僕ら薔薇色の日々


序章
おおさか夏の陣前





初めて出会った時に何かがパキ、と音を立てて割れる音がしたのだと思う。元から薄い氷の上に立っていた精神だった。

「・・・・あのさ」
「ん?」
「俺、今の自分がまだ、すごく辛い」
「・・・・うむ」

肉体の重みに耐えきれずに、薄い氷から音がする。春の訪れは未だ遠い。それにも関らず湖の上には薄氷しか張っていない。極寒の冬の中で、その身一つだけで外にたたずんでいる。足元からは心の音がする。小さくきしむ氷の上で、何もない真っ白な景色を見ながら息を吐く。ふう、と白く濁ったため息が風に飛ばされて大気へ混じっていく。

「でも死ぬのも怖い、すごく怖い、終わりがなかったことが、凄く怖い」
「・・・・・・・」

こんなのやつあたりだ、そんなのは分かってる。でもどうしても口が止まらなくて、何も言わずに聞いてくれている同胞の顔を覗き込む。薄茶色の瞳の中に、自分の顔が映っている。ほっそりとした、男にしては男らしくない顔・・・。

「でも俺ね、あんたに合わなかったら多分死ぬのなんて怖くなかったんだよ」

同じ存在に出会ってしまった。自分だけが、次を生きているわけではないと知ってしまった。その立場以外は何もかもが同じだった。自分の瞳の中に映る女性の顔はしっかりとした顔立ちの青年だ。

「……それは、どうして?」
「この世に一人きりだったら、割り切れたんだ…」

たとえ次があっても、自分を押し殺して生きていけた。自分はたった一人なのだと思っていたほうがおそらく強かった。

「また次があるかもしれない、なんて考えるだろ。で、そこにあんたはいないかもしれないだろ、そしたら一人ぼっちだ」

自分だけが異質になってしまう、正常な周りのなかで自分だけが異常だ。自分だけが理解してもらえない、心の奥底に秘めた秘密は誰も信じてはくれないだろう。夢物語だ、記憶を残したまま転生、なんて。

ぽた、と板張りの床に水滴が落ちる。苦笑されて、頬を拭われる。ごつごつとした手だ。生前の彼女はどんな女性だったんだろう、と思いながら優しい手が涙を受け止めるのをただただ甘受する。おいで、と言われて目の前の体に抱きつく。嗅ぎなれた香りがした。

「それで」
「……うん」
「それで、どうしてほしい?」

私に言ってごらん、と母親のような優しい声。背中をなだめるように撫でられる。醜い嗚咽が漏れた。瘧のように体が震える。

「……し、死んでっ、死んでください、お、お願いします。い、死んで…」

右足がとうとう氷を踏みぬいた。一緒に死んでください、と着物を握り締めた。紙のように薄い氷が割れて、一気に下半身が水の中に沈む。手を握り合って死ねば、また同じ世界に産まれることが出来る気がする。きっとまた境遇は違うんだろうけど、産まれることが出来る気がする。どこに居たって探す、だから、と乞い願う。背中を撫でる手が一瞬止まって、ふ、と微かに笑う気配。

「いいよ」

一緒に行こうか、と耳元で囁かれる。出会ってから、その人となりを知ってからずっと思っていた事だった。安堵でまた目から涙がこぼれた。子供のようにしゃくりあげて泣いた。凍った湖の上にはもう、誰もいない。

 next

[back]