もう何度目になるかわからない山道を、足下を見ることもなく足早に駆け上がる。
左越しに垂れる鞘が、よく磨がれた刀と擦れ合ってかちゃかちゃと音を立てた。

俺は草梛という和菓子屋の長男として生まれた。名をキコという。

漢字で書くと亀虎となるが、俺は別にのんびり歩くことも勇ましく戦うことも好きではない。

ただ普通に店の手伝いをして、近所の友達とだべって、この平べったい山に登って、
この山の主を殺そうとする、実に平凡な日常を過ごしている。


急な坂というものはないが、すこし大きめの岩がゴロゴロと転がっているせいで足場を取られる。

体勢を整えるのに躍起になっていると、不意に目の前が黒に染まった。

一瞬木漏れ日が遮られたことに気付くと同時に目の前にばかでかい鴉が舞い降りる。
腰まである黒髪を風に遊ばせ濃紺の着物の袖を翻しながら、下駄を履いているにも関わらずカランという音すら立てずに俺の目の前に降り立った人物。

彼が、この山の主といわれる守り神だ。

細身の長身に黒という色は、いっそ不釣り合いなまでに似合っている。
端麗な顔をしているが、常に無表情のままなのがどこか恐ろしい。

いつみても全身を黒に浸したような格好をしているから、彼に会った村人は彼のことを「鴉の化け物」と称している。

最近では略して化け物と呼んでいる。俺は本人に向かってもそう呼んでいる。
奇妙なことに彼は、その呼び名について一度も言及してこない。

俺は今からこの化け物を殺さなければならない。

ちなみに俺が彼を殺そうと決意してから、俺が優勢になったことは一度もない。


腰に差していた日本刀を引き抜く。例え負け試合だとしても戦わなくてはならない。

愛刀の切っ先を相手に向ける。大丈夫、どうせ誰も死なないのだから。

彼は一度目を細め、しかし何も言わず右手に持っていた黒棒を握りしめる。

それが、開始の合図だった。





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