翌朝、飯の時間に変化があった。
昨日は……と思い返してみて、夕食時に総悟が来てたことを思い出した。俺は遅れて病室に戻り、その時にはもう配膳されていたのだった。
隣に配膳されている。
だが声は一切聞こえず、職員も声を掛けない。他の患者にはひと言ふた言あるっつーのに。少なくとも俺にはな。よく考えたら他のベッドではおしゃべりしてく配膳係のおばちゃんが、俺にはチラ見だけで速攻帰る。くそ、きっと総悟の『真選組枠』のせいだ。図々しい患者とか思われてんだきっと。
だとすれば隣に声が掛からないのも頷ける。真選組枠だから。図々しい枠だから。ホントあのガキいっぺん殴りてえ。泣けてくる。
だが、もし万事屋が目を覚ましたのなら奴にとっては不可解な扱いのはずだ。奴のことだから文句のひとつも言いそうなものだ。しかしそれらは聞こえてこない。それどころか物音がしない。
何があったのだろう。
食事のあと、医者が回ってきたがその時も万事屋との会話はなかった。医者が看護師に指示する声しか聞こえなかった。内容は、医療用語だからイマイチ理解できなかったが。
次に俺のカーテンを開けたスタッフは、俺にはあれこれ聞いてきて面倒だった。早く退院させろ、まだダメだの応酬を相変わらず繰り返してお役御免になった。
視線を感じて隣を見る。
万事屋はベッドを起こし、明らかにたった今視線を背けたところだった。
目ェ覚ましたのか。そりゃ驚いただろうな。やっと少し回復したと思ったら、俺が隣に寝てるとは。
看護師がカーテンを閉め忘れたのか、『真選組枠』だから気を利かせたつもりの大きな世話だったのか、ちょっとしたイヤミか、しばらく俺は万事屋とスペースを共有してしまった。
震えるな、体。
なんてこたない。こんなん、慣れればいいだけだ。この先万事屋を見かけることは何度もあるだろう。その度にこんな震えてたら、鬱陶しいだけだ。
「おい」
立ち向かえ。そして慣れろ。
万事屋に、無価値と思われることに。
「よく寝てやがったな」
無視された。一度や二度でめげるな。稽古と同じだ。繰り返せ。
「ガキどもはいいのか」
突然、万事屋はこちらに視線を寄越した。そして少し驚いたようだった。
「メガネが初日に来てたぞ」
少しの間俺に注目した後、万事屋はベッドに寄りかかったまま下を向き、ペンを取った。
口も利きたくないってことか。
どうしよう。どうすればいい。辛い。苦しい。震えるな体、怯えるな。ああ……思い通りにならない。
万事屋は小さなホワイトボードを俺に見せた。
『耳と声をやられてる』
どういうことだ、と口から思わず返答をしてしまった。
『聞こえねーし、しゃべれねー』
だから……誰も話しかけなかったのか。
筆談用なんだな。そうか、筆談だから声もなかったし話しかける奴もいなかったのか。
いつ目を覚ました? どうしてそうなった? いつ、治る?
会話を成立させるには、俺が万事屋に近寄って、あのホワイトボードに書き込まなければならない。手近に紙も筆もないから、俺が今すぐ何か伝えるとすればそれしかない。
なのに脚が震える。ベッドに座ったはいいが体が支えられない。
万事屋はまた何か書き始めた。今度は短かった。
『俺のせいか』
いつもの間抜けな面じゃなかった。沈んで、顔を歪めて、痛ましげに俺の震える足元を見ていた。
これなら文字なしで答えられる。俺は首を横に振ってみせる。だがそれだけでは真相を伝えられない。すべてを明かせない。
よろめく脚を踏みしめ、叱咤し、万事屋に近づく。
奴はまた言葉を書く。
『無理すんな』
また首を横に振る。今のはあまり意味が伝わらないだろう。
『意地張るな 戻れ ついでにそこ閉めろ』
今度も首を振る。万事屋はただ見つめる。そして、
『俺が悪かった 許さなくていい 無理はするな』
違う。ちがう。そうじゃない。
どんなに首を振ってみせても通じない。言葉でなければ通じないのだ。
隣のベッドに辿り着くのに、どれだけ時間がかかっただろう。
俺はホワイトボードを手に取った。
『俺を見てくれ、坂田』
坂田の目が、極限まで見開かれた。
次へ
目次TOPへ
TOPへ