「試練とはまさにこの事か」


彼の名は進藤ヒカル。
僕の、ただ一人の好敵手(ライバル)だ。
出会って5年と少し。
一時は、君の事を忘れようとした時期もあった。
君を追いかけ、でも絶望して、やはり自分は一人で前に進むしかないのだとプロになる覚悟を決めた。
すると、今度は君が僕を追ってきた。
真っ直ぐに、ただ、ひたむきに。
そんなはずは無いと思っても、僕は振り向かずには要られなかった。
一歩一歩、でも驚く程のスピードで君は僕を追ってくる。
どんなに振り払おうとしても、君など追い付けないほど上に行ってやろうとしても、それでも君は止まること無く僕を追いかけてくる。
そうして、気がつけばすぐ後ろに足音さえ聞こえるんじゃないかと思うほど、僕の側に近づいていた君。
それを言ったら、なぜか「俺はメリーさんか!!」と物凄い形相で怒られてしまったけれど、メリーさんって誰だろう…?
よくわからないから、今度聞いてみようと思う。
…とにかく、君は僕を追いかけ、そして僕も、君を生涯のライバルであるとついに認めた。
それがどれだけ、僕に喜びを与えたことだろう。
僕は初めて、見えない何かに感謝したくらいだ。
実際に仏壇の前で感謝の念を唱えたら、父と母が何か言いたげにこちらを見ていたけれど…
お父さん、お母さん、言いたい事があるなら、出来れば口にしてください。
まぁ、そんな家族の微妙な空気の話はとりあえず置いておこう。
ええと、どこまで話しただろうか…
そうだ。進藤の事をライバルと認めた所までだね。
進藤…。
そう、ライバルなんだ。僕たちは。
でも、僕は君の事をあまりよく知らない。
進藤も、僕に隠している秘密がたくさんあるようだった。
謎だらけの君。
まぁ、だからこそ興味を持った部分もあるのだけれど…
その秘密を、僕は知りたいと思った。
初めて、誰かに対して執着を持って、そして全てが知りたいと思った。
例えば、君はいったい誰に碁を教わったのか、とか。
出会った頃の君のあの強さはなんだったのか、とか。
saiとの関係。秀策への拘り。
碁の勉強は、いつもどうやってしているのか、家ではあのジャージを常に着ているのか、就寝は何時なのか、朝は何時に起きるのか、朝はパン派かご飯派か、ラーメン以外に好きな食べ物って何?!
…はっ…しまった脱線した…
と、とにかく。
僕は、君の秘密がとても知りたくてたまらなくなった。
そんな僕に、君はいつか話すかもしれないと言ってくれた。
それを聞いた時、どうして今すぐではダメなのかと思ったりもしたけれど、誰にも話すつもりは無いのだろう君の秘密を、僕にだけは話してくれる気になってくれた事が、とても嬉しかった。
(もしかしたら、君にとって、僕は特別な存在であると自惚れてもいいのだろうか…)
不意に過ったその感情。
僕にとって君が特別な存在であるように、君にとっても、僕は特別な存在になり得るのだろうか…
(なれたら…いいな)
そう。なってくれればいい。
気が付けば僕は、常に君の事ばかりを考えている。
君の事を忘れようとしていたあの時期さえ、実際には忘れる事なんか出来なくて。
もう会わない。
でも、会いたい。
終わったことだ。
でも、もう一度確かめたい…
相反する心が僕の中にあって、言葉とは裏腹に、僕は君を求めていた。
そうして今、君は僕のすぐ横に並んで立ってくれている。
碁会所で一緒に打つようになって、北斗杯という国際試合にも一緒に参加して。
それでもまだ、君の秘密は教えてもらえないままだけれど、君の瞳は、そして碁は、僕から逸らされること無く、以前よりもっと近くにその存在を感じる事ができるようになった。
そのことが、素直に嬉しいと思う。
君と一緒に未来に進む道があることを、嬉しいと思う。
同時に、僕は自覚した。
嬉しい気持ちの中に隠れていた、どこか甘くて、切ない気持ちに。
君と居ると、嬉しい。
君と居ると、楽しい。
でも、同時になぜかとても切ない。
そしてとても、苦しくなる。
会える時は嬉しくて、分かれる時は寂しくて…
僕には同い年の親しい友達なんていなかったから、初めは友達ってこんな感じなのかと思っていた。
けれど、違った。
君と院生仲間の友達が「またな」と手を振り別れる間際、その顔を見れば、僕とは全く違う表情をしていて、やっぱり僕だけが違うのだと気付いた。
彼らは、別れ際に切なく君を振り返ったりはしない。
でも、僕は君と別れる時に、どうしようもなく寂しくなって、何度も君を振り返って、そしてすぐにでもまた君に会いたくなるんだ。
その思いが、どんな感情から生まれているのか。
それは、ある日君が同じように院生の仲間たちと話をしながら棋院を出てきて、そのままふざけあっている姿に明らかな嫉妬を感じてしまっている自分に気付いたことで自覚をした。
(ああ、そうか)
そうなんだ。
僕は君にただの友達という感情を持っているだけじゃない。
もちろん、友達であると同時にライバルであるけれど、僕は、君にそれ以上の感情を持っているんだ。
そう。僕は…
(僕は、君の事が好きなんだ…)
君に、恋をしているのだ…
気付いた途端に、僕は自分の感情を止めるすべが分からくなった。
君の姿を見るだけで鼓動が激しくなり、体が熱くなる。
二人きりで会ってしまった時など、暴走しそうな自分の体を制御するのに精一杯だった。
あのキラキラと光る前髪に触れたい。
笑顔の絶えない頬に触れたい。
あの瞳を、独占したい…
細い体を、抱きしめてこの腕の中に閉じ込めてしまいたい…
キスが…したい。
(ダメだ…。そんなことをすれば君に嫌われてしまう…)
嫌われたくはない。
でも、出来れば言ってしまいたい。
苦しい。もう吐き出してしまいたい。
君が好きだと、今すぐ伝えたい…
気持ちが暴走する。
どうしていいのか分からなくなる。
だから、僕は物理的に距離をとる事にした。
少しの間君から離れれば、この気持ちも落ち着くだろうと思ったからだ。
棋院でも目を合わせない。
碁会所にも行かない。
重なるイベントはずらしてもらう。
電話にも出ずに、誰も居ない家に鍵をかけてひとりで引きこもった。
でも…
そんなあからさまな逃げに、君はすぐに怒って僕に理由を尋ねてきた。
自分たちはライバルではなかったのかと詰め寄られ、僕はそんな君から目を離す事が出来なくなった。
逃げる事が、できなくなった。
「君は僕の、生涯のライバルだ…」
「だったら…!」
「だからこそ!君の傍に居ることはもう出来ないんだ!」
はっきりと告げる。
そう。ライバルであるからこそ、傍に居られない。
君と生涯ライバルでいるためには、僕は自分の感情を封印しなければいけないから。
傍に居れば、いつか必ず僕は自分の感情の制御が出来なくなる。
あっという間に、ライバルという大切な関係を、僕は壊してしまうだろう。
だから…
「僕は、ライバルであるために君の傍にはもう居られない」
それを告げた途端、君の瞳が大きく開いた。
信じられないと、その目が語っている。
そうだろう。
お互いに追って、追いかけて、そうしてずっと二人で一緒に高みを目指していくのだと信じていた。
神の一手に近づくために、一緒に切磋琢磨して行くのだと。
それなのに、僕は君から離れる選択を選んだ。
ライバルである為に、個々の道を歩む事を選ぼうとしている。
「例え離れたとしても、お互いを追うライバル関係には変わりないだろう?」
その方が、ライバルとしては自然なはずだ。
手合いや棋戦以外のプライベートな場面では、もう一緒に打つことはしない。
そんな関係を、僕は選ぼうとしている。
「なんだよ…それ…」
君の声が震えた。
怒りに、そして悲しみに。
「俺は!お前とずっと打ちたい!俺たちは、ずっとそうして…」
「それが僕にはもう出来ないと言っている」
「…!!」
終わった、と思った。
これで君は、僕から離れて行ってしまうだろう。
そうして、僕と君は今までと違い、ただ棋戦で戦うだけのライバルという関係になる。
でも、それでもいい。それだけでいい。
これ以上君の傍に居ると、僕はきっと全てを失ってしまいそうだから…
ライバルという関係さえも失ってしまうより、この方がきっとお互いの為にいいはずだ。
……なんて。
それはもう人生が終わったみたいに深く落ち込んでいたというのに…
「どうしてだ…」
僕は目の前の光景を見て唖然としていた。
誰にともなく問うた。
もう、碁盤の前以外では会う事もないだろうと思っていた君。
一緒に居られないと告げたあの日、「勝手にしろ!」と君は僕に見た事もない怒りの目を向けてそのまま走り去って行ってしまったはずなのに。
その君が…
「これはなんの試練だ、いったい…」
低い天井の木目を見上げる。
頼む。誰かこの状況を説明してくれ…
いったい何がどうしてこうなった…
震える手を、僕は君に向かって無意識に伸ばしていた…




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