「特別な願い事をただひとつだけ叶えてよ」


もうすぐ君の誕生日だろう?
棋院からの帰り道、突然塔矢がそう切り出してきた。
俺はと言えば、そうだっけ?くらいにしか感じていなくて。
そんな事よりも今日の対局の検討の方が俺には大事だったから、塔矢を急かしていつもの碁会所へと急いだ。
それはいつもと変わらぬ光景。
何も変わらない、いつもの日常。
そうやって毎日をこれからも変わらずに過ごしていくのだと、俺は漠然と思っていた。
当然、塔矢もそうなんだろうと。
何も変わらない。
変えない。
それでいい。
そんなふうに、思っていたのに。
どうしてだろう。
この日の塔矢は、拘るように俺の誕生日の話題に触れてきた。
「ねぇ、進藤。君の誕生日を、僕に祝わせてくれないかな?」
「ええ?」
突然の申し出に、俺は一旦立ち止まる。
いったいどうしたんだと振り向いた先には、とても真剣な眼差しの塔矢がいた。
「な、なんだよ急に。別に誕生日なんてただひとつ年をとるだけじゃん。祝ってくれなくてもいいって」
その真剣さについ一歩引きながら俺はそう断りを入れる。
確かに少し前までは誕生日が近くなると祝え祝えとしつこく言っていたような気がする。
けれど、ここ数年は棋戦も込んでいた都合ですっかり誕生日を祝うような雰囲気もなくて、そのうちにそれが普通になってお互いに誕生日の事を口にする事はなくなっていた。
けれど、俺も塔矢もその事に特に不満はなかったし、棋士なんだから棋戦が何よりも優先されるのはもはや当たり前だとさえ思っていて。
なのに、突然思い出したようにその話題を振ってくる塔矢に、だから俺はどうしたんだと首を傾げるばかりだ。
そんな俺に、次第に塔矢も焦れてきたのだろう。
「今年の君の誕生日は、お互いに仕事が入っていないだろう?ここ数年、まともにお祝いの言葉すら言えていなかったから、その分も含めて今年はお祝いをしたいんだ」
ガシッと両肩を痛いくらいに掴まれ、真正面から睨むようにそう訴えられた。
「え…、う…お…」
その迫力につい口ごもる俺に、塔矢の顔がググッと近づいてくる。
って、やばい!キスされる!
思ったと同時に拒否った。
だってここは天下の往来だ!
「ちょっ、塔矢!!」
慌てて顔の前に両手を出し、間一髪で接触を回避する。
「なにするんだ、進藤」
するとあからさまに不機嫌な顔で塔矢が文句を言ってくるが、「なにするんだ」はむしろ俺のセリフだ。
お前こそ今俺に何をしようとした?!
「…それは、君があまりにもつれないことを言うから…」
「だからってこんな人混みの中でキスしようとするなよ!」
「つい出来心で…」
「よぉし。明日からは帰り道、別々な」
そうか。出来心か。
ならなおさらまずいよなぁ?
そんな理由で所構わずキスされちゃ困るどころの話じゃない。
世間の目が痛いだけでなく、もしも関係者に見られたとしたら大スキャンダルだ。
大きな棋戦もこれから待ち受けているのに、ここで躓いている訳にはいかない。
「そ…そうだな…。自重するよ…」
肩を怒らせる俺に、さすがに塔矢もこれはまずかったと反省したのだろう。
すぐに謝ってきたがどうも言葉の歯切れが悪い。
俺はさらに塔矢を睨み付けると、
「絶対だな?」
普段より低めの声を出して聞き返した。
「出来うる限り…」
するとやはり小さな声でそんな返事がきたものだから、再び俺は容赦なく「ならやっぱり帰りは別々に…」と塔矢に背を向ける。
「か、必ず守る!!」
するとようやく塔矢が語尾をしっかりと上げて、もうしないと宣言をした。
よし。その言葉、しっかりとこの耳で聞いたからな。
これでまた変な事をしそうになったら、今度こそ帰り道は別々だ。
「よし、じゃこの話は終わり。ほら、さっさと碁会所に行こうぜ」
思わぬ所で時間をとってしまった。
せっかくの検討の時間が短くなってしまう。
俺は再び塔矢を急かして碁会所に向かおうとしたのだが、
「待ってくれ進藤」
塔矢にまたもやストップをかけられた。
「もう、なんだよ!」
俺は一刻も早く検討がしたいんだよ。
どうしても試してみたい手があるんだ。
それを一緒に検討してほしいんだ。
ああ、もういっそここで碁盤なしで始めちまうぞ!?
若干キレ気味になりながら、俺は塔矢を振り返る。だが、
「まだ話は終わってない。僕は君の誕生日を祝いたんだ」
塔矢も話を譲らない。
「またそこに戻るのかよ」
「君が良いって言ってくれるまで、何度でも続けるよ」
終いにはどこか思いつめたような血走った目で見つめてくる。
怖い。めっちゃ怖い。しかもまた顔が近すぎる…
俺は塔矢の顔をグイグイと手で押しのけながら、深く息を吐いた。
なんなんだ。
どうしてそんなに俺の誕生日に拘るんだ?
そりゃ確かにここ数年分を一気に祝ってくれようとしている塔矢の気持ちは嬉しい。
嬉しいけど、俺にとっては誕生日より碁だ。
明らかに比率は碁に傾いている。
けど、
「進藤…!!」
俺のブロックをかいくぐって塔矢はなおも近づいてこようとする。
こうなると塔矢はもう俺が首を縦に振るまで引かない事は色々な場面で経験済みだ。
けどなぁ…
(正直、面倒なんだよなぁ…)
だんだんと俺の顔も険しくなっていく。
正直に言えば恥ずかしい。
だってこの年になって祝ってもらうとか、やっぱり抵抗があるわけで…
けど、塔矢はそれがしたいと言う。
(いっそこのまま無視して塔矢をここに捨てて行ってしまおうか…)
一瞬そんな考えが頭を過ったけど、さすがにそれをやったら塔矢が可哀想だ。
この場合、俺が折れて塔矢の提案に乗っかるのが一番平和な解決策なんだろう
それは分かっている。
でも。でも、だよ。
(ああ、くそ。どうたらいいんだよ…)
ガリガリと頭を掻いた。
ああ、こうして俺が渋っているうちに何とか諦めてくれないかなぁと、ちょっとだけ期待してチラリと視線だけで伺ってみが、塔矢の方には全く引く気配がない。
(はぁ…)
困った。
これはもう打つ手なし…か。
諦めかけたその時だ。
打つ手…という言葉に俺の囲碁馬鹿魂が刺激された。
(いや、そうだ。諦めちゃだめだ。投了するにはまだ早いぜ。生きる道は必ずある…!!)
そうだ、碁と同じだ。
どんなにどん詰まりだろうと、諦めずに道を探せばどこかにきっと逆転の一手が残っているはずだ!
探せ!探せ!諦めんな!
どんな些細な隙も見逃すな!
そこから新たな一手を生み出すんだ!!
(そうだ!塔矢がどうしても祝いてぇって言うなら…!!)
頭が冴えわたる。
まるで逆転の一手を見つけたその瞬間のように、俺の視界が綺麗に晴れた。
「塔矢」
「なんだい?」
ズイッと塔矢に一歩近づく。
塔矢はようやく俺が観念したと思ったのだろう。
にこやかな笑顔になって俺に手を伸べてくる。
その手を、俺は容赦なく叩いた。
「痛いよ、進藤…」
途端に塔矢の表情が不機嫌になる。
俺はと言えば、そんな塔矢とは逆にニヤリと笑みを浮かべた。
うん。
良い事を思いついた。
そうだよ。
確かに祝ってもらうのは恥ずかしいけど、だったらいっそ、塔矢にも同じくらい恥ずかしい思いをしてもらえばいいじゃないか。
(名案!俺ってば頭いい!!)
完全に自画自賛である。
だが、それでいい。
そうだよ。俺だけじゃなく塔矢も同じ目にあえばいいんだ。
それに、うまくいけばこれで来年からはやっぱりもう祝わないと言ってくれるかもしれない。
「し…進藤?」
俺の顔を見て、嫌な気配を感じ取ったのだろう。
今度は塔矢の方が一歩後退した。
そんな塔矢を逃がすまいと、俺は塔矢の腕をガシリと掴む。
完全に立場は逆転だ。
「なぁ、塔矢。俺の誕生日、祝いたいんだろう?」
「あ、ああ」
塔矢がぎこちなく頷く。
祝いたい気持ちは本当だから嘘でもここで塔矢は違うとは言わない。
それがわかっていて、俺は敢えて塔矢に「そうだ」と返事をさせて逃げ道を塞いだ。
さぁ。これでもうお前にはイエス以外の返事はねぇぜ。
ざまぁみろ。
思わず喉の奥で笑う。
塔矢もうっすらとそのことに気付いたのだろう。苦虫をかみつぶしたような顔になりながら、しかし黙って俺の言葉を大人しく待った。
「なら、さ」
そんな塔矢の顔が面白くて、俺は勿体着けたようにゆっくりと語りかける。
あ、やべ。眉間の皺が増えてきたな…
これ以上引っ張るのはちょっと危険かな。
俺は瞬時にそれを悟ると、
「俺、塔矢からどうしても欲しいプレゼントがあるんだけど、いいか?」
まずはそう切り出してみた。
何を言われるのだろうかと身構えていたらしい塔矢は、俺のその申し出に一瞬キョトンと驚いた顔をする。
あ、その顔可愛いな。
なんて、そんな事を思いながら塔矢の反応を待っていると、
「もちろんだよ!」
直ぐに塔矢は破顔して頷いた。
その顔にまたドキッと胸が跳ねたけど、とりあえず落ち着け、俺。
くっそ、ホント反則だよなぁ、塔矢の笑顔って。
そう簡単に人前で晒すんじゃねぇよ。全部俺のだ、俺の!
っと、いっけね、話を戻そう。
俺はひとつ咳払いをして気持ちを落ち着けると、改めて塔矢に向き直った。
そして今度はとても真剣な顔を作る。
ジッと下から塔矢を見つめてやれば、今度は塔矢の方が真っ赤になってオロオロとしだした。
おい、目が泳いでるぜ?
大丈夫か?
「し、進藤…。そんな可愛い顔で僕を見上げないでくれ…」
「なっ!俺は真面目な顔してんの!それを可愛いってなんだよ、可愛いって!!」
「いや、実際可愛いし…」
理性が…とかブツブツ呟きだした塔矢に、俺はとりあえず拳骨を一発お見舞いした。
ったく、人が必死に真剣な顔を作ってるのに、失礼な奴だ。
ムッとしながら、しかしこのままでは話が進まないのと同時に、道端で騒いでいる俺たちに気付いて次第に人の視線が集まってきた。
しかたねぇ。さっさと計画を実行に移す!
「そのプレゼントなんだけどさ」
「うん」
俺に殴られた頭をさすりながら、さすがの塔矢も無遠慮な視線に気が付いたのだろう。
それ以上は反論せずに黙って俺の言葉に頷く。
「俺の言う事、なんでも聞いて」
「うん…え?」
「一日中、俺の我儘ずっと聞いて」
「はい?」
あ、すげぇビックリした顔してる。
へへっ。作戦成功、成功!!
「だから、誕生日の日はずっと一日中俺の我儘に付き合ってよ。なんでも俺のお願い叶えて。良いだろ?」
「いや。それはさすがにちょっと…」
「なんで?だって塔矢、俺の誕生日を祝いたいんだろ?」
「そりゃ、そうだけど…」
「だったら、俺の欲しい物ちょうだい」
「うっ…」
そこを突かれると、塔矢も反論ができなくなる。
そのために、俺は塔矢の逃げ道を塞いでおいたんだから。
へへへっ。困ってる、困ってる。
さっきよりも深く塔矢の眉間に皺が寄ってる。
さぁ、どうする塔矢?
とは言え、お前は頷くしかねぇんだけどな。
それが嫌なら、祝う事を辞めるって選択肢しかなくなる。
塔矢にとってそれは無いだろうし、だったら俺の提案を飲むしかない。
因みに俺がもし逆の立場だったら、即刻ノーだ。
塔矢の我儘を一日中聞くよりだったら、誕生日の祝いをなかった事にする。
「塔矢?」
ググッと言葉を飲み込んでいる塔矢に、俺は最終決定の返事を求めて名前を呼んだ。
「わ…」
「わ?」
「わかったよ…」
「マジで?!」
息苦しそうに塔矢がどうにか頷いて返事をする。
やった!これで20日は我儘し放題…!!
と、思ったんだけど。そこはさすがに塔矢だ。
「ただし、ひとつだけにしてくれないか?」
「えー?」
条件を付けてきやがった。
なんだよ。それじゃ意味ないじゃん。
つまんねぇよ。
「その代わり、どんな我儘でも聞くよ。そのひとつに関しては、絶対にノーは言わない」
「うーん…」
俺としては、一日中塔矢をこき使ってやろうと計画をしてたんだけど…
「どうせ君の事だ。小さなくだらない事で僕をこき使ってやろうなんて考えているんだろう?」
「うっ」
今度は俺が言葉に詰まった。
「つ、つまんなくなんかねぇよ…」
「だったら、どんな我儘を言うつもりだったんだい?」
「そりゃ、その…。肩揉め…とか、お茶もってこい…とか?」
「ほら、くだらない」
はぁ、と深く息を吐かれた。
な、なんだよ!!良いじゃん別に!俺が満足するなら!!
「ねぇ、進藤。それだったら、何か一つ。進藤がどうしても僕にして欲しい事を考えてくれないか?そうしたら僕は、全力でそれを叶えるよ」
「えー?うーん…そう…だな…」
なぁ、これって俺、絶対に絆されかけてるよな?
塔矢の思惑に誘導されてるよな?
でも…
「んー。わかった」
俺は頷いた。
まぁ確かに、一日中塔矢をこき使ってやるのも捨てがたいけど、塔矢の言う事もわかる。
何かひとつ。どうしても叶えて欲しい願いを。
「じゃ、当日までに考えておく」
「いやできれば少し前の方が…。準備とかもあるし」
「いいじゃん!当日発表の方がスリルあって!」
「進藤…」
「な?いいだろ?」
ダメ押しとばかりに両手を合わせて塔矢を拝む。
塔矢はそんな俺に仕方ないなと苦笑しながらも折れてくれた。
うん、だから塔矢って好き!
「久しぶりの誕生日祝いだ。とびっきりの願い事を叶えてもらうぜ?」
「少しくらいはお手柔らかに頼むよ?」
「さぁ?どうかな?」
ニッと笑った俺に、塔矢の溜息が重なる。
俺はと言えば反対に、浮足立って碁会所への道を文字通り跳ねて歩いた。

最初はイヤイヤだった誕生日。
けど、やると決めたらちょっと…いやかなりワクワクしてる。
さぁ。当日はどんな願いを叶えてもらおうか。
誕生日がこんな楽しみなのは何年ぶりかな。
(なぁ、佐為。今年の誕生日は、ちょっと特別な日になりそうだぜ?)
まだ夏の気配を残す空を見上げて語りかける。
よかったですねと懐かしい声が、雲の隙間から聞こえた気がした。

そうして、願い事を考えながら数日。
ついに俺の誕生日当日がやってきた。

(続く)

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