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「おれ、今井のことが好きなんだケド」

 ぶっきらぼうにそう言って、目の前の男はにんまりと狐のように目を細めて笑った。

 放課後の校舎裏、春先には空を覆い尽くすようにして薄桃色の花が咲く桜の下、なんていうロマンチックなシチュエーション。でも、いまの季節は梅雨だ。すっかり葉ばかりとなってしまった桜の木じゃいまいち決まらない。
 昨日までのひどい雨のせいで地面もひどくぬかるんでいる。この春から二年目の付き合いになる、やや年季の入ってきたローファーを汚すばかりのそれに、今井篤志(いまいあつし)の心のなかは、頭上を覆うそれと同じく灰色の雲に埋め尽くされていく。

 それに、そもそも対峙しているのがどちらもブレザーにネクタイ姿の男ならなおさらだった。ロマンチックどころかどうにもしょっぱいものがある。
 そんな憂鬱な空気を一掃するように、さらり、と目の前の男の黒髪が流れた。男は視界を遮るそれを白い指先でよけて、耳の後ろにひっかける。ぱっつんぎみに揃えられた前髪の向こうでは切れ長な目が涼しげに瞬いていた。口元は相変わらず隙のない笑みを形作っている。

「だからさ、今井、おれと付き合ってくれない?」

 口にした内容とは裏腹な軽い口調と、緊張感の欠片もない様子。その二点から、いや、それだけじゃなくて、篤志は直観的に悟った。

(あ、嘘だ)

 好きだというのも、付き合って欲しいというのも、ぜんぶ嘘だ。推測というより、篤志のそれはもはや確信であった。
 なぜならば、今目の前に立つこの男、加賀(かが)翔一(しょういち)はうそつきだから、だ。



 加賀翔一の名前は、篤志の通うこの学校では有名である。
 とはいえ、それは彼のルックスが街中ででもすれ違おうものならつい足を止めて振り返ってしまうほどに整っていることとか、彼が入学以来他の追随を許さず定期テストで学年トップの座に君臨し続けていることとか、彼が全国大会常連になるほどの弓道の腕前を持っているからとか、そういった、彼にまつわる「良い情報」によるものではない。

――ただ一点。彼が「ものすごいうそつき」であることによって、である。

 加賀翔一は、とにかくやたらと嘘をつく。
 授業中に教師に「今日何日だ?」と聞かれれば当然のごとく昨日の日付を伝え、クラスメイトに宿題の答えを聞かれれば微妙に本来の答えとはズレた偽の答えを伝える。ほかにも、行事の開催日を一週間ほどずらして教えたり、部活の集合時間を二時間早めて伝えたり、テストの範囲をわざと間違えて連絡したり、といった具合である。

 それも驚くほど巧妙に、表情一つ変えず当たり前のようにうそをつくものだから、それが嘘だということになかなか気付けないというのがまた厄介であった。
 もっとも、彼が二年生にあがって彼がうそつきであることが学校全体に広まった今となっては、加賀に日付を聞く教師も宿題を聞くクラスメイトもいなくなったのだけれど。

 とにかく、そんなわけで加賀翔一はうそつきだ。だから、いま篤志に告げられた愛の告白だけが「ほんとう」だなんていう、そんな都合の良い出来事は起こるはずがない。
 単なる出来心か、篤志をからかっているのか、はたまた別の目的があるのか。どんな動機によるものかは不明だが、加賀が嘘をついていることだけは唯一明白で確かな真実であった。

「ばかにするな」
「おれみたいな平凡をからかって楽しいか?」
「うそつきは泥棒の始まりだぞ」

 といった具合に、篤志には加賀にどう返事をするかの選択肢がたくさんあった。それこそ山のように積み重なるくらいには、加賀の嘘を暴くための言葉なんていくらでも思いつけたのである。
 けれど、気が付いたときには、

「……いいよ」

 付き合おう、と。篤志は馬鹿正直にそう頷き返していた。
 篤志の友人たちが聞いたら、きっと篤志の正気を疑ってかかることだろう。男と付き合うだなんて本気か? いや、男にしても、あの嘘つき男とだなんてありえない。落ち着いて考え直したらどうだ、とか。そんなふうに。

(けど、仕方ねーじゃんか)

 だってこれは、いわゆる、惚れた弱みというやつなのだから。空想上の友人たちをなだめるように、篤志は脱力したように微笑んだ。
 篤志の頭の隅っこへ消えていった友人たちの代わりに、「えっ」と声をあげたのは加賀だった。先ほどまでの余裕はどこへやら。夢かとばかりに驚いた様子で、いっそ篤志を疑うかのように目を見開いている。

「ソレ、ホントに?」
「んなことで嘘ついてどうすんだよ。お前じゃあるまいし」

 暗に「うそつき」で有名なことを揶揄するように篤志は言う。そのあけすけな物言いに、加賀は一瞬あっけに取られてから恥ずかしそうに頬を掻いた。

「なんだ今井、おれのこと知ってたわけ?」
「知らないわけないだろ。学校一の有名人だぞ」
「ハハ、それほどでも」
「……いや、べつに褒めてないからな」

 篤志と加賀は、二年連続で違うクラスだ。部活や委員会も違ければ、これまでに接点らしい接点もない。まともに話したのはこれが初めてだった。が、案外ふたりは相性が良いらしい。紡ぎだされる言葉のテンポは驚くほどに良かった。

「それじゃ、よろしくね、今井」
「ああ、こちらこそ、加賀」

 差し出された手を握り返してやれば、加賀は嬉しそうに、やっぱり狐みたいににんまりと笑った。色白な頬にほんのりと赤みが差しているのは気のせいだろうか。それすら嘘の一環、演出の一つだったとしても、篤志のなかには、うっかりそれを「かわいいな」なんて思ってしまっている自分がいた。
 本当、惚れた弱みというやつは恐ろしい。

――そう。今井篤志は、加賀翔一に惚れていた。

 今まで一度もまともに話したことがなくても、遠目にしか見たことが無くても、彼がものすごいうそつき男だと知っていても。ただなんとなく、加賀の雰囲気とかその周りの空気とか、あと、うそをつくときの言葉の発せられ方とかが好きだった。
 加賀が美形である、というのも理由の一つかもしれない。篤志には、自分が面食いだという自覚が大いにあった。

 加賀の外見に惚れたのが先で、そのあと他の部分も好きになっていったのか。あるいは他の部分を好きになったのが先で、そのあと外見に着目したのか。どちらが先だったのかということは、この際どうでもいい。唯一いま重要なのは、篤志が、加賀に告白される以前から加賀のことを好きだったということである。
 うそつきは泥棒の始まり、というのは本当かもしれないなと、篤志はいまさらながら思う。だって篤志は、うそつきな加賀にずっと心を奪われっぱなしだから……なんていうのは、ちょっとクサすぎるだろうか。

 なんにしても、そういうわけで篤志は加賀からの告白を断ることができなかった。例えそれがうそで、いつか「ざーんねん! うっそぴょーん」と嘲笑とともに終わりを告げられる関係だとわかっていても、加賀と、かりそめでもいいから恋人同士になってみたいと淡い期待を抱いてしまったのである。

 先に惚れたほうが負け、ということなのだろう。つまりは篤志の不戦敗だ。
 とにもかくにも、こんなふうにして、篤志と加賀の「おつきあい」はスタートしたのだった。


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