オルフェウスの話は、もちろんイザナギノミコトとイザナミノミコトの話の後に、先生が『そういえば』とかなんとか言いながら話してくれたんだ。ヅラはクソ真面目に興味深がってたし高杉は『死んだらそんで終わりだろ』ってそっぽ向きやがった。

 俺は幽霊とかそういうのはアレだけど(アレなだけだから、怖いとかじゃないから)、この話だけはなんだか身近な気がして、こんな綺麗な世界よりずっと本当な気がして、しばらくはどっちの話もせがんでみたり珍しく本読んでみたりした。
 それで、先生は俺に尋ねた。銀時はどちらの話が好きですか、と。
 好きなわけねーだろ、死人を迎えに行って断られたっつー、そう言っちゃ身も蓋もない話だけどめでたしめでたしな話じゃねんだから、と答えたら驚かれた。変な先生だった。いつものことだけど。

 特にひとつ、いつも引っかかることがあった。どっちの妻も帰りたかったんだ、現世に。イザナギは約束破ったけど、醜さにビビったんじゃなくて死者と生者の違いを目の当たりにしちまったんだと思う。自分の愛する人は、自分と同じ世界で暮らせる体じゃなくなっていた。だから捨ててきた。そして黄泉の国と現世の境目を定めた。
 必要だったから。
 たとえ妻を見捨てても、その境目は後世に必要だったから。
 その点オルフェウスは図々しいと思うんだ。みんなが泣いて同情してくれて、この夫なら妻を返してもいいよね、って決まったからひとつだけ約束して返してやったのに、『ついてくるかどうか不安になり』振りかえった。妻は地獄の底に引き戻された。
 信じてただろうに。つまりオルフェウスは妻を疑ったわけだ、ホントについてくんのかなって。妻にとっちゃ堪ったもんじゃない、冥府から呼び戻してくれるモンだと思ってたら疑われてたなんて。

 そう言ったら先生は笑った。銀時は黄泉の国には迎えに来そうにないですねって言ってた。当たり前だろ面倒くせえと答えた。怖いわけじゃなくてアレなだけだから。
 死者と生者の間には境目がある。



 でも現実は、生者と生者の間にも境目はあるんだ。
 俺と土方は現世と冥府ほどに離れている。近づくことなんて出来ない。

 その土方が、自分を見ろと言うんだ。あのときの俺の言葉をそっくり使って、俺を見ろ、と。それは、堕ちるところまで堕ちた俺に、俺がまたあんなことをやらかさないように、罪悪感を常に掻き立てておく方法なのだろう。そう要求するだけのことを、俺はしたんだし。

 俺の生涯を、俺なんか好きでもなんでもないお前に尽くせとお前は言う。俺がお前に惚れたことを、お前が嫌うのは仕方ない。お前が男に好かれたくないと思うのは自由だし、お前の嫌悪はよくわかった。
 それでも一度害を及ぼした俺は、少しも自分を守っちゃいけねえのか。ここでこいつの言う通りにしてみろ、いつ放り出されるかわかんねえ不安だの恐怖だの嫉妬だのに揉みくちゃにされ続ける人生を終えるわけだ俺は。そんなに俺が憎いか。憎いなら遠ざければいいだろ。傍に置くのは土方にも辛いだろうに、それより俺の七転八倒ぶりを眺めて溜飲を下げるほうを選ぶのか。


 土方を詰れる立場じゃないのはわかっているのに詰った。文字で詰った。土方は途中で違うことに意識が行っちまったようだが最後まで言い切った。
 土方がボードを取らなくなった。口を動かしている。バカなんだろうか。もう忘れちまったのか。苛立たしい。耳が使えたら、声が出たらこんなにイライラしないのに。

 土方はナースコールを押す。そして俺に向かって身振り手振りで何かを言おうとする。ボートを差し伸べてやると怒ったように振り払い、自分の喉を指差し――次に、俺に指を向けた。


 意味なんぞ、わからなかった。
 ああ俺は、お前の言葉を理解した試しがなかったよ、土方。
 心配だとか後ろめたいとか、好きだとか。
 全部俺の都合ばっかりだった。

 上手くいかなくて当たり前だ。
 今ごろそんなことに気づいても、遅いよな。


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