1 肩透かし、と言おうか。 大名家の祝賀会はつつがなく終了した。警備の隊士の他に、監察が密かに複数入って怪しい取引などの動きがないか、または祝いに訪れた客同士で密談などないか、可能な限り探ったがほとんど収穫はなかった。 代わりに夕刻になって、市中に動きがあった。 土方が重点的に警戒しているのは、少ないながらもまだ存続している道場である。恒道館も初めは対象だったが、局長自らが忍んで行くため早々に外した。だがその他の道場は警戒対象として今も密かに見廻りを重ねている。理由は、竹刀なり木刀なりを大手を振って持ち出せる施設だからだ。廃刀令は道場の稽古程度は目こぼしをしていた。だから、犯人が凶器を持ち出すか、または弟子たちの帰りにそっと紛れて凶器を持ち歩くか、いずれにしろ目立たずに表を歩けると土方は考えた。 今まで全く当たりらしい情報はなく、もちろん道場ばかりに注目していたわけでもなかったが、 ――六丁目西の道場付近に、棒状の物を包み持つ男を確認。追跡中 屯所に一報が入った。 今日ばかりは近藤の代理として屯所に詰めていた土方が直接応答する。 「連絡係。お前、四番隊だな」 あの辺りには誰をやっただろうかと頭の中で思い出しながら問いかけると、果たして四番隊の二人のうちの一人だった。通信機の向こうで、その通りです、と驚いたような、少し嬉しそうな声が返ってくる。 「稽古帰りの門下生ではないのか」 『違います。横合から現れて門下生に紛れたのを見ました』 「よし。付近に四名いる。十分遅れで二名追加する――六番隊の四名。できるな」 『はいっ』 「その間に四番隊のお前は、そこの道場に人相を行って、まず門下生にそういう奴がいないことを確認しろ」 『了解です』 「後から行くのは十番隊だ。原田、行けるか」 『行けますぜ。俺ともう一人でいいですか』 「今のところそれでいい。到着し次第連絡しろ」 周辺地図と配備した隊士の数は頭に入っている。矢継ぎ早に指示を出す土方に、賞賛めいた目が集まる。昨日の疑いの目とは変わっているのを肌で感じたが、構っている暇がない。携帯に噛り付いて山崎の番号を鳴らす。一度鳴らして切るのが合図だ。折り返してくるまでの時間の、長いこと。 『はいよっ』 「遅え! 今どこだ」 『新宿です』 「万事屋は、」 『今まさに尾行中です。また飲み屋を物色してます』 「張り付け。今日は話しかけてもいい。一晩中張り付け」 『ま、撒かれたら』 「撒かれたら切腹。俺の悪口言っていいから。俺のこと肴にしていいから一晩中、絶対に離れるな」 今動いているのが犯人であれば、坂田のいる場所からは徒歩での移動は難しい。飲むつもりならバイクは置いてきているはずだし、だからこそ山崎が足で尾行でしているわけだ。だから今晩坂田の所在を明確にした上で犯行を止めれば、坂田はほぼ無罪となる。 原田から連絡があり、合流は滞りなくできたという。背格好は中背中肉、年齢は、 『顔が見えねえ。歩き方から見て、中年だと思います』 「顔を隠してるのか」 『特に隠してる訳じゃねえんですが、上手いこと影になってるとこを通るんで』 「一番隊用意。総悟、目ェ覚ませ」 「人聞きの悪い。起きてまさァ……行くぜ、野郎ども」 素人ではない。 原田にさえ顔を見せない、隠しもしないのに見えない工夫ができるのは、そこそこの心得があるに違いないと土方は踏んだ。 二番隊には行く手を塞ぐ形で配備させ、のこる隊士は通常通りの見廻りをさせる。今はここまでだ。確証が得られたら、 (全隊士を向けてやる) 最初の隊士から続報がくる。 道場の門下生ではないことを確認した。陽が落ちた頃合いを利用し、稽古終わりの生徒の振りをして紛れたに違いない。 地図を確認させると、近場には民家の他に小さな神社や祠があって一時身を隠すには充分だ。門下生が全員帰るまでは道場のある屋敷も門を解放しているという。敷地内に隠れることもできる。 「確認するが、人相は」 『顔は見えませんでしたが、中背中肉。痩せ型じゃありませんでした』 「年齢は」 『二十代だと思います』 屯所が一斉にざわめいた。土方も一瞬頭が真っ白になった。 「若いのか」 『間違いありません。手の甲が見えたんです。つやつやしてましたが、男の手でした』 「原田ッ、異常は」 『変わりありませんし、こっちはどうみたって四十代ですぜ!』 「総悟、」 『何度喚いたって同じでさァ。俺ンとっから見えんのも、オッサンですよ。あ、髪は白くねえや』 「二番隊は、」 『……こっちはまだ見えてません』 何処で入れ替わったのだ。 二番隊を解散させて通常態勢に戻した。今日は非番者が極端に少ないものの、中には緊急招集のためだけに出て行った者もいて、数人が屯所に帰ってきた。 休暇を中断された上に無駄足だったのが、何かしらの思いを持たせたらしい。その中の三、四人は足音も高く道場に向かったが、他の六人ほどは詰所に溜まって何やら話し込んでいる。それは、土方も目の端に入れていた。 三十分も経たないうちに、詰所から言い争う声が聞こえてきた。止めさせろ、と人を適当にやったが、そいつも戻ってこない。 沖田や原田からの連絡は途絶えない。中背中肉の年齢不詳な男は、町はずれの自宅に辿り着いたそうだ。念のため(と沖田は言ったが、怪しい)御用改めを掛けたが、 『オッサンですぜ。ええ。シジュウの、なんでしたっけ。それを始めたんだそうで』 「四十の手習い、な……それにしちゃ身のこなしが只者じゃなさそうだが」 『柔術を長くやってるそうでさ。竹刀のほうはねィ。試しに振らせてみやしたが、お話になりませんや』 「そりゃテメェから見りゃあな。わざとって線はねえのか」 『いや、わざと下手くそに振れるレベルでさえねえ。なんとも気の毒なカンジでさ』 この線は失敗だ。 もう本ホシは遠くに逃れているだろう。腹立たしいが、今日はこれ以上何も出てこない、と土方は判断した。 近藤たちももうじきに帰ってくるだろうと思うと、ふと気が緩む。すると、詰所の怒鳴り声が気になり出した。心なしか先ほどより酷くなっているようだ。 変わりがあったらすぐ呼べ、と周囲に念を押して、今度は土方自ら詰所へ行ってみた。呆れ果てた光景が、そこに拡がっていた。 殴る蹴る、踏みつける、跳び蹴り、なんでもアリ。隊士達が暴れている。土方が来たことにも気づかないほどの騒ぎだ。もう少し遅かったら彼らは抜刀していたかもしれない。土方はうんざりとため息を吐いた。止めろ、と一喝すると、さすがに全員が静止した。 「私闘は厳禁だ。体力余ってンなら仕事しろ」 その場が静まり返る。ああ、そういうことか、と土方は納得した。案の定、わざと責めるように一人の隊士が土方に問う。 「どうしてすり替わったんです。副長が指揮してたってこいつらが言ってます。どうにかしてすり替えられますよね」 土方が答える間もなく、再び騒々しく全員が喚き出した。 「おめーらあのときの副長見たのかよ! そんなことするわけねえ!」 「俺たちに考えもつかねえことすんのが副長だろう。いろんなこといっぺんに考えるなんて朝飯前じゃねーんですか」 「あの時はそんな暇なかった!」 「じゃあ前もって仕込んどいたんだ、副長ならンなこと簡単に」 「なんのために副長がそんなことッ」 「両方とも黙れ。他の連中も同じネタか」 「……」 「疑うのは勝手にしろ。だが人に広めるなら真選組にはいらん」 「……」 「不満があるならコトが済むまで監禁する。牢なら幸いたくさんあるから今なら選ばせてやるよ」 真顔で言い切るとさすがに隊士たちは今度こそ口を閉じた。不満顔ながらも双方手を引き、それぞれの部屋へ戻っていく。 その顔と名前をひとつずつ、記憶に刻んだ。 「ご苦労だったな。こっちはどうだ」 近藤が帰ってきたとき、すでに騒ぎは一切鳴りを潜めていて、屯所内の揉め事の気配もなくなっていた。 章一覧へ TOPへ |