10
「……めーちゃん?」
大丈夫か? と、突然黙り込んだ俺を心配したのか西崎が俺の顔を覗き込んでくる。大丈夫だと一瞬返そうとして、俺は開きかけた口を閉じた。
だって、これが理一とかならともかく、西崎相手に強がって取り繕う必要なんてない。
「大丈夫じゃねぇ」
「せやろうな。そんな顔しとるわ」
「マジ無理。なんなの、あいつ」
吐露された俺の本音に西崎が苦笑する。「あいつ」という言葉が忍のことを指すのか、それとも親衛隊の生徒たちを示すのか。それは俺自身にも解らなかった。
ふーっと細く長く息を吐いて、前髪を掻き上げる。なんだか今日は色々と忙しい日だなと思った。理一の言動にドキドキしたり、宮木さんの予想外の申し出に混乱したり、忍のことでイライラしたり。これじゃあ、西崎のことを言えないじゃないか。
「……なんだかなぁ……」
がっくりと肩を落として、もう一度息を吐いた――その時。
「何が『なんだかなぁ』なんだ?」
「う、わっ?!」
突如、左肩にずっしりと重圧がかかる。同時に掛けられた声に驚いて首を捻れば、ピントが合わない範囲、目に入りそうなほどの至近距離に赤茶色の髪が映った。
「……二木せんせー?」
「おう」
見慣れた色にそっと名前を呼べば、赤茶の頭が一歩後ろに下がっていく。ようやくピントの合うようになったその人、二木せんせーは、にっかり笑って頷くと軽く片手を上げた。
「風紀は? ていうか、宮木さんは?」
「さっき解放された。そんで、アイツは帰ったぞ」
「俺のこと、スッゲー顔で睨んでからな」と、二木せんせーはケラケラと笑う。ひっでえよなあなんて言っているけれど、せんせーのことだ。どうせ、宮木さんになにか失礼なことでも言ったんだろう。
……それにしても、宮木さん、ほんとにそのまま帰っちゃったのか……。やっぱり、実は仕事が忙しかったりするんだろうか。
「――で?」
「へ?」
もう少し一緒に文化祭を回りたかったなあとちょっぴり寂しく思っていたところへの不意打ちに、素ではてと首を傾げる。『で?』ってなんだ、でって。
「どうしたんだよ、なんかしょぼんとしてただろ?」
「……ああ、それか」
「それかって、お前な」
他人事のような態度の俺に「仕方のないやつだな」と言わんばかりの表情を浮かべると、二木せんせーはしゃきーんと右手を構えた。あれ、なんかこの構え、見たことがあるような。そう思うのもつかの間。
「いだっ!」
ずびしっ! と、勢い良くデコピンが飛んできた。
「えっ、ちょっ、いたっ! マジで痛いんですけど??? なにしてくれちゃってるんすかアンタは?!」
「――で?」
「……えええええ」
デコピンに対してはなんの謝罪も無しなわけ?!
まさかの対応に不満の声を上げる俺に、二木せんせーは再びしゃきーんと右手を構えて……
「うわあああああ! ストップ! わかった話すちゃんと話すから!!!」
だからストップ! と、俺は周囲の目を気にする暇もなく全力で二木せんせーを制止した。だって、まじで痛かったんだって。デコピン。
たかがデコピン、とあなどることなかれ。
・
・
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「――……つまりお前は、疲れてる鈴木に休憩を取らせない周囲と、疲れてるクセに無理しようとする鈴木本人にも苛立って? それで、なんとなくしょぼんとしていたと?」
「いえす、ぼす」
「あー……なるほどなぁ」
しどろもどろになりながら、二木せんせーいわく「しょぼん」の理由を説明すると、せんせーははーっと息を吐きだした。かと思えば、ちょっと困ったような顔でわしゃわしゃとうなじの辺りを掻き毟っている。
「別に、同性愛が悪いってわけじゃないがな。もうちょっと、節度みたいなもんがあるとなあ……いいんだがなあ」
「はい……」
弱った風にぼそぼそ言うせんせーの言葉に頷く。全くもってその通りだ。
もっと、抜け駆け禁止が行き過ぎたようなガツガツ感さえ無ければ。普段は近寄れないからとここぞとばかりに親衛隊が集まることもなかったし、疲れている忍が更に働かなければいけないようなことにもならなかっただろう。
――それに、俺だって、
「……友達だっつーのに、一緒に文化祭回るのすらできないのもなぁ」
「え、」
寂しいよなぁと続けた二木せんせーに、俺は思わず目を見開く。えっ。
「ん? 違ったか? てっきり、アイツと一緒にいれねぇのが寂しくて拗ねてんのかと思ったんだが」
「すっ?!」
拗ねてなんかない!
大声で言い返す。……拗ねては、いない。けれど、一緒に文化祭を回れなくて寂しい、というのは図星であった。
まっすぐここに戻ってきたのは、もしかしたら忍が休憩に入っているかもしれない、ということを少なからず考えていたからで。だから俺は、忍から休憩時間を奪った親衛隊と、彼らの要望を素直に受け入れてしまった忍に腹が立っているわけで。
「……せんせー」
「あぁ?」
「俺、もしかしたらちょー自己チューかもしんない」
自分勝手すぎる思考回路に、俺はがっくりとうなだれた。自分がこんなにいやなやつだったなんて知らなかった。ついでに言うと、できれば一生知らないままでいたかった。
感情につられるように、視線まで徐々に下向きになる。俺ってほんとやなやつだなあと自己嫌悪で死にそうになってきた。しかし、
「おい、なんでそうなんだよ」
二木せんせーはなぜか呆れたようにそう言うと、ぐしゃぐしゃと俺の髪の毛をかき混ぜ始める。力が強すぎて視界がグラグラした。
「ちょっ、せんせー、やめ、」
「別に、自己中でもなんでもないだろ」
「――……へ?」
一体何をするのだと苦情を付けようと開いた唇は、ただ間抜けな声を漏らしただけに終わった。俺の頭をがっしりと掴んだまま二木せんせーが口にした言葉に、どういう意味かと考えを巡らせながら顔を上げる。
「別にいいだろ、ダチと一緒にいてぇって思うくらい。それで、そのダチに『なんで一緒にいてくんねぇんだー』ってワガママ言うくらい、フツーだろ」
むしろ可愛いもんじゃねえか、なんてせんせーは言うが。
「そういう問題じゃなくね?」
「そういう問題だろ」
「いや、でも」
ほんの一瞬でも、あたかも「忍のため」とでも言うように苛立ちを口にした身からすると、なんだかスッキリしないものがある。納得いかない俺をよそに、二木せんせーはそれをふっと鼻先で笑った。
「お前、俺がいくつか知ってるか?」
「え……たしか27?」
だっけ? と続ければ、頷きが返ってくる。
「で、お前が18だろ」
「イエス」
「年の差は」
「9歳」
二桁の計算くらい考えなくたって出来るわ! 馬鹿にしてんのかコノヤロウ、と臨戦態勢に入りかける俺を二木せんせーはどうどうとなだめた。
「言っとくが、別に馬鹿にしてんじゃねえからな」
「じゃあなに」
「あー、つまり、だ」
そこでゴホンと一回わざとらしく咳払いをするあたり、微妙に格好つかない二木せんせーは、
「俺が言いたいのは、まだ子供なんだからいちいちそんなの気にしてんじゃねえよ、っつうことだよ」
そう言うと、にっこり笑うと俺のぐしゃぐしゃな髪を手櫛で整え始めた。
俺は、あんたのせいでぐしゃぐしゃになってんだからなとか、こういう時だけガキ扱いすんなよとか。そんなことを頭の隅っこで考えながらも、今更ながら思い知らされていた。
二木せんせーって、本当に「先生」なんだなあ――という、至極当たり前のことを。
なんだかむず痒い気持ちに襲われながら、しみじみと二木せんせーの顔を見つめる。すると、ふとそれに気付いたせんせーと目があった。
「どうした、俺に惚れたか?」
「ははは、無ぇよ」
いつだったか、転校してきたばかりの頃にも言われた台詞をバッサリ切り捨てる。どうせまた、前と同じようにおちゃらけて流すのだろう。そう思った。けれど、その予想は外れていた。
俺が切り捨てた途端、二木せんせーはバックに「ずーん」とした暗いオーラを漂わせ始めたのだ。どうやら、今回はそれなりにショックだったらしい。
「うそうそ! せんせーがちゃんと整理整頓できる人だったら惚れてたかも!」
悲壮感をまとったせんせーに慌てて付けたした言葉は、半分嘘で半分ホントである。
二木せんせーは、客観的に見れば普通に優良物件だ。イケメンで、誰もが知る超名門大学卒業で、今みたいにさりげない気遣いが出来て。恐らくは、給料だってそれなりに貰っていて。
こうして羅列した条件だけを見れば、世の女性なら放っておかないだろうと思う――ただし、壊滅的に整理整頓が下手なことを覗けば。
「…………片付け、か?」
「片付け、です」
うろんげな視線を持ち上げて問われ頷き返せば、なぜかぐっと拳を握り固める二木せんせー。
「片付け……片付け、がんばる」
「?!」
なぜか瞳に闘志を燃やしながらそう決意したせんせーの姿がかわいく見えて、俺は思わず悶えた。
なんだ、この、破壊的にかわいいアラサーは!
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