咲喜が市女笠を取ると、隠されていた顔と髪が月夜の下に明らかになった。
「う、わ・・・」
目を見開いて大きく息を吸い込んだ。
凛とした言葉遣いもさることながら、黒い絹のような髪にも黒真珠のような瞳にも見惚れてしまった。
これぞ正に「傾城の美女」
咲喜の美しさはそれ以外に例えようが無い程である。
闇夜に溶けたように、だが闇とは違った艶やかな黒が印象的だ。
「ねぇねぇ、あんた名前は?」
「黒蝶では不十分か?」
咲喜は問いを問いで返し、一歩間違えれば相手を不機嫌にさせるような答えだったが緋乃は何でもないように笑った。
「俺は緋乃。ふらり火だけど名前はあるよ。
だからあんたにもあるだろ?俺はそっちが知りたいなー」
にっこり笑う緋乃に毒気を抜かれた咲喜は、一つ間を置いて答えた。
「・・・咲喜だ」
どうにも調子が狂うような奴だ。
無意識に口角が上がっていたのか、それを見て緋乃は「笑ったらもっと美人だ」と言って笑った。
「そうだ!咲喜は甘い物、好き?」
「好物だ」
こくりと頷けば、緋乃は良かった、と地面に落ちていた紙袋を拾った。
紅福饅頭である。
袋を開くと、一つ咲喜へと差し出した。
「はい、助けて貰ったお礼!」
本来なら咲喜もお礼を言わなければならないのであろうが、それを言った所で「何が?」と返されそうな雰囲気であった。
小さく礼を言って受け取って、汚れるのも気にせず緋乃の横に座り、饅頭を食べる。
その美味しさに、咲喜はお茶が無いのを残念に思った。
「ところで、緋乃は何処から来たんだ?降って来たみたいだったが・・・」
柳眉を少し顰め、咲喜は緋乃の服装を見た。
緋乃も緋乃で自分の服装と咲喜の服装を見比べ、辺りを見渡す。
被る黄色いヘルメットは工事現場の警備をしていた時のまま。
咲喜は市女笠であったし、それに加え着物姿。
町並みも現代のそれとは打って変わって平屋の木造がずらりと立ち並ぶ。
「よりにもよってこの時代かよ・・・」
齢三桁を着々と刻んでいる緋乃にとっては、この時代も過去の一部。
町並みを見ただけですぐにどの時代か判別できた。
どうやら穴に落ちた拍子に“飛んだ”のだろう。
その事を嘘だと思われるかも知れないと思いながら隠しもせず咲喜に話すと、咲喜は黙って聞いていてくれた。
帰りたいなぁ、と緋乃が夜空を見上げながら呟くと、咲喜も夜空から目を離さず緋乃に向けて声を発した。
「私を殺したら帰れるかも知れんぞ。利用しようと思わないのか」
「何で?」
「・・・」
これは絶対に答え辛いだろうと咲喜は予測して尋ねたが即答でそう返され、咲喜は逆に詰まってしまった。
妙にやり辛い男だ。
「・・・知っているんだろう、私が黒蝶だと言う事」
「あー。そうだね、騒いでた騒いでた。あったな、そんな時期も」
遠い昔の事を面倒臭い、とばかりに頭を掻きながら遠い目をして思い出す。
意外と情報通、という事が見てとれた。
緋乃は大口を開けて饅頭を一口齧り、あっけらかんと言った。
「でもそうまでして帰るくらいなら、俺はいいや」
いいや、帰れなくても。
もう一度そうハッキリと言う。
今この時代を過ごしてもまだあの時代まで生きれるだけの生命力が己にはある。
しかしあの時代には勿論大事な人だっているし、二度目を此処で過ごしてもその人たちにまた逢えるかも判らない。
けれどそうまでして帰って来たと言ったら、居候先の家主はどういう表情をするのだろう。
だから、そうまでして帰りたくはない。
「・・・たわけ」
やはり妙な男だ。
時代が違えば考え方も違ってくるが、考え方が本当に違う。
己もまた幾度も幾度もこの地に生まれてきたが、ここまで考えが違うのは初めてだ。
どうやら先の世はこのような安穏とした考えを持てる程に平和なのだろう。
しかし、面白い考えだ、と咲喜は微笑んだ。
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