっ飛ばしてからの奴は、記憶と言う拠り所を無くしていかにも頼りない。ふっと消えてしまいそうな心もとなさを感じさせるのだ。あの凶王三成と呼ばれた男が、だ。自分の名前を比較的素直に呼ぶことと言い、どうも気持ちが悪い。

「やっぱ早く元に戻るべきだな」

今度家康と真剣に石田の頭をぶん殴って直す方法を考えよう、なんて石田からしたら不穏なことを考えながら帰路につく。あいつは、明日俺が病室を尋ねた時、きっと俺のことを覚えていないに違いないから。




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