誑かし ある日俺の社(やしろ)の前に、黄色いドロドロがかかった丼飯が置いてあった。 なんなの最近の人間は。社自体そもそもボロっちくなってて、俺としては『人間が妖なんか信じなくなったのは知ってたけどもう少しこう、礼儀ってもんがあるよね』なんて内心思ってたとこだった。まあ人間の寿命は短い。親から子へ、爺さん婆さんから孫へ、伝えるものがあったとしても、そいつらの関係がちょっと上手くいかなかったり若い方が跳ねっ返りだったりしただけで、仲直りする間もなく死んでしまう。そうやって伝えるべきものは途絶える。 そんなことは俺も良くわかっていたから、社がボロくなって見向きもされなくなっても、それは時の流れに任せるしかないだろうなと思ってた。それが俺たち妖の、力の衰退に繋がるとしても。 でも、ゴミを捨てていくってのは違うよね。自然消滅は諦めるけれども、積極的に貶していくスタイルは良くない。うん。これでも九尾だからね、妖怪の中の妖怪だからね。前にどこぞの皇帝を誑かして王朝潰したり国を滅ぼしたりした大妖怪だからね。誰だこんなモン捨ててったの。ちょっくらバチ当てるから待ってろ。 というわけでいつもなら昼寝してる時間に無理やり目を開けて、社を見張ってた訳ですよ。 そしたら。 黒髪のちびっ子が周りをキョロキョロしながら社の前にやってきた。黄色いドロドロ丼がそのまんま置いてあるのを見て、首を捻ってる。お前かよ。 どんなバチ当ててやろうかって考えてたらこのクソガキ、懐から握り飯を出してきた。それを丼の隣に置いてから、また懐に手を突っ込んで、黄色い何物かを取り出した。赤い蓋を外したと思ったら、おもむろに握り飯の上にそれをぶちまけた。 辺りに酸っぱい匂いが立ち込める。なんだこのクソガキは。どうしてくれよう。 と思ったら急にクソガキは小さな両手を合わせて、一心に祈り出した。 お前正気か。これ、供え物のつもりだったのか。嘘だろ。最近人間と交流すんのも面倒くさくなってしてないけど、こんなモン食うようになっちまったのか。前はもっとこう、油揚げとか、なんか美味いモン供えてくれてたのに。人間はすぐ入れ替わってしまう。代々伝えたいらしいものも、些細なことで途切れてしまう。だからって食い物までこんなに変わるのか? もしかして飢饉とかか。イヤイヤそんなのあったら、いくら俺がゴロゴロ寝てばっかりでもさすがに気づくよ。 「小僧。それはなんだ」 もう聞くしかないよね。見ててもわかんないからね。あ、コイツの祈り聞くの忘れてたわ。 ちびっ子はビクッと肩を揺らして顔を上げた。上の方から声がした、というのはわかったらしい。しきりと上を見て声の主を探している。ああそうか、見えねえのか。 人間に見えやすい姿に変えてやったら、目をまんまるにして見つめてくる。青味がかった不思議な色の目を限界まで見開いている。ねえ人の話聞いてた? 「なんだそのゴミみてえな……」 「ゴミじゃない。この世でいちばん美味い食い物だ」 ちびは生意気にも言い返してきた。なんなの。 「いちばん美味いから供えたんだ。お前はなんだ」 「なんだってお前、おめーが今一生懸命祈ってた相手ですよ?」 「え……」 「おめー、正気でコレ供えてたの?」 「うん」 「コレ供えたら俺が喜んでお前の願い叶えるとか思ったの?」 「うん」 「お前の村、食い物足りねえの?」 「そんなことない」 「米取れないとかない?」 「ない」 「じゃあ何でコレ持ってきちゃった?」 「他にもいろいろあるけど、願いを聞いてもらうためにはいちばん美味い物を供えるのが礼儀だと思った」 ええ。本気だよこの子。心からこれがこの世でいちばん美味いとか思っちゃってるよ。顔は可愛いのに舌が絶望的にヤバイよ。大きくなったらかなり美人の類いに入ると思うのに勿体ない。 なんて俺の思惑も知らないちびは、ちびなりに胸を張って聞き返してきた。 「食ってみたのか」 「食わねえよ。犬なら食うかな? でも俺は狐だからね、九尾の狐だから。犬とは仲悪いから、犬の食いモンは食わん」 「隣のポチに食わせようとしたら為兄に止められたから、犬は食わない」 「あっそう為兄さんいい仕事したね、ポチ命拾いしたね。じゃなくて俺も食わないから」 「犬と仲悪いなら、犬が食わないんだから食ってみればいいのに」 「見ただけで食いたくねえよ、匂いもやべーだろが。もっとマシなモン持ってこい」 「美味いんだってば。わかんねえ狐だな」 「お前、これからお前の願い叶えてくれるかもしんない相手に向かってそういうこと言っちゃう? お前の舌引っこ抜こうかな。閻魔の仕事先取りしようかな」 「あっそうだ願い事! 聞いてくれるんだよな!」 「聞く訳ねえだろ! まずコレ片付けろ!」 ちょっと妖力込めて怒鳴ったら、ちびはしょぼんとなってしまった。あれ。ビビらせるつもりだったのになんか違う。 「おい、ちっとは反省したか」 「……」 「おい小僧?」 「……片付けたら、願い事叶えてくれるか」 「イヤイヤイヤ、それじゃマイナスがゼロになっただけだろ。プラスにしてくんないかな。それから考えるわ」 「……」 え、そんなに落ち込んじゃった? 今のは妖力とか関係なく普通に言っただけなんだけど。あれ、さっきのも妖力に怯えたんじゃなくて、片付けろって言われて悄気ちゃっただけ? なんだか胸のあたりがシクシクと絞られるような感じがする。今まで幾つもの王朝を滅ぼし、何人もの貴人を誑かして破滅させてきたこの九尾様が。これではまるで胸の痛みとかいう、人間で言うところの『心』ってヤツの動きではないか。 俺たちの寿命は長い。人間よりずっと長い。だから後の世代に伝えるものなどない。伝えるべき物を特別視する気持ちもない。伝える相手がないから、自分以外の存在に対する特別な想いもない。ない、はずだ。 しかもこんな、ただの小僧に。 「お前さ、名前は」 「土方十四郎」 「そうか。じゃあ十四郎、俺が食いたいモンの作り方教えてやるから。そんでそれが上手に出来たら……」 「願い事叶えてくれるのか!」 曇っていた顔がパッと輝いた。眩しかった。 「俺の願い聞いてたよな!?」 「待て待て待て、上手く出来たら話くらい聞いてやってもいいって今言おうと……」 「為兄と義姉さんはいい人なんだ、だからどうしてもアンタに頼みたいんだ。マヨネーズより美味いのなんてないと思うけどアンタが食いたいなら作るから」 「や、ちょ、まず俺の話を」 「やった! で、何食いたいんだ? それ、マヨネーズつけたらもっと美味くなるから」 疑いもなく俺の懐に飛び込んできた小さな体を思わず受け止めてしまって、その温かさを知ってしまったら、なんだかもうどうでも良くなってきた。だからってこの黄色いドロドロは食いたくないけど、このちびが作ったモンなら多少不味くても食ってやろうかな、と思うくらいには絆されてやることにした。 そうだ、これはただ絆されただけだ。 妖の中には人間と心を通わせて、そのせいで身を滅ぼした者もいると聞いた。馬鹿なヤツだと嗤っていた。どうしてそんな馬鹿になったのか、心底理解できなかった。 人と心を通わせるなんて。 人の体が温かいなんて。 皇帝を誑かして破滅させたこの俺が、我が身を滅ぼすような真似をするわけがない。 だからこれはちょっと絆されただけだ。 ちびは俺の手を引き、自分の家に招こうとしているようだった。何が食いたいんだ?え、油揚げ?アレだけ食って美味いのか?よくわかんねえけど、マヨネーズ入れたらもっと美味いぞ。 人里に降りるのは何百年振りだろう。しかも王族でもなんでもなさそうなこんなクソガキ相手に。 なんて思うのに、引かれた手を振り解こうとは思わない。むしろコイツどんな家に住んでるんだろうと、楽しみでさえある。あーあ、完全に絆されちゃってるよ俺。まあ絆されただけだから。飽きたら帰るし。うん、すぐ飽きるし。大丈夫。 高杉あたりに鼻で笑われそうだな、と思ったけどもう考えないことにした。 九尾銀時と こひじちゃんが 相手の手料理を食べる 銀土スロット 前へ/ 目次TOPへ |