土方十四郎の決意


 いつもの通り見廻りに出て、いつもの通り総悟に逃げられた。

 仕方なく一人で廻っていると、万事屋のチャイナ娘がこちらをじっと見つめているのに出くわした。自然と目が、その背後を探す。
 雇い主はいなかった。娘も、俺と同じく一人だった。



 あれ以来、坂田には会っていない。
 以前なら見廻り中に姿を見ることはあった。夜になって俺が坂田の跡を尾け回したことは別にしても、日中に意図せず坂田と出会うことは少なくなかった。
 けれども事件以来、偶然坂田に会うことはない。避けられているのだろう。
 触るな、と言われた。
 最後の斬り合いのとき、心が通じたように錯覚した。
 まるでもう一人の自分のようだった。俺の考えは坂田の考えだった。坂田の意志は俺の意志だった。互いに声もかけず目も合わせず、それでも過不足なく互いを補いあった。生まれてこの方ずっとそうしてきたかのように、俺たちは二人で一つだった。俺たちの魂の在り方が、まるでカタチとなって現れたと見紛うような時間だった。
 坂田もあのときだけは自分から俺に触れた。両手で俺の頬を押さえて、怪我はないかと尋ねてくれた。温かいとは世辞にも言えない、血生臭くて硬い手のひらだった。坂田のあの手のひらの感触を、俺は決して忘れないだろう。

 ――だがあれは、命の遣り取りの場で興奮した神経のなせる技でしかない。

 常とは違う感覚。好きだの嫌いだの、そんな日常は遠ざかり、生か死か、その二択しかない世界。
 その中で、坂田と俺は同じ『生』側にいた。だから隣合えた。同じ生者として、並び立つことができた。俺たちは同志だった。あの時間、あの場所という、極めて限られた条件で。
 だからそこから離れれば、坂田が俺を避けるのは当然のことだった。
 触ってはいけない関係に、戻ったのだ。
 そしてそれは俺に原因がある。
 坂田の笑顔をひと目見たくて、無理に坂田を追い回した。自分の欲望で坂田の日常を乱した。坂田だけではない。真選組にまで混乱を来してしまった。
 すべては俺の私欲のせいだ。俺のせいだ。



 チャイナ娘は一人俺を見つめている。
 今は一人だが、家に帰ればあの男が待っている。坂田はすでに万事屋に戻って生活していると、監察から報告を受けていた。
 俺がこの娘を案じることはない。坂田が、きっと護っている。どんな庇護より堅牢な、坂田の剣が。
 それに比べて俺は、なんと矮小な存在だろう。この娘を羨む資格すらない。我が身の至らなさに、身が竦む。
 俺はそのまま通り過ぎようとした。

「マヨラー、知ってるアルか」

 突然娘が口を開いた。
 仕方なく足を止める。

「銀ちゃんの料理、美味しいヨ」
「……?」

 なんの話だ。わざわざ呼び止める話か。
 自慢か。坂田との距離の近さを、俺に見せつけるつもりか。だが何のために?

「そうか。よかったな」
「……」
「ちゃんと食わしてもらえよ」
「……」
「じゃあな」
「銀ちゃんは、」

 立ち去ろうとする俺に、何故かチャイナは食い下がってくる。

「マヨネーズも作れるアル」
「……」
「こないだマヨ切れて、欲しいのはちょっとだけだから買うのももったいないって、銀ちゃん作ったネ」
「……」
「買ったのより美味しかったアル」
「そうか」
「銀ちゃんもう帰ってきたネ。ずっと万事屋にいるヨ」
「よかったな」
「…………お前、鈍いアルな」

 脈絡もなく否定されて腹を立てるより先に面食らう。呆気に取られてチャイナの顔を見ていたら、不機嫌そうに顔を顰めた娘はぴょん、と跳ねて方向転換した。

「もう一回言うネ。銀ちゃんは万事屋にいるヨ。前とおんなじにネ」

 そして鞠のように身軽に駆け去っていった。



 その後やっと総悟を探し当て、もうほとんど見廻りは終わっていたので屯所へと戻った。
 その道すがら、今度はメガネに会う。メモを確認しながら歩いているところを見ると、買い物の途中らしい。

「あっ、土方さん。この前はお疲れ様でした」

 近藤さんも無事で良かったです、と少年は笑顔できちんと挨拶をする。チャイナとはだいぶ違う。
 局長重傷説について、実は内密に密輸団の調査をするための偽情報であるとマスコミにはすでに発表済みだった。この少年にも当時真実を伏せたから、そのことを責められるかと思ったが、さすがにその辺りは理解しているらしい。無事なのは良かったですけどまたストーカー始まったんで、そっちは止めてくださいね、と笑顔で釘を刺されて思わず頭を下げる。

「で、銀さんには会いました?」
「……は?」
「あーやっぱり。あの人ヘソ曲がりですからね、素直じゃないんで。すいませんね」
「? 何が」
「えーっと、まあ、会うことがあったら、話してみてください」
「は?」
「夜にみっちり出歩く必要もなくなりましたしね。万事屋に来てくださるのが手っ取り早いかも」
「何が? 必要って、何の?」
「それは、ねえ」

 少年は俺に話しかけていたはずが、ごく自然に総悟に視線を投げた。
 総悟は総悟で、ふんと鼻を鳴らして『どっちも手間が掛かっていけねえや』などと呟いている。

「何のことだ。話が見えねえ」
「うーん……とにかく、銀さんに会ったらよろしくお願いします」
「万事屋に帰ったんだろ? テメェは毎日会ってるだろうが」

 チャイナも、お前も。
 坂田に歓迎されて、受け入れられて。
 なぜ俺がよろしくしなければならない。
 拒絶され、触れることも許されない俺が。

「おや、アンタも毎日会いてえんで?」

 総悟が混ぜっ返してくる。

「そうじゃねえよ、毎日会ってる奴がいんのに、なんで会ってねえ俺がよろしくしなきゃなんねえんだっつー話を」
「あ、タイムセール始まっちゃうんで、僕これで失礼します」
「オイ待てまだ話の途中、」

 少年も駆け去っていく。後に残った総悟はやれやれとばかりに首をゆるゆると振る。

「明日にでも副長職代わりやしょーか」
「は!? 次は何の話だ」
「話はひとつでさ」
「?」
「テメーの言動も省みられねえんじゃ、いよいよ副長失格ですぜ。俺に譲りなせェ」
「何がだよ!? 何でだよ! 俺にわかるように言えよ!」
「……大きなヤマ追ってるときは気ィ張ってやすから、余計なモンに気を取られたくねえこともあるでしょう」

 こいつも急に話を変えてきやがった。しかも二転三転。今ドキの若者ってこんなかんじなのか。マイペースな。

「それはそうだが、今はその話じゃ」
「嫌ェな奴に触られたくねえって場合もあるでしょうが、その反対もあるんじゃねえですかって話でさ」
「?」
「緊張の糸が切れるから今はほっといて欲しいってこと、あるでしょう」
「それは、まあ……」

 わかる。あのとき、坂田の手のひらの感触に俺の緊迫感は途切れかけた。戦場にあってはならない、こころを掴む体温に意識を奪われた。
 だが総悟がそれを知るはずがない。
 胸の奥が痛みかかるのを無理に押しやる。

「今は関係ねえだろ」

 総悟が天を仰ぐ。いいですかィ、もう一度言いやすぜ。さっきも聞いたセリフだ。

「いろいろ神経張ってんのにデレデレしたら今までの苦労台無し、みてえなことあンでしょう。考えてみなせェよ」
「?…………だから、何の話だ」
「脳に欠陥でもあンじゃねーですかィ、血の巡り悪すぎらァ」

 またもやチャイナと似たようなことを言い出した。

「アンタだけですぜ、こんなに飲み込み悪ィの」
「誰なら飲み込みいいってんだ」
「みんなですよ、みんな。アンタ以外の。あ、もう一人例外いた」

 『みんなやってる』は当てにならないと相場が決まってる。それにお前の『みんな』って、お前の息が掛かってる奴だろ。

「お前らが連んで俺を嵌めようとしてることはわかった」

 珍しく三人が組んだらしい。総悟が噛んでるってだけで危険度は鰻登りだ。万事屋のメガネの良心をもってしても、これは中和できまい。

「何だか知らねえが俺を妙なコトに巻き込むな。離れて歩けバカ」
「バカはアンタでさァ。ま、アンタがそう言うなら」

 総悟まで一目散に駆け出した。あっという間に姿を消す背中を、今日は追わないでおく。どうせ帰る場所は屯所にしかないのだ。

 俺も帰ろう。真選組に。
 坂田へ抱いた気持ちが恋だったことは、もう忘れて。
 そう心に決めたというのに。
 江戸の街は狭すぎる。



 曲がり角一つ先。
 白い着流しが翻るのが見えた。
 銀の髪が緩い風に靡く。
 緋色の瞳が一瞬、俺を見つめた。
 すぐにこちらに背を向けたその男の唇は、確かにゆるりと笑みを掃いていた。

 その儚い笑顔が、好きだった。
 ――今も。これからも。
 きっと、命絶えるその日まで。





前へ / 次へ



章一覧へ
TOPへ

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -