3 尾けられている。 久しぶりの一人の見廻りだ。勘所が狂ったかと思ったが、確かに尾行者がいる。 敵意はない。それどころか気配はすぐに消える。忘れたころに、ふと土方の勘に触れる。 (今日殺る気はねえらしい、が) だが稀に、皮膚に突き刺さるような殺気を感じることがある。そちらに注意を向けるとしばらくして殺気は消える。 今までの聴取を思い返す。 初期の辻斬りは、土方の見廻り時間と連動して起きた。土方が単独で見廻りを再開した今、現尾行者が、初期辻斬りの犯人である可能性は極めて高い。 土方を狙うつもりなら、今すぐ仕掛けてきてもおかしくないはずだ。 今ではない理由は、何か。 またもや尾行者が神経を尖らせた。今夜何度目か。土方も背中に神経を集中する。 また、消えた。 引き返してみても、そこに人影はなかった。 松平が屯所を訪れたのは、日中もまだ日の高い時分だった。 土方は夜勤続きなので仮眠を取っていたが、鉄之介に起こされて急ぎ会議室に向かった。 「ありゃァよう。なかなか深く食い込んでやがったよぅ」 松平が指すのは、警察庁内を内偵していた人物である。 「幕閣のなァ……名前言うとバレちまうけどよぅ」 「一橋派ってことか」 「トぅシぃ。世の中口に出せねえこともあるんだよぅ」 と言いながら、松平は近藤と土方を目で近くに招いた。 「春雨が、買い主よ。末端ではあるがな」 「……売り主は」 「オメーがさっき言っただろうが」 「じゃああの男は、」 「そういうわけだ。口ィ割ったらエラいのが芋蔓式にゾロゾロお縄になるんでよぅ」 「……」 「ああ、どうも春雨とは取引成立しなかったらしい。まあ、宇宙海賊にくれてやるにはちょーっと小型が過ぎるよなぁ」 「地上戦用だぞ、全部」 「そこんとこわかってねェのが売り手なんだよぅ。坊っちゃんにドンパチは難しいんだろ」 「じゃあ、あの荷は」 「春雨に断られてから次の取引先が決まるまでの間、隠し場所としてあの屋敷が使われたんだろうよ。どこから運び込んだか知らねえが」 「……だがあの日の翌日納品予定だったらしいぞ」 「そいつぁオジサンとこじゃあ掴んでねえな」 「いずれにしろ手は引いてる。ウチが近日中に踏み込むってとこまでは把握してたらしい」 「そこんとこはオメーらが吐かせろよぅ」 「首謀者シメるしかねえな」 「……とりあえず今わかってんのはここまでだ」 「密偵だがよぅ。ぶち込んで、その後の処遇は上の方で検討してるよ」 「それじゃエラいのに逃げられちまうよ」 「逃げてくれたほうがやり易いってことか。引っ捕える名目ができると」 「トシぃ口を慎めぃ。だがオジサンとしちゃどっちに転んでも悪くねえから上に任せてとくよ。将ちゃんの耳にも入れちまったしよぅ」 「……そっちを慎んだほうが良かったんじゃ、」 「黙れゴリラ」 「で、そっちの首謀者の処遇だけどよぅ」 「渡さねえぞ」 「ゴリラって言ったの謝るからしてェ」 「持ってくなら屯所ぶち壊……や、ぶち壊してもダメだから壊さないでね」 「俺も反対だ。自害と見せかけて消されるぞ」 「そうだよ。エラいの確保してから来てくれよ」 「うーん……ま、オジサン一応言ったよな? 断ったのオメーらだよなオジサン悪くないよな、仕方ねえから置いてくわ、死なせんなよ」 「死なせねえけど、ちょっと揺さぶってみてもいいか」 「好きにやれぃ」 「形だけ、引渡し要請しに来たんだろ」 と土方は言った。近藤は渋い顔だ。 「ヘマしたら俺たちの首を物理的に飛ばして終了ってことか」 「ヘマはしねえ」 「うん。それよりあのとっつぁんが形だけ要請なんぞわざわざするってこたぁさ、」 「もう『芋蔓』の目星もついてんだろ」 土方は鼻で笑った。 「アタマは一橋派の誰かでコイツは特定済み。芋蔓のほうは『武器の目利きもできねえ坊っちゃん』て言ってた。絞り込み済みだが真選組にゃ関係ねえ。向こうで尋問もするから口出すなって意味だ、ありゃ」 「とっつぁんにしちゃ及び腰じゃねえか」 「そりゃ一橋が絡んでりゃ、流石のとっつぁんだって少しはリスクを避けてえんだろ。いちいちケンカ売ってちゃキリがねえ――それより」 「ああ。尋問だろ。上が全部吐いたことにして、もっかい揺さぶってみる。任せろ」 夜の見廻りまで少し時間がある。 夜勤続きなので時間まで自室で仮眠を取ろうとしたら、沖田が容赦なく入り込んできた。 「ここはテメェの休憩室じゃねんだよ、休憩ならテメーの部屋でしろ。そして俺を寝かせろ」 「アンタの部屋のほうがあったかいんでさァ。茶ァ出せよ土方ぁ」 「自分で淹れてこい! じゃなかったテメーの部屋で飲め!」 「しょうがねえ、買ってきたヤツで我慢しまさァ。もちろんアンタのはねェけど」 「いらねえし!」 「ところで、何か言うこたありやせんか」 すっかりくつろぎモードに入った沖田は、缶コーヒーにせんべいまで広げ出した。何なの。コーヒーにせんべいは合わないだろ。じゃなくて。 「ある。 『出てけ、寝かせろ』」 「そうじゃなくてさァ」 「とっつぁんの話なら後で近藤さんに聞け」 「どうせ警察庁の密偵が幕府のエラいのに繋がってたとかいう話でしょ。それでもなくてよぅ」 「他にねえよ!? マジいい加減にしろ」 「旦那に会いやしたかィ」 「……容疑は晴れたようなもんだろ。用事はねえよ」 もう会うことはないだろう。街ですれ違うことはあっても、話をする間柄ではなくなった。 それでも坂田が無事に日常を過ごせるなら、それでいい。それだけでいい。 だから土方が坂田と会うことなどあり得ないのに、沖田は土方の答えに満足しない。 「姿も見かけないんで?」 「だから用事がねえっつってんだ。探してねえ」 「だって今までは探しもしねえのに出くわしてたでしょう。見廻り中にくッだらねえケンカしてたじゃねえですかィ、ほんとアホかって」 「テメェに言われたかねえよ!?」 「俺ァ、今回捕まえた奴らの中に辻斬りの犯人がいるたァ言ってねえぜ。一件だけ、やれそうなのはあったっつーだけで」 「そうだな。商人の事件だけな」 「その他のは別人って言いやしたよね」 「報告書は出てねえけどな」 「その別人は誰ですか。フリーじゃねえんですか」 「万事屋は外していい」 「ふうん」 表情が読めないのはいつものことだ。なぜまた蒸し返してきたのか。意図は気になるが報告書も碌に書かない沖田を、今追求するには眠すぎた。 「で? いつ出てくんだテメーは」 「寝りゃァいいだろィ。そんなに寝てえなら永遠に眠らせてやりやしょうか」 「俺は起きた後に用事があんの! 寝てから目ェ覚ましてえの! 頼むから出てってくんない!?」 と言っても沖田が素直に出て行くはずもなく、土方はそれから小一時間耳元でせんべいを齧る音を聞かされ続け、巨大せんべいに斬りつけられる悪夢に魘されたのだった。 そして、また夜が巡ってきた。 隊服に身を包み、土方は一人屯所を出る。 いつもの時間、決まったルート。 真選組副長の所在を、敵もそろそろ把握したはずだ。 (俺の首が欲しけりゃせいぜい肝据えてかかってきやがれ) 自然と口元に物騒な笑みが浮かんだ。 章一覧へ TOPへ |