04
宮木さんの一人称が突如「俺」になったこととか、宮木さんの口調が敬語からどこぞのヤンキーみたいな荒っぽいものに変わったこととか、いつのまにやら周囲に人だかりができ始めたこととか。エトセトラ、エトセトラ。
なんかもう色んなことが積み重なりすぎて、俺は完全にポカーンとなってしまっていた。
……なんなんだ、この状況。
救いを求めるように視線を彷徨わせれば、なんだか微妙そうな不可思議な表情を浮かべている二木せんせーと目があった。お前これ、なんなの? そんな風に聞かれた、気がする。いやわからん。もし本当に聞かれてたとしても、俺は答えを持ってない。
えっ、ちょっ、これ。まじでこの事態どうやって収拾するべき?
困惑しきった俺を救うように口を開いたのは、やっぱり宮木さん、だった。
「俺は、本当はアイツ――清明(きよあき)じゃなくて、重陽様にお仕えしたかった」
さっきの堂々とした態度が嘘のように、今度はどこか恐る恐るといった様子で、宮木さんは打ち明け始めた。
清明、というのは言わずもがな、宮木さんの現在の主であり俺の父親である男の名前である。八木清明、44歳。
「けど、まだ学生な重陽様相手にンなことを頼むわけにもいかないだろ」
「それは……まあ、そうですね」
「だから今は、清明の秘書なんつーもんをやっている。……だが、それはあくまで『今』だけだ」
「――今だけ、と言うと?」
言葉を濁す俺を嘲笑うように、わざとらしく促したのは二木せんせーだ。ちょ、そういうの要らない。今はその先聞かないほうがいいって、俺の本能が言ってるんだけど! 余計なコトをした二木せんせーを睨みつける。
「俺は、重陽様が高校を卒業するのと同時に清明の秘書を辞める」
「っ、ハア?!」
「元からアイツともそういう約束だったんだ。期間限定の秘書ってワケ」
「……えええ、どういうことなの」
そのあと俺の仕事を引き継ぐやつももう決まってる、だなんて、とんでもないことをサラリ明かされてギョッとする。思わず声を漏らせば、まるでそれを合図にしたかのように宮木さんは俺の方をくるりと振り返った。
「スーツの裾が翻る様まで決まってんな、さっすがー」とかよくわからないことを考えて現実逃避していると、重陽様、とひどく真剣な声で呼ばれる。
反射的に伸びる背筋。若干声を上ずらせながら返事をすれば、そんな俺の前で宮木さんはスッと跪いた。
「えっ、ちょ、宮木さん!?」
なにそんな、忠誠を誓う騎士みたいなポーズしてんの!?
「――重陽様」
「はっ、はいいい」
「あなたが高校を卒業したらと思っていましたが、ここまで来てしまえば、もはや言ったも同然です」
だから、今ここで言わせてください。前置いて、宮木さんは一度深く息を吸って、言った。
「昔、まだ幼いあなたに初めてお会いしたときから、ずっとお慕いしておりました。私にあなたを守らせてください」
「…………えっ、まっ」
まも、守るぅ?!
なんじゃそりゃ!!!!!
「えっ、ちょ、ちょ、宮木さん!?」
「はい、なんでしょう」
「や、なんでしょうじゃなくて、その」
えっ、ていうか待って? これって恐らく、父さんの秘書を辞めたら俺の下で働くとか、そういう話だよな?
なんだか、愛の告白でもされたような気持ちになるのはなんでだ? 混乱のあまりそんなことを考えてから、自分の発想が恐ろしくなる。やべぇ、俺早くもこの学園に染まりつつある?
衆人環視の状況下で美形な宮木さんに迫られているような今のこれって、なんか色々とマズいんじゃなかろうか、とか。俺は宮木さんになんて返すべきなんだろうか、とか。
急速に回転し始めた俺の思考回路がそういうアレコレの答えを猛スピードで計算していた、その時。
――パンパン、と手を叩く乾いた音が、この奇妙な緊張感を切り裂いた。
「はいはい、ちゅーもぉく! 風紀委員会でーっす」
間延びした声にハッとして振り返れば、人垣をかき分けながらこちらへ向かってくるオレンジ頭が目に付いた。うーたんだ。
なんだか、困っているところをうーたんに助けられる、というシチュエーションが素晴らしくデジャブである。
「廊下のド真ん中でのプロポーズもどきはやめてくださいね〜」
「……全く。そもそも、教師がひとりついておきながら、どうしてこういう事態になっているんですか?」
うーたんの後を追ってそう口にしたのは、ひょろりと背が高い、いかにも真面目そうな佇まいをした黒髪の生徒だった。誰だろう。内心で首を傾げる俺の耳に、「風紀委員長様だ」という囁き声が飛び込んでくる。
なるほど。あの人が風紀委員長か。
「それで? この騒ぎの原因はどなたですか?」
銀縁眼鏡の奥の瞳をスッと細めて風紀委員長。それに、素早く応答したのは二木せんせーだった。
「コイツだよ、コイツ。八木の保護者代理」
不躾に指差されて宮木さんはムッとした顔をするが、それでも自分が騒ぎを起こした自覚はあるのか大人しく頷く。
「はい、そうです。俺です」
「めーちゃんの保護者……代理?」
「うちの父親の秘書さんなんだよ」
父というには若く、兄というには雰囲気が違いすぎることに困惑したのだろう。怪訝そうなうーたんに付け足せば、なるほどという顔をされた。
そうだよな。俺と宮木さんが兄弟だったら、兄がこれだけ美形で弟どうしてこうなったって感じだもんな。解っていても、こうもあっさり納得されるとちょっと辛いのはなんでだろう。
「――ふむ、なるほど」
ひそかにショックを受ける俺をよそに、風紀委員長は宮木さんと二木せんせー、そして周囲の状況へとサッと視線を巡らした。
「それでは、八木くんの保護者代理だという……失礼ですが、お名前は?」
「宮木です」
「宮木さん。あなたと、それから二木先生」
「あァ?」
何で俺なんだとばかりにガラ悪く返す二木せんせーを視線一つで黙らせた風紀委員長は、さすがうーたんの上司というだけあってなかなかのやり手だなと思いました。まる。
「事情をお聞きしたいので、風紀委員会本部までご同行お願いしてもよろしいでしょうか」
――風紀委員長がそう宣言してからは、あっという間だった。
宮木さんが同意するなり、それじゃあこちらへと言いながらうーたんに目で合図する風紀委員長。それを見て、うーたんは「はいはーい、かいさぁーん!」と声を張り上げて手早く群衆を散らした。
元通り、廊下が文化祭独自なだけのざわめきに戻るまでの所要時間わずか1分。さすがとしか言いようが無い。
鮮やかすぎる手際に呆気にとられていると、宮木さんがふと一歩歩み寄ってきた。
「重陽様」
「う、あ、はい」
「すみません、なんだか騒ぎになってしまったようで……重陽様が心配なあまり、暴走してしまいました」
私としたことが、と宮木さんは申し訳なさそうに眉を垂らした。その様がなんだかちょっとしょぼくれた飼い犬のようで秘かにキュンとする。
だめだ。俺、たぶんだけど、この学園に来てから犬っぽい人に弱くなった。
「重陽様のお元気そうな姿も拝見できたことですし、風紀の方々に事情をお話したら、今日のところはこれで失礼しようかと思います」
「えっ? もう、」
もう帰っちゃうんですか、と引き止めそうになって慌てて思いとどまる。だって、引き止めたところで俺はさっきの宮木さんの誓いのような言葉になんて返したらいいか解らなかったから。その状態でまだ居てほしいと乞うのも、ちょっとどうかと思ったのだ。
そんな俺の複雑な心境を察したのか、宮木さんは困ったようにクスリと笑うと、そっと俺の頭に手を伸ばした。
「本当なら何が何でも連れて帰りたいところですが――」
そういえば、そもそもそんなところからこんなことに発展したんだっけ。思う俺の頭を、宮木さんはそっと撫でつけた。
「……重陽様、なんだか楽しそうですね」
「楽しそう? ですか?」
「ええ。少なくとも、ご自宅にこもっていらっしゃった頃よりは」
「まあ、そりゃあ」
そりゃそうだろう。だって、今は現実世界で毎日友人に会える。
そんな答えをすぐに出せたあたり、なんだかんだ、この学園に来てから俺は色んな意味で変わっているのかもしれない。猫派が犬派になったとか、そんなことだけじゃなくて。
「重陽様が楽しそうで、俺は嬉しいです」
「ありがとう、ございます?」
「どういたしまして……って言うのは、ちょっとおかしいですね」
くすくすと笑みをこぼすと、宮木さんは最後に俺の耳に髪をかけてから手を放した。そして、ちょっとためらうそぶりを見せてから口を開く。
「さっきの話ですが、もしよければ、前向きに考えてくださると嬉しいです」
しみじみと、妙な感傷に浸る俺に一言そう残して、宮木さんは手招きする風紀委員長に従って廊下の向こうへ消えて行った。そのあとを、しぶしぶといった風に二木せんせーもついていく。
オレンジ頭がトレードマークのうーたんは、宮木さんと話している間にいつの間にやら消えていた。ツイッターで忙しいって言ってたもんなあとぼんやり思い出す。
穏やかにざわつく廊下に一人残された俺は、しばらくの間。
なんだかどうしたらいいのかいまいち解らないまま、その場に立ち尽くしていた。
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