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 食堂で遠目に見かけて以来の姿に思わずぽつりと零せば、そこで初めて俺が目覚めたことに気付いたのだろう。理一は、俺の頭に置いたままだった手をびくりと跳ねさせた。

「起きてたのか」
「……いま起きた」

 寝起きでうまく声が出ないのか、受け応える声は掠れている。なんとなくみっともなく思えて顔をしかめると、それが伝わったのか理一が苦笑した。

「こんな時間から寝ているなんて、疲れているのか」
「それは、お前だろ」

 見るからにくたびれた顔をした理一は、珍しくネクタイを緩めてシャツのボタンもいくつか開けていた。腕まくりをしたシャツにはシワが寄っている。いつもの、完全無欠の生徒会長サマ像からは考えられない姿だ。また生徒会の仕事に追われていたのだろうか。

(それなら、俺のところなんて来る暇があったら寝ていればいいのに)

 そう思ったところで、ふと気付く。今俺の目の前にいるこの男は本当に理一なのだろうか。これは本当に現実での出来事なのだろうか。
 だって、今まで理一が俺の部屋に来たことなんてないし、来るとも思えない。もしそんなことが現実に起こったら大問題だろうし。

(……なら、)

 これは、夢か。俺が一人で寂しいなんて思ったから、わざわざ夢の中に現れてくれたのだろうか。
 だとしたら、こいつ、どんだけいいやつなんだろう。理一相手にきゃーきゃー言ってる親衛隊の気持ちがちょっとだけわかる気がした。

「理一……」
「あ? どうした」
「疲れてんだろ、お前も寝とけよ」

 どうせ夢なんだろうけど、それでも目元に濃いクマを作った理一をそのままにはしておけない。布団のなかから手を伸ばして理一のネクタイをひっつかむ。布団のなかに引き込むようにぐいと引っ張れば、突然のことに体勢を崩した理一が「うわっ?!」と声を上げた。
 そのまま俺の上に倒れ込んでくる直前、理一のてのひらがボフンと俺の顔の横に置かれる。覆いかぶさって来るかと思われた理一の体は、間一髪のところで腕一本に支えられていた。

「ハル? ……お前、まだ寝ぼけてんのか?」

 軋むベッド。さらりと流れ落ちた薄茶色の前髪の向こうで理一の眉が困ったように八の字に垂れる。

「寝ぼけてる、って……」

 寝ぼけるもなにも、そもそもこれは夢のなかだろうに。理一は一体、なにをとぼけたことを言っているんだろう。
 ベッドに手をついた拍子に、頭に触れていた理一の手が離れて行ってしまったのがなんだかさみしくて、頬の横に置かれた掌に擦り寄る。

「理一……」

 理一に会いたいな、とふと思った。

 最後に会ったのはいつだろうか? あの文化祭での時が最後だったっけ? だとしたら、もう一カ月以上会ってないことになる。電話だって、きちんと話したのは二週間くらい前のときが最後だ。
 もちろん、この間食堂でだって姿は目にしたけれど、そんなんじゃなくて、ちゃんと理一に一対一で会いたかった。
 会って、触れて。ワタルのこととか西崎のこととか、もういっぱいいっぱいなんだってぜんぶぶちまけて。そんでもって、完璧なように見えてどっか抜けてるあの生徒会長サマに癒されたい、って。切実にそう思った。

「――りいち、」

 会いたい、と小声で呟く。そのまま直接耳に流れ込んできた自分の声に、なんだか恥ずかしくなって膝を抱え込むように体を小さくした。

 やっぱり俺、ワタルの一件以来ちょっとおかしい。
 普段じゃ考えらんねぇなぁと、我ながららしくない行動と思考に苦笑しそうになったとき、頭上からクスリと笑いをかみ殺したような声が降ってきた。

「お前、寝ぼけてるとそんなになるんだな、ハル」

 いつの間にやら体勢を整え直したらしい理一は、「かわいいな」と笑い交じりに呟いて、さらりと俺の前髪を掻き分けた。そっと俺の頬に触れる指先は暖かい。

 その夢や幻とは思えない体温と、あくまで俺がねぼけているとする理一の台詞に、俺は言いようのない違和感を覚えた。
 どういうことなんだろうか。寝起きの回らない頭で考えながら頭上を仰ぎ見る。ひどく優しいかおをした理一の瞳の中には、ぼんやりと間抜け面をした自分の顔が映っていて。

 それを見た途端、一気に俺の脳は覚醒した。

「……は?! え、ちょ、理一?」
「ちょ、待てハル――ってえ!」

 びっくりして慌てて起き上がると、当然というかなんというか、真上にあった理一の額に思い切り頭突きをくらわせる形となった。ゴツン、と鈍い音が響いて、視界が点滅する。

「ってぇ、あー」

 じんじん痛む額を押さえつつ、慎重にゆっくりと、今度こそ起き上がる。ベッドの脇には、同じような体勢で痛みに悶えている理一の姿があった。

「急に起き上がるな……危ないだろう」
「悪い、理一。ちょっと」

 ちょっと、何だろう。言葉に迷った末に「びっくりして」と言えば、なんだそれはと笑われてしまった。

「ていうか、マジで理一? 夢とか幻とかじゃなくて?」
「なんだ、まだ寝ぼけているのか?」
「寝ぼけてはねーけど、なんつうか、信じらんなくて」

 だって、ちょっと居眠りして目が覚めたら枕元に生徒会長サマがいるとは思わないだろ。抗議するようにじとりとした視線で睨みつける。

「なんだ、嬉しくないのか」
「へ?」
「今言ってただろ。『会いたい』って」
「っおま、それッ……!」
「俺はちゃんと聞いてたぞ、お前がそう言ってるの。なのに、俺に会えて嬉しくないのか?」

 残念だという風に、わざとらしく肩をすくめる理一。
 さっき、夢だとばかり思ってつい漏らした本音を当の本人に聞かれていた。その事実に、俺はかあっと顔が熱くなるのを感じた。

 どうなんだ? としたり顔で聞いてくる理一に、ムッとなってすぐ傍にあった枕をぐっと掴む。そのまま顔面にむかって投げつければ、ぼふりという音の後に「むぐっ」といううめき声が聞こえてきた。

「……ハル? さすがにこれは、ひどくないか?」
「うっせぇ、からかってきたお前が悪い」

 枕が直撃したのか、赤くなった鼻をさすりながら訴えてきた理一を、俺は一蹴する。
 第一、

「嬉しくないわけ、ないだろ」

 理一に会いたかったのは本当だ。会いたいと思っていたところで、夢かなにかだとばかり思い込んでいた理一のことが現実だとわかって、本当に会えたんだってわかって。それで、嬉しくないわけがないだろうに。
 そんな当たり前のことをいちいち聞いてくる理一が悪いんだと、そんな思いで枕を抱えた理一を見返せば。

「――は、」
「……え?」

 予想外にも、ぽかんとした顔の理一がそこには居た。

「嬉しい、のか?」
「え、そりゃあ」

 嬉しいだろう。最近会えてなくて、会いたいと思ってた友人に会えたら。
 即答した俺に、半開きだった理一の唇が徐々に閉じて、代わりにゆるいカーブを描きだす。

「……そうか、嬉しい、のか」
「つか逆に、お前は嬉しくないわけ? 俺に会えて」
「そりゃ、嬉しいに決まってるだろ」

 だろうな。ほら。

「それと一緒だよ」
「そうか」
「そうだよ」

 ニッと口角を上げて笑ってやれば、理一は噛みしめるように「そうか」と繰り返した。なんだか儀式のようなそれは、見えない何かの輪郭を確かめているように見える。ぼんやりと、なにもないところを眺めているみたいだった。
 せっかく会えたのに、すぐ傍に居るのに。なのに俺を見ようとしない理一に、なぜか苛立ちを覚えた。

「なぁ、理一」

 意識をこっちに向けさせたくて、とりあえず名前を呼んでみる。すると「どうかしたか」とあっさりこちらを振り返った理一に、俺は一瞬の躊躇の末「ん」と両腕を広げて見せた。いつだったか――文化祭のときに、理一が俺にしたように。

「久しぶりに会えたんだ。……充電、してくか?」

 挑発的な俺の言葉に、一も二も無く頷いた理一が腕の中にするりと入り込んできたのは、それから間もなくのことだった。





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