また、医者やらなんやらが急いでやってきて俺を取り囲んだ。その中には、土方に何かを尋ねるナースもいた。
 ああ俺の悪事、バラされちまった。
 それしか心当たりはない。
 土方にとって俺は害悪だから、遠ざけられるんだな。俺が図々しくも詰ったりしたから、土方は身の危険を感じて俺を遠ざけるよう、病院に申し出たんだ。


 好きだったよ。ほんとは今でも好きだ。
 でも、もう忘れる。それがお前の答えだから。最後にもう一度だけ、顔が見たい。
 そっと視界の隅で土方を探すと、土方の強い視線とぶつかった。たぶん、怒りだろう。確かめる度胸はなかった。いっそ視界も塞がればいい、と思った。
 ところが俺が強制的に乗せられた車椅子は部屋の外に行きかけて、止まった。俺の手を暖かいものが包み込む。目を上げると、土方がいた。


 怒りの色はなかった。これは、なんだろう。哀れに思ったのか。気まぐれを起こして、少しは情けをかけてやろうと思ったのだろうか。
 と思ったのはほんの少しで、土方は俺に何か言葉を発していた。そして、伝わらないとわかると、握った手を、土方の、頬に――俺の手は、土方の、ほんのり湿った頬に、押し付けられた。
 手離すのを惜しんだ、と見えたのは俺の希望寄りな見方なんだろうか。静寂が痛い。もし、聞こえたら、この成り行きがすべてわかるのか。

 次の動作も突然だった。

 土方が不意に、顔を寄せてきた。と思ったら、俺のほっぺたに土方の頬が、頬がなんて可愛いモンじゃなくて骨同士が、ガッチリくっつけられた。
 なにしてくれてんだテメー。俺はさっき、何度目かわかりゃしねえ誓いを立てたんだ。お前のことは忘れようと。お前が好きだったのは、過去のことにしようと。そんなのにテメーなにしてくれてんだ。ほっぺたくっつけるとかあり得ねえだろ。なんで学習しねえんだそうやって隙見せるから俺に襲われんだぞ。


『戻ってこい。待ってるから』


 頭の中に、土方の声が響いた。
 土方は離れていく。そして、じっと俺を見る。俺も、土方に見入る。


 ――骨伝導か


 今聞こえたのは、確かに土方の声だった。耳を通していないとは思えないほど、懐かしく鮮やかな、土方の声だった。








 看護師や入院患者のオバサンや、ちょうど配膳を下げにきたオバちゃんが黄色い声を上げるのは聞こえてた。
 だがンなのは知ったこっちゃねえ。
 坂田の耳に届けたかった。俺はもう一度お前と話がしたい。もう一度、二人で酒が飲みたい。あの店で料理を突きながら、俺が切って捨てたばかりに聞きそびれたことを、ゆっくり聞きたい。そして俺の話も聞いてほしい。


 だから帰って来てくれ。待ってる。
 今度は待てる。
 いや、いちばん初めっからテメェは俺を散々待たせてたじゃねえか。俺は文句を言いながら、いつもお前を待っていた。簡単なことだ。今度だって待てる。
 俺はバカだった。最初からお前に醜いところを見せたくなくて、逃げてばかりだった。お前の独り言を聞いてしまったとき、俺は喜んだ。お前が俺を気にかけていると知ったから。それが好意的な気にかけ方かどうか、自信がなくなって揺らいだ途端、俺はお前の顔を見られなくなった。


 死者は生者を縛らない、とは総悟が言ったのだったか。

 ミツバは死んだのだ。あの日、屋上で、俺と共に最後のせんべいを食って、あの世に行ったのだ。女々しく縋ろうにももはや姿はなく、儚くも真っ直ぐなこころも、ここにはない。
 遺された者の胸のうちにそれぞれの思いが残るけれど、それはミツバの実体ではないのだ。


 幻のミツバを想う振りをして現世から逃げた俺を、坂田は手を引いて現世に連れ戻してくれた。そりゃあ無茶苦茶なやり方で、俺には考えもつかない方法だったから、俺はお前の手を何度も跳ね除けた。
 そうして遠くに行ってしまおうとするお前の手は、今度は俺が引く。
 どこまで引いていけばいいか、実はあまりわからない。それでも今、お前がいる場所より明るくて暖かい場所が必ず見つかると思っている。


 もしかしてそれは、天に帰ったミツバが俺たちの手を引いて明るいところを示してくれた所為かもしれない。




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