2 『マヨラ。マヨラー! 電話に出るアル、いるのは知ってるネ……おい何すんだ新八ィ』 『……ぃから黙って、あ、土方さんおはようございます、すみませんけどお昼過ぎにそちらに伺いますんで、あの』 ぷーっぷーっぷーっ (バッカじゃねえの) 携帯なんだから居るに決まってんだろ。つうかなんであいつら俺の携帯知ってんだ。総悟のヤツ今日はシバく。伺いますって、丁寧に言やいいってもんじゃねえし、だいたい留守電ってのは制限時間があるって知らねえのかボケ。 (来んじゃねえ) 目を覚ましたときは十一時を回っていた。 腰が痛んだ。内股も。でも、身体は綺麗にされていて、剥ぎ取られた部屋着もきちんと着せられていた。氷らしきものが浮かんだビニール袋が、タオルに包まれて転がっていた。 (目……か、) 腫れた目蓋を冷やして行ったのだろう。 全部、あの男が、あの手で、 (ダメだ、もうすぐガキどもが来る) そうだ。 今日こそ一人で好き勝手にできる。 坂田を気にせずに顔を洗って。遅い朝食を楽しんで。坂田が手離さないからなかなか読めない新聞をじっくり読んで。歯を磨いて、厠へ行って、 ――坂田がいないと、静かすぎる。 気づけばぐっと涙を飲み込んでいた。 山崎から着信だ。 なんだって今日に限って電話してくんだ。今日こそ放っておいて欲しかった。しかし、重要な案件なのだろう。 『もしもし? マヨラー起きたアルか?』 「……なんでテメーが」 『……っと代わって! あ、土方さんおはようございます。志村です』 「ウチの山崎は無事だろうな」 『え? ああ、もちろんです。お邪魔する前に連絡したほうがいいと思って。公衆電話使おうにもお金ないんで、山崎さんにケータイ借りました』 「ああ、そう……」 気の毒に。 いや、それどころではない。 「あー、悪いんだけどな……」 『銀さんにはちゃんと断ってきました。土方さんと三人でご飯食べてくるって』 「……銀時は?」 『いいって言ってましたけど。ダメですか?』 そういう新八の声にかぶさって、近所の八百屋が白菜安いよ!と叫ぶのが聞こえる。 (来る気満々じゃねえか) 断る気力がない。 好きにしろ、と投げやりに答えて携帯を放り投げた。 布団から出なければ。 子どもたちがくる前に、顔を洗って歯を磨いて、 (ぜんっぜん俺の好きにできねえ) 腹立たしい。 他人のために我慢することに我慢ならない。 (勝手にやってろ) 坂田だから我慢できた。文句もあったが楽しかった。如何に坂田に近しくとも、今日は子どもたちを許せる気がしなかった。 改めて布団を被り直した。どうせ坂田に鍵を渡されているだろう。出る必要はない……自分が出たくなければ。 今頃あの角を曲がっているだろう。公衆電話も使えないほど小遣いがないのだろうか。万が一途中で何かあったら、ここにも万事屋にも連絡しようがないではないか。山崎は気を利かせて送り届けるだろうか。 (遅くねえか……?) 自分の足ならもう着く頃なのに、子どもたちは来ない。事故に遭ったのか。まさか。それとも総悟が襲いかかったか。それなら山崎が止めるはずだし、メガネも一応常識人だからチャイナを止める、はず。 (来るなら来るでサッサとしろやアァァァ!?) 布団を跳ね除けて飛び起きた。とりあえず顔を洗って髭を剃り、歯を磨いて新聞受けから新聞を取った。別にしたくもないのに厠に閉じこもり、大江戸新聞を隅から隅まで読んだ。とりあえず沖田はニュースになってなかった。アニキの最新作が来年公開されるらしい。高杉も見当たらない。 土方の不満はやはり坂田に向く。子どもたちを遣るくらいなら、昨日自分で言えば良かったじゃないか。俺が隠し事してると言わんばかりだった。そうじゃない。はっきり言ったではないか、『言いたいことがあればハッキリ言え』と。 子どもたちは来ないし、イライラは募る。 いっそ二人を探しに行ってそのまま万事屋に行くか。 「こんにちはー」 「ちわーアルよ」 「遅えわァァァ!? どこほっつき歩いてやがんだボケェェェ!!」 子どもたちは驚いて目を丸くしている。しまった。俺は保護者か。 「クソ天パは?」 「今日は店番……て、あれ? 銀さん言ってませんでした?」 「聞いた!」 「じゃあそーいうことネ。私お腹空いちゃったヨ、ご飯炊いていいアルか?」 「勝手にしろ! クソ天パは来ねえんだな!?」 三人でここにダベっていたのに。当然のように定春もいて、ここはペットOKじゃないから、といくら言い聞かせても連れて来たのに。 「あー……神楽ちゃん。ちょっとだけ我慢して?」 「なんだと。炊飯器が先ネ」 「うん、でも。土方さんが」 「勝手にしろって言ってるアル。私お腹ペコペコ」 「……なんだ?」 勝手にしろとは言ったが、家主である自分をそっちのけにした会話は面白い訳がない。ただでさえ気分は悪いのに。土方はほとんど殺気を籠めて、子どもたちを睨んだ。大の男も怯えるその目付きにも、子どもたちは(特に空腹の神楽は)意に介さないようだ。 「じゃあ僕が先に始めてるから。神楽ちゃん、ご飯セットしてきて」 「あいさー」 「だからなんだ!?」 坂田専有の台所に遠慮なく入っていく神楽にも腹が立ったし、どうやらここに来るまでに、坂田を含めて相談をまとめてきたらしい新八の落ち着きぶりも癪に触る。泣きたいくらい腹が立つが、叩き出せないのも事実。 新八はそんな土方の葛藤を知ってか知らずか、淡々と切り出した。 「あのですね、ご相談なんですけど。ここを引き払って、万事屋に引っ越しませんか?」 「……は?」 咥えていた煙草を危うく落とすところだった。 「屯所から遠くなりますし、不便はあるかもしれませんけど……銀さんは、土方さんがいいって言ったら考えるって言ってます」 「テメーら、どういう……」 「マヨラー。銀ちゃん二軒分の家賃払ってるから余計貧乏になったヨ」 台所から戻った神楽は身も蓋もない言い方をして、新八に咎められた。 「貧乏ってわけじゃ……ただ、当初思ったより光熱費は節約にならないし、仕事柄急に依頼が増える訳でもありませんし」 「だからこっちは俺が持つって言ったのに」 「それじゃ銀さんがヒモみたいじゃないですか。実際それに近いと思いますけど。でも銀さんはそれじゃ嫌なんですよ」 「嫁に食わしてもらってちゃ男が廃るって言ってたネ」 「それ言っちゃダメって言ってたでしょ!? 違うんです、そのこころは『対等でいたい』ってことなんだと思うんです」 「貸し借りは作りたくないアル。それがあったら、一緒にいても楽しくないアルよ」 そう言う神楽は、楽しそうに何処かを見ていた。 「やられたら十倍返し。相手も十倍返し。借りを作らなきゃ、ずっと続くアル……楽しくね?」 「……」 「遠慮はしたくないネ。されたくもないし」 「だからって、なんで」 新八と神楽は気まずそうに下を向き、互いに目配せをした。 「二重の家賃ってのは表向きなんです。銀さんには言ってないんですけど僕たちが……その、」 送り出したものの、やっぱり淋しい。 特に神楽は自分が想像したよりずっと寂しく、しょっちゅう万事屋で寝るようになった。一人では心配だと坂田が気を揉み、だからといって新八と二人はダメだ、と親父よろしく難しい顔をするのでお妙と三人で万事屋に宿泊会が催される。今度は坂田が爪弾きになったようで面白くない。 「それで、考えたんですけど。土方さんが万事屋に住んでくれれば解決かな、って」 「解決?」 「神楽ちゃんは万事屋に帰れますし。銀さんもハラハラしなくて済むかなって」 「ハラハラ?」 二人は顔を見合わせた。 それから交互に訴え始めた。 土方の帰宅時間が近くなると、坂田がしきりと時計を見始めること。 神楽が帰ろうとすると、途端に饒舌になって引き止めること。 そのくせ目に見えて焦っていて、言ってることが支離滅裂になること。 じゃあ、と万事屋の玄関を出るとなんとも言い難い、困ったような、淋しいような、苦しそうな顔をすること。 土方が遅くなる日は自分が夜遅くまで二人を残すのに、帰り道の心配を無闇にすること。 お妙が泊まりに来る日は少し落ち着いているものの、帰り際に何か言いたそうにすること。 万事屋を休みにする前日は、 「すごく、嬉しそうです」 「……」 「銀さんて意地っ張りでしょ? 我儘だし。だらけてるくせに聞かないときは絶対聞かなかったりして。それが、なんて言うか……柔らかいんです」 「……」 「楽しみでしょうがないってのとも違って。ゆっくり休めるところって、やっぱり土方さんのところなんだなって」 「……」 だから、そんな日の夕方に坂田が取り乱すところをもう見たくない。 二人はそう言った。 馬鹿な奴、という言葉が真っ先に浮かんだ。そして目の奥が熱くなって、慌てて子どもらから顔を背けた。 子どもたちへの負い目があって、坂田は万事屋では気を張り続けているのだと、土方は悟った。自分が屯所に行くのとは似て非なるものなのだ。こちらは文句を言いながらも、伸び伸びやってる。坂田がこの二人にしたような気遣いは、真選組には不要だ。 土方にとっては初めてだったのだ。 これまでの生活が大所帯過ぎたから、二人暮らしに多くを望みすぎた。二人きりだから『自由』に暮らせると舞い上がった。しかし坂田は子どもたちと暮らしていたから、共同生活が自分の思い通りにならないとよく知っていたのだろう。 (対等でいたいなんて、俺だってそう思ってるに決まってるだろう) (万事屋の収入が少ないのはわかってるのに) (ああ、年中ブラブラしてるって揶揄かったことは何度もあるけど) (気に病んでたんなら言えばいいのに) 坂田は、他人の領域に入り込むことを恐れる。土方との距離も、まだ図りかねているのかもしれない。 何に対する謝罪かと、坂田がしつこく尋ねたその真意は、 (俺が苛ついてることに気づいたものの、どうしていいか、わからなかったのか) 議論を打ち切るための言葉だった。一人で思い詰めた挙句勝手に完結し、坂田に口を出させなかった。 だから坂田は不安になったのだろう。 (そんなに抱え込んでたなんて知らなかった) 一人で我慢していると思っていた。 ところが種明かしをされれば、あの男のほうがよほど我慢をしていた。『好き勝手はしてねえ』の言葉通り。坂田が愛おしいやら自分が情けないやら、気づけなくて悔しいやら言わない坂田が腹立たしいやら、土方の胸の内は忙しい。 つまりは恥じ入ったのだ。でもそれを認められるほど器用でも素直でもない。必然的に土方の顔は不機嫌そうに顰められる。 「チャイナはそんでいいのか」 「あんまデケェ声出すなヨ」 「……?」 「たまには姐御んちに泊まりに行ってやるヨ。それ以外は我慢しろヨ」 「ちょ、神楽ちゃん!? あ、あの、姉上が休みの日は泊まりに来ていいって言ってますし! ぷ、プライバシーは、屯所よりはありますし! 土方さんが窮屈でなければ僕たちはぜひ」 何だかむず痒い。 でも、それであの男が少し自由になれるのなら。 土方にとっては、昨日のようなすれ違いが、なくなるのなら。 「言っとくけどな。俺は朝早いんだ。時間は俺に合わせてもらうぞ」 「おうヨ」 「それと、出勤前に新聞くらい読ませろ」 「読めばいいアル」 「飯は……作れねえからな」 「いらないネ。マヨ塗れのご飯なんて」 「あとな。あと……」 「やってみればいいアル。文句あれば私黙ってないネ」 「お、おう」 「お前も言えばいいネ」 「……おー、」 「どうせ銀さんが我儘ぶっこいてんでしょ。僕たちがガツンと言ってやりますから」 「おー」 遠慮など、しないほうがいいのかもしれない。 ご飯が炊けたと神楽が叫んでいる。チャラついたオカズはいらない、沢庵があればヨロシ。 子どものくせにそんなもん食ってんじゃねえ、買い物に行ってこいと二人を追い出した。 帰ってくるまでに、あの男に電話しよう。きっと万事屋でひとり、ハラハラしながら待っている愛しい男に。 「俺だ。悪かったな……うん、」 章一覧へ TOPへ |