01


※ちょっと痛々しい描写があります。注意してください。













 がしゃん、と。なんの前触れもなく聞こえてきた嫌な音に、俺はスプーンを持つ手を止めて振り返った。
 見れば、少し離れた辺りでウェイターさんが呆然としたように立ち尽くしている。なにをしているんだろう。首をかしげかけたとき、その彼がハッと我に返りその場にしゃがみこんだ。かと思えば、慌てて床に手を伸ばす。
 その綺麗な指が向かう先には、ぐちゃぐちゃになった料理と割れてしまったお皿の破片があって――

 あー、なるほど。
 周囲から聞こえる「またあの転校生が……」というヒソヒソ声も相まって、俺は一瞬で「がしゃん」の前になにが起きたのかを把握した。

「まーた、あの転校生かぁ」

 ウェイターさんより少し先に、先週この学園にやってきた転校生とその取り巻きの集団の姿がある。
 たぶん、周りを見てなかった転校生が場所をわきまえずに騒いで、あのウェイターさんにぶつかった。そんでもってウェイターさんが持っていた料理の皿がその衝撃で投げ出されて、「がしゃん」。そんなところだろう。

「――に、してもさあ」

 真っ青な顔をして、微かに肩を震わせながら割れたお皿を片付けるウェイターさんの姿に、溜息を一つ。

「うわっ。あの人、巻き込まれちゃって。可哀想……」

 そんな遠巻きに同情するくらいなら手伝ってあげればいいのに。どこぞの親衛隊員らしい小柄な生徒の他人事な発言に呆れながら、俺はガタリと席を立った。
 言わずもがな、向かうのはあのウェイターさんのもと。
 あちこちからビシバシと視線が突き刺さるのを感じながら、俺はゆっくりと歩み寄る。見られることには慣れてるからこれくらいどうってことないが、好奇のそれはやっぱり気持ちのよいものではなかった。

――こつり。
 革靴の底が床を叩く音を最後に響かせて足を止めれば、自らの上にかかった影を不思議に思ったのか。相変わらず真っ青なウェイターさんが顔をあげた。
 料理が遅いと罵られるか、道の妨げだと殴られるか、はたまたその両方プラスアルファでクビにされるか。
 そんな風な怯えが、ウェイターさんの目には浮かんでいた。まあそれも仕方ない。だって、こんな学園だし。あーあ、怯えちゃって。可哀想に。

「……手伝います」

 大丈夫ですよ。大丈夫ですか?
 そんな気遣いの言葉も幾つか脳裏を掠めたけれど、結局俺の口をついて出たのはそんな言葉だった。

「――え、」

 戸惑うウェイターさんをよそに、俺はちゃっちゃとその場にしゃがみこんで割れた食器へ手を伸ばす。運ばれていた料理はビーフシチューらしかった。
 勿体ない。ここのビーフシチュー、すっごく美味しいのに。高くてなかなか食べれないけれど、金銭面すら許せば毎日でも食べたいくらいな料理の一つである。それがこうして床にぶちまけられてダメになってしまうなんて、なんて嘆かわしいことだ。
 深い溜息を吐く。すると、なぜか傍らのウェイターさんがビクリと肩を跳ねさせた。

「っも、申し訳ございません! すぐに片付けさせて頂きます。生徒様のお手を煩わせるわけにはいきませんので、どうぞ、お食事にお戻りください」
「え? ああ」

 どうやら、なにか悪いほうに勘違いされてしまったらしい。

「違いますよ。今の溜息は、せっかくの料理が勿体ないなあっていう溜息です。ウェイターさんに向けたものじゃないです」
「ですが、だとしても」
「それに、どうせ片付けるなら二人でやったほうが早いじゃないですか。運が悪かっただけのウェイターさんが一人で片付けしてるの見てるのも、居心地悪いですし」
「そうは言われましても……!」
「あ、それと。」

 かちゃかちゃと幾つかの破片を重ね合わせたところで、ふと手を止める。オロオロしっぱなしなウェイターさんに向き直って、一言。

「俺、一般家庭出身で運良く芸術特待貰えてココに入学できただけの庶民なんで。そんなにへりくだった態度取らなくていいですよ。テキトーに、せいぜい丁寧語くらいで」
「生徒様に対して、そういうわけには参りません!」
「あ、その生徒様ってのもやめてください。様ってガラじゃあないんで」
「ですが…………」
「清水です」

 口ごもるウェイターさんの目をしっかり見つめて、もう一度。

「清水恭平(しみずやすひら)です。ウェイターさん」

 「生徒様」じゃないですよと暗に伝えれば、ぱちくりと瞬きをするウェイターさん。……なんだこの人、かわいいんですけど! いかにもデキる大人な風貌の彼のそんな仕草に思わずきゅんとする。

「し、みず、様」
「だから様付けは止めてくださいって」
「しみず、さん?」
「年下の男相手にさんって、なんかおかしくないですか?」
「清水……くん?」

 度重なる俺のダメ出しに、これもダメだったらどうしようとばかりにうるうるした瞳をするウェイターさん。あまりの必死さに、俺は、呼び捨てするまでダメ出しし続けるつもりだったのも忘れてぶはりと破顔した。

「うん。まあ、今日のところはそれで良いです」

 そんな俺の言葉に「今日のところは?!」とウェイターさんはまたアワアワし始める。なんだか、まるで柴犬のこどもみたいだ。明るい茶髪のせいか、余計にそう思う。

――かわいい。かわいい
 撮りたい、かもしれない。

 そう思った、そのとき。

「なんであんたみたいなのが会長様と一緒にいるの?!」

 そんな怒声が背後から聞こえてきた。

「あんたみたいなの、ってなんだよ! 人を見掛けで判断しちゃいけないんだぞ!!!」
「僕は別に見掛けで判断してるわけじゃない! あんたの言動で判断してるの!」
「じゃあ、オレのなにがいけないって言うんだ!!!」
「さっきあんた、あのウェイターさんにぶつかったでしょ? なのに謝りもしなければ片付けもしないで! そんなやつが、会長様にふさわしいとは思えないの!!!」
「うっ、うるさいうるさいうるさーいっ!!!!!」

 激しく言い争う声。どんどんエスカレートしていくそれは、例の転校生のかんしゃく玉が爆発したみたいな叫び声を最後に途切れた。かと思えば、すぐさまきゃあっという一際大きな悲鳴が聞こえてきて――

「っ、清水くんっ、あぶない!」
「え?」

――ウェイターさんの警告を受けて振り返るより早く、ものすごい勢いで誰かが俺に突っ込んできた。
 無論、なんの構えもとっていなかった俺がその衝撃に耐えられるはずがなく、傾いた俺の体は、いまだ割れた食器が散らばったままの床に向かって倒れこむ。

 ああ、不味い。このままじゃ、
 下手すりゃ全身破片まみれ。そう思ったとき、反射的に床についていたのは左手、だった。

「いっ、つ……!」

 ざくり。てのひらに何かが思い切り突き刺さる感触。激痛が走り痛みに声をもらすのも束の間。すぐに左手全体が熱をもち、じんじんと痛み始めた。

「清水くん!」

 顔を真っ青にしたウェイターさんが、慌てて俺に覆いかぶさるような形になっていた誰かをどかし、俺の体を起こした。
 それに合わせてゆっくりと左手を持ち上げれば、大きめの破片がてのひらに思いっきり突き刺さっている、痛々しいばかりの状態が明らかになる。

「清水くん、君、手……!」
「あー……ははは。ちょっと痛い、です」
「ちょっとどころじゃないでしょ、それ!!!」

 ごまかすようにへらりと笑えばすごい勢いで叱咤された。ウェイターさん、衝撃のあまりいつの間にか敬語が消えてる。果たしてこれは良かったのか、悪かったのか。

「――いやまぁ、フツーに最悪ですけどね」

 左手だし。よりによって左手だし。
 俺の利き手、左手なんですけど?





- 1 -
[*前] | [次#]


topmainmokujinow
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -