2. 食事


 仕事柄帰りが遅くなることが多い。
 一人暮らしのときは、夕飯なんて買うかその辺で食べて帰るか。食べなければ翌日保たないから、仕方なく時間を割いて口に運ぶ。面倒な時間と思いこそすれ、楽しもうと思ったことはなかった。

「おかえり。ちょうど良かった、飯炊けたし先に食おうぜ」

 坂田の仕事は時間が自由になるので、大抵俺より先に帰って飯の支度をして待っている。今日の食卓には白飯、味噌汁のほかに焼き魚と煮物。そして昆布の佃煮。

「鯵安かったから、しばらく鯵三昧な。南蛮漬け作っといたし、明日はフライするわ」
「……そうか」
「先に風呂入りたい? 一応沸いてるけど」
「いや、飯でいい」

 坂田が口元を曲げた。むくれているときの顔だ。何が気に障ったのか。思考が遅れて回り出すけれど、思いつかない。

「でって何。先生はどっちがいいの」
「ああ――飯、が、いい」
「ほんとに? まあ、あったかいうちに食えたほうがいいけど」
「ああ」
「風呂のほうが良かったらそう言えよ?」
「だから飯」
「そう?」

 文句を言いながら坂田の手は動いていて、白飯をよそってもう並べている。俺は上着を放り投げてネクタイを緩め、ワイシャツの袖を捲る。

「いただきます」

 坂田はきちんと手を合わせる。
 高校のときは、特別真面目な生徒ではなかった。むしろ同級生と連んで隙あらばサボろうとするところもあるくらいだった。だから、こうして手を合わせる姿を見ると、何度でも感心してしまう。
 味噌汁をひと口すする。出汁の香りがふわりと口に広がり、鼻から抜ける。程よい味噌の味。美味い。
 坂田は出汁を鰹節や昆布で毎回取る。取った後は佃煮やらふりかけやら、手間暇掛けて作っている。互いに仕事を持つ身なのだから、手を抜いていいと言ったことがある。

『え、いいよ。好きなモン食いたいし』

 坂田は目を丸くして答えた。驚いたようだった。

『つーか先生、ロクなモン食ってねえな。こんなことなら高校ンとき弁当作ったげるんだった』
『食う時間がねえ』
『先生たちいつ昼飯食ってんの。そんなこと考えたことなかったわ』
『まあ、適当に』
『どこで何食ってんの』
『職員室で仕事しながらコンビニ飯』
『はあ――俺たちよりいいモン食ってるに決まってるって信じてたよ俺は。大人はいい飯食うもんだって』

 実態はこんなもの。さぞ幻滅しただろうに、坂田は笑った。

『まあ、こだわりがないのはよくわかった。ないなら俺の食いたいモンに付き合ってよ』

 そうして坂田は、決して贅沢はしないけれど毎日食事の用意をする。その手間は惜しまない。

『ロクなモン食ってねえ割に肌はキレイだよな、先生って』

 同居し始めのころ、坂田はそう言ってベッドの中で幸せそうに笑った。なんと答えていいかわからなかった。
 年下なのに。生徒だったのに。
 肌を晒す関係になったことを、俺は今でも後悔している。


 卒業して二年経ち、生徒たちとの次の別れがそろそろ近くなったな、などと考えていたころ、坂田からショートメッセージが届いたのだった。
 今風の若者のようにLINEを使うでもなく、だからといって長いメッセージでもなく、ただひと言、『飲みに行こうよ』と書いてあった。初めは誰だかわからなかった。坂田銀時の名前をアドレス帳に発見して、なぜ一生徒の個人情報が残っているのかと驚いた。消したはずだし、そもそも登録することもほとんどないのに。
 坂田だとわかっても、返信はしなかった。何かの冗談か、または送信先を間違ったか、どちらにしろ俺宛てではないだろうと思ったのだ。ところが翌朝もメッセージがあった。同じ文面だった。その夜には『坂田だけど、土方先生だよね?』と文面が変わっていた。
 やっと間違いなく自分宛だと理解して、俺は返信の文を打ち始めた。

『行かねーよ。何言ってんだ』

 これでいいと最初は思った。だが送信前に画面の文字を見て、考えた。相手は友人ではない。これでは傷つけてしまうかもしれない。

『久しぶりだな。元気にしてるか』

 いや、これは返事になっていない。坂田が知りたいのは、俺が飲みに行くかどうかだ。
 そもそもどうして俺を誘うのか。どういう心境なのか。二年前の坂田を思い出す。特別懐いていたわけでもない。数学の時間にはときどき質問に来たが、俺の説明に納得がいけばそれで大人しく引っ込んでいった。なぜ今俺なのか。

『なんで俺だよ。友達と行け』

 久しぶりに交わす言葉がこんなに味気なくていいものだろうか。友達ではなく俺を指名した理由を、聞いたほうがいいのではないだろうか。卒業したとはいえ自分の生徒だったのだから。
 迷っているうちに着信があった。機械音がピロピロと鳴り響き、急かされるように反射的に通話ボタンを押してしまった。

『あ、出た。メッセージ見た?』
『……坂田か』
『え、そこから? そうだよ、坂田だけど』
『久しぶり、だな』
『そうだね。二年は経ってないけどね』
『そうか。そうだな』
『で、どう。忙しい?』
『忙しいっつーか。お前、何やってんだ今』
『大学生やってるよ? 進学したじゃん』
『ああ。それはそうだけど、』
『俺さ、こないだ誕生日だったんだよ』

 急に何を言い出したのかと思った。俺の聞きたいことをはぐらかされたような気がしたし、大人げなくもムッとした。けれども坂田はのんびりと続けたのだ。

『二十歳になったんだ。人生で初めての居酒屋は先生と行きたかったから誘った』

 断っても良かったはずだ。
 あのとき俺は断るつもりだった。少なくとも返信の文面は断りの内容を考えていたはずだった。坂田が特にしつこかったのではない。押しが強かったわけでももない。
 なのに俺は断れなかった。成長した生徒に会ってみたいとあのとき思った。今にして思えば『生徒』ではなく坂田を見てみたかったのだ。不器用な勉強の仕方をして、それでも最後には誰よりも基礎を身につけて、それを誇ることもなく淡々と学生生活を過ごして去っていった坂田の、成長ぶりを見てみたかったのだ。
 つまりあのときすでに俺は、坂田銀時という個人に興味を持っていたということだ。あれが別の生徒だったら、きっと俺は断っていただろうと思う。
 生徒なのに、平等に接するべき相手なのに、坂田を例外にしてしまった。その上それを自覚しているくせに、未だにこの関係を解消しようと言い出すことすらしない自分を、俺はどうしても好きになれない。

「そろそろ鍋もいいかなァ。何の鍋がいい?」

 屈託なく尋ねてくる坂田をまっすぐ見られず、俺は生返事をする。坂田は仕方なさそうに笑った。

「ホント食いモンに興味ねえよな。じゃ、俺の好きなヤツにするわ」

 ああ、俺がお前に出来ることなんて、食い物の好みを合わせることくらいだ。



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