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「なんか、今日さ。せっかくのデートなのに土砂降りだわ、そうかと思ったらフラれるわで散々だったけど……お前と話せたこととこの景色のこと思ったら、そこまでひどい日でも無かったなって思えるよ」

 ニシシと笑う吉澤の顔も当然のことながら朱色に染まっていた。なんだかそれがあまりにも綺麗で、俺はついつい見惚れてしまう。僅かに目を見開いたまま立ち尽くしていれば、何の反応も返さない俺に「酒井?」と吉澤が不思議そうに首を傾げた。
 何気ないその仕草がやけにかわいく見えてしまって、どきり、と胸の内で心臓が一際大きく震えた。

「どうかしたか?」
「えっ、あ……いや、なんでもない」

 慌てて首を振れば、吉澤がふにゃりと笑う。

「はは、変なの」

 言って、吉澤はまた夕焼けに沈む街へ視線を移した。目に痛いほどの茜色の光のなかに何かを思い出しているかのような、少しだけ憂いを帯びた表情に、また心臓が跳ねる。
 どくどくと血が身体を巡る音がいやに大きく聞こえる。夕日の赤のせいだけじゃなく顔が赤くなっているだろう自覚もあった。焼けるように全身が、特に、胸の辺りが熱い。

――まるで、恋の始まりみたいに。

(嘘、だろ)

 だって、そんなことあるはずない。相手は吉澤だ。いつもヘラヘラ笑ってバカなことやって、初めての失恋にさっきまでビービー泣いていたような男だ。
 そう、俺と同じ男だ。

(なんかの気のせいだろ、たぶん)

 吉澤の感傷的な気分にあてられているだけだろうと結論づけて、俺は「勘違い」の一言で芽生え始めたその感情から目を逸らした。
 けれどそれは、それから数か月後。再び「フラれたー!」と俺に泣きついてきた吉澤の泣き顔を見て、うっかり欲情してしまったことから確信に変わってしまうのであった。



(……そうだった)

 あのとき、吉澤と一緒に夕焼けに染まった街を見たあの日に、俺は吉澤のことを好きになったんだった。どうして今の今まで思いだせなかったのだろう。

 その雨の日からしばらくして、吉澤は突然ふっきれたように自分からコンパへ参加するようになった。でもどれも不思議と長続きしなくて、吉澤は、フラれては俺を喫茶店へと呼び出してコーヒー片手に愚痴を言うのを繰り返した。
 そのうち成人したら片手に持つのがコーヒーじゃなくてビールになったりしつつ、今に至る。

 なんだかんだ、あの高校時代の初彼女への未練のようなものが吉澤のなかにはあるんじゃないかなと俺は思っている。だから根っこの部分では新しい相手に本気になれなくて、そのうち相手の女の子がそういう空気を悟ってしまってフラれてしまう、みたいな。女というのは敏い生き物だから、その点では侮れない。

 なんの意味も無い仮説ばかりを並べていると、ふとスマートフォンの振動音が聞こえてきた。ハッと我に返り、窓から離れて枕元に置いておいたスマフォを拾い上げる。液晶画面を見ればメールが届いたのだということがわかった。
 数回タップを繰り返せば受信ボックスが開く。未読マークの横に並んだ「吉澤旭」の名前に、不覚にもどきりとする。
 ちょうど吉澤のことを考えていたところに本人からの連絡が来たという奇妙な偶然に、動揺を隠しきれないままメールを開く。顔文字や絵文字に彩られた文の中身は、昼間話していた映画についてのことだった。

 いつ行こうかという問いかけに、スケジュールアプリを起動してシフトを確認する。珍しく今度の土曜はバイトが休みだったということに自分でも驚きながら、土曜日の昼頃に駅前でどうだろうかという旨を短く伝えて、送信ボタンに指先でそっと触れた。
 そう間を置かずに「了解」とだけ返ってくる。一見素っ気ないメールでも、ついつい口元が緩んでしまうのを止められない。

(……早く、明日になんねぇかな)

 昔を思い出していたせいか、はたまたメールのせいか、ひどく吉澤に会いたい気分だった。黙って待っていてもそのうち夜は明けて、また朝が来て大学へ行けば会えるということはわかっているけれど、なんだかそわそわとして落ち着かない。

 スマートフォンの画面から目を逸らし室内へ顔を戻すと、部屋の片隅のハンガーラックに掛けられたパーカーが目に付いた。この間、吉澤から「フラれた」という報告を受けて愚痴に付き合った日に着ていたものだ。吉澤の煙草のにおいが移っていた、あのパーカーである。
 ラックの前まで歩いて行って、なんの変哲もないそのグレーのパーカーを手に取る。そのまま鼻を埋めるようにパーカーに顔を押し付けてみたけれど、すでに洗濯済みのパーカーからは、もうあの移り香はしなかった。
 当然のことなのに、残念だと思ってしまう自分がいる。

(ただの煙草のにおいだっていうのにな……)

 今すぐ吉澤に電話をして、会いたいと告げたい。衝動のままに、夜の街を吉澤のもとまで駆け抜けていきたい。それから、煙草のにおいが俺の体そのものに移ってしみ付くくらいに、吉澤の細い体を強く抱きしめたい。そう思った。
 自分がそんなことを出来る立ち位置にいないことくらい、痛いほどわかっているくせに。

「吉澤……よしざわ、……旭」

 今まで一度も呼んだことのない吉澤の名前をつぶやいて、パーカーをぎゅっと抱き締める。なんだかひどく泣きたい気分だった。

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