08


「ホラ、恭平。コレ」

 我が物顔でどっかとダイニングテーブルにつくなり、帷さんはぽいと空のペットボトルでも捨てるような軽さで紙袋をこちらに放ってきた。そのままのモーションで、日下部さんが入れたお茶をずずっとすする。あちい、と顔をしかめる様子に、傍若無人という四文字が俺の脳裏をよぎった。
 とはいえ、それを口に出すほどばかじゃない。つもりだ。帷さんが放った、かさの割に重たいそれを受け取って、俺ははてと首をかしげる。

「なんですかこれ、おみやげですか?」
「ちっげえよ」

 まあそれもこっちにあるけど、と帷さんはちらと視線を足元の機材バッグに向ける。あるんかい。おみやげ、あるんかい。冗談のつもりだったのに。

「写真だよ、写真。お前、ヤマさんとこに現像頼んでただろ」
「あ」

 そういえば、と思わず声をもらせば、そういえばじゃねーよと苦笑が帰ってきた。いやだって、しかたないじゃないか。ほんとうに忘れてたんだ、今の今まで。

 ヤマさん、というのは帷さんの知り合いのカメラ屋さんだ。他では置いていないようなちょっとめずらしいカメラやフィルムを売っていたり、昔ながらの町のカメラ屋さんよろしく証明写真撮影をしていたり、あとはフィルム写真の現像を請け負っていたりして、生計を立てている。
 ヤマさんが現像する写真は他と比べて色がきれいに出るようで、俺も帷さんもヤマさんの腕を買ってる。カメラマンのくせに現像に苦手意識がある俺は、学園じゃ設備環境がいまいち整わないのもあいまって、フィルムカメラで撮った写真はぜんぶそのヤマさんに現像をお願いしていた。

 食堂で日下部さんに出会って手を怪我するあの前日も、宅急便でフィルムを二、三本ヤマさんのところに送っていたのだったっけ。そのうち休みの日に外出届けを出して取りに行こうと思っていたけれど、あのことがあったせいでうやむやになって、そのまますっかり忘れてしまっていた。

「こないだ撮影旅行帰りに寄ったら、いつもならテキトーなとこで取りにくんのにこねえって言われたんだよ。んで、そういえば最近会ってねえなあとおもったから、ついでに」

 俺に会いに来たのと写真を持ってきたのと、いったいどっちが「ついで」なんだろうか、なんて。

「んで?」
「はい?」
「なんかあったのか、お前。その手のやつと……その、」

 のびた爪の先を手持ち無沙汰げにいじっていた帷さんは、ちら、と今度は俺の左手に視線をやった。目に眩しい白のガーゼに包まれた俺の左手に。
 それから、二つしかない椅子のうちの一つを奪われて所在なさげにドアの傍に立っていた日下部さんのほうへと、見定めるような鋭い視線をやる。

「……日下部サン、だっけ? と、なんか関係あんのか?」
「いやあ、さすが師匠鋭いですね」
「そーいうのはいいんだよ。で?」
「まあ、簡単に言うとてのひらをざっくり切っちゃいまして」
「…………は?」

 たっぷり五秒は間を空けてから、帷さんはぽかんと口も開けた。帷さんのこんなびっくり顔、レアだなあ。

「それで色々あったのでそれどころじゃなくて写真取りに行けなかったというか、忘れてたというか」
「いやいやいや……は? いつ? 怪我したの」
「一ヶ月ちょいくらい前です」
「その間お前、仕事は」
「休業してます」

 現在進行形で、とも付け足しておこう。

「ハアアアアア??? 大鳥のヤロー、俺にひとっっっっっことも相談も報告もしてきてねえんだけど?」
「あー、あの人帷さんのこと毛嫌いしてますもんね」

 帷さんの方もだけど。

「だからってよぉ、保護者の俺になんの説明もナシなのはダメだろぉがよ。ったくよォ」

 アルコールなんて一滴も入ってないはずなのに酔っ払いみたいだ。こうなると帷さん、めんどくさいんだよなあ。
 ため息をつきそうになる俺に対し、そばで俺たちの話を聞いていた日下部さんは、帷さんの「保護者」という言葉にか、首をかしげていた。その不思議そうな顔へと、ピッ、と帷さんの人差し指の先が向けられる。

「じゃああれか、アンタはヘルパーさん? みたいなもんか?」
「いえ、その……私は、この学園の食堂でウェイターをしています」
「ウェイター?」

 ウェイターがなんで? という疑問が、帷さんの顔にあからさまに浮かび上がる。本当、この人はびっくりするほど顔に感情が出やすい。いい大人なんだから、もうちょっと取り繕うことを覚えたらいいのに。あきれる俺をよそに、日下部さんはもう何回目になるかもわからないいきさつの説明をする。

「あー、なるほど」

 一通りの話を聞き終えるなり、帷さんは実に退屈そうに耳をほじりだした。

「お前、人助けとか好きだもんな」

 いや、別に好きではないけれど。否定するのも面倒になる。別に好きとかどうとかじゃなくて、当然のことじゃないのか、と思うけれど、それを口に出して帷さん相手にあーだこーだと説明するのも面倒で、そうですね、と俺は頷いた。

 ずずずずずっ。帷さんが勢いよく茶をすすって、空になったらしい湯飲みをだん! とテーブルに置く。おかわりを要求するようなその動作に、日下部さんは無言で急須片手にキッチンへ引っ込んだ。その後ろ姿に、俺は思った。今がチャンスなんじゃないか、と。
 なんのチャンスかと問われれば、ここしばらくのあいだ気になっていたことを帷さんに聞くチャンス、だ。

「そういえば、なんですけど」
「ん、どうした」
「帷さんって、仕事でいろんな人の写真撮ってるじゃないですか」
「ああ……まあ、そうだな」

 俺よりも商業的な写真の仕事が多く、人物を撮る機会が多い師匠は、それはそれは様々な人の写真を撮っている。若手イケメンアイドル、大型新人モデル、今注目のグラドル、大御所俳優、最近話題のお笑い芸人、エトセトラエトセトラ。そんな帷さんだからこそ、俺はこの質問をしてみたかった。

「その中で、すっごくこの人の写真だけが撮りたい! みたいに思ったことって、ありますか?」

 要するに、最近の俺にとっての日下部さんのこと、だった。
 写真を撮る人間にとってはよくあることなのか、それとも、そうじゃないのか。それを、俺よりも人物写真を撮ることの多い師匠の意見を聞いて、判断したかったのだ。
 どきどきしながら見つめる俺に、師匠は「あー……」とどっちつかずな表情を浮かべて、からっぽの湯飲みをくるくると両手のあいだでもてあそぶ。

「まあ、あるっちゃあるけど……なんで急にそんなこと聞くんだ?」

 どうしてそんなことを質問してくるのか、という師匠の問いは最もだ。最もだけど、素直にそれに答えるには少し……ほんの少し、勇気がいる。
 ちら、と俺はキッチンのほうを見やった。ちょうどポットのお湯がなくなってしまったらしく、お湯を沸かしなおしている最中な日下部さんは、まだこちらに戻ってきそうにない。そのことを確認したうえで、俺はテーブル越しにぐっと身を乗り出し、帷さんに顔を近づけた。そうして、「実は」と、これでもかというほど声を落として、ささやくように、言う。

「最近、日下部さんが撮りたくてたまらないんです」

 左手を怪我してからずっと、写真を撮れていないせいかもしれないんですけど。なんとなくばつが悪くて、言い訳するように付け足してから、帷さんの様子をうかがう。と、

「はーん? なるほどなあ」
「……なんですか、その反応」

 帷さんは、にやにやしていた。無駄ににやにやにやにやしていた。眉尻と目じりは垂れ下がって、口元は緩みまくって。全身の表情筋が仕事を放棄したかのように、にやにやと、だらしない表情をしていた。そのうえで、意味ありげな目線で、俺のことを見ていた。

「いや、お前も成長したなあと思ってさ」
「はあ?」

 頭上にクエスチョンマークを大量に浮かべる俺に、帷さんはゴホン! とわざとらしく咳ばらいをして、言った。

「いいか? 恭平。ひとついいことを教えてやろう」
「はい?」
「俺にも、今のお前みたいに特定の人物だけを撮りたくなったときは、あった。けど」
「けど?」
「……その相手は、康介だった」

 たっぷり間をとったのち、もったいぶった口調で、帷さんはそう告げた。康介さん、というのは帷さんの恋人の名前だ。たしかすごい人気モデルさんで、昔接触恐怖症だったのを帷さんと一緒に克服したとか、なんとかとか。

「それって……」
「お待たせ致しました」

 それって、つまり、どういうことですか?

 深掘りしようとしたとき、お湯が沸いたらしい。日下部さんが、お茶のおかわりを持って戻ってきた。これでこの話は終わりだとばかりに、帷さんはお茶をずずずっと勢いよくすすって、「あっちい!」と理不尽な悲鳴を上げる。そりゃあ、沸かしたてなんだから熱いに決まっている、とか言わずに、穏やかな笑みで「申し訳ございません」なんて言ってたたずんでいるあたり、帷さんよりも日下部さんのほうが年上なんじゃないかと思えてくる。

 まあ、とにかく、そんな感じで、俺にとってはとても重要なその話は、さらりと流されてしまった。
 帷さんはそのあと、日下部さんに最近の俺の様子を聞いたり、いままでの俺についての話を一方的にしたりしてから、「大鳥のヤローに一言文句言ってくるわ」と言い残して去っていった。ほんとう、嵐のようだ。残されたこの紙吹雪の残骸はどうするんだ、まったく。

「ほんと、騒がしくてすみませんでした……」

 一緒に紙吹雪を片づけながら、俺は思わず日下部さんに謝った。身内が頭おかしくてすみません、と。

「いえ、楽しかったですよ、中学時代の清水くんの話が聞けたりして」
「ええ?! いつの間に、そんな話……」

 油断してた。師匠がどう話したのかはわからないけれど、どうせろくでもない話に決まってる。顔をしかめる。

「清水くんは……織笠さんに、中学のときから育てられたんですね」

 えっ。
 ぱちくり。目をしばたかせる俺に、日下部さんはちょっと焦ったように「すみません」と続ける。

「これも、勝手に聞いてしまいました。織笠さんに」
「あー、別にいいですよ。帷さんが話したのなら」

 帷さん、そんなことまで話したのか、ってびっくりはしたけど。別に、俺の過去について日下部さんが知ったっていうことに、嫌悪感とか、そういうのはふしぎと覚えなかった。

「日下部さん、帷さんに気に入られましたね」

 そうなんですか? と日下部さんはピンと来ていない様子だけど、俺にはわかる。俺は知っている。帷さんがそこまで話したってことは、日下部さんを信用して、気に入ったからに他ならないってことを。

「ちなみに、どこまで聞きましたか?」
「訳あって中一のときに織笠さんが清水くんを引き取ったということと、それで写真を教えた、とだけ。あとは、清水くん本人から聞いてくれ、と言われました」

 ああ、そうだよなあ。そうだろうなあ。帷さんは、無神経傍若無人アイアムゴッド、みたいなのを地で行くくせに、そういうところだけ変に気を遣ってくる人だ。別に、帷さんが話していいと判断した相手になら、勝手に話してもいいんだけどなあ。
 俺自身、日下部さん相手なら、話してもいいと思っている。思っている、けれど。もし打ち明けたとして、すべてを知った日下部さんに、もし。もし万が一、

「汚い」

 って、拒絶されたら――
 そうしたら、その俺は、どうなるんだろうか。どうなってしまうんだろうか。

「もう少し……」
「はい」
「もう少しだけ、待っていてください」

 日下部さんはそんな人ではないって、わかっているから。話しておきたいから。だから、心の準備ができるまで、あと少しだけ。
 女々しくもそうすがる俺に、日下部さんはほんの少し驚いたように目を見開いたのち、にっこりと、いつもと変わらないおだやかな笑みを浮かべて見せてくれた。まるで、俺を安心させるかのように。

「はい、もちろんです」

 俺はいつまででも、待っていますよ。
 そんな、どこまでも突き抜けに優しく俺を甘やかしてくれる日下部さんの答えに、俺はなんだか、ほんのちょっぴりだけ、紙吹雪の中に涙を落としそうになってしまった。


- 26 -
[*前] | [次#]


topmainmokujinow
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -