第9話:つまみ食いは作った人しか味わえない




「悟君やい、少しは落ち着いたかしら?」
「……」


傑君が「悟のこと頼みます」とまるで子供を保育園に預ける親のような台詞を言い残してこの場を去ってから少し経った頃。未だにぐずぐずと泣いている悟君に声を掛けた。

だけど、返事がなくその代わりに私の腰に回している手を強め、更に肩に埋めている頭をぐりぐりと押しつけてきた。あ、この子ったら昔教えたこと忘れてるな。


「ほら、人と話す時はまず目を見なさいって教えたでしょ?」


ぽんぽんと悟君の背中を優しく叩きながらもう一度声を掛けると、もぞっと身体を動かすと渋々といった感じで離れてくれた。その際に私は悟君の目隠しを外す。え?何でそんなことするのかって?ほら、濡れたままの布が顔にひっついてるなんて気持ち悪いじゃない。

すると、外された本人は急に視界が明るくなったことに驚いたようで、目をギュッと閉じた。その拍子に涙がこぼれ落ちたので、すかさず手で拭き取ると、それにも驚いたのか次はラムネのビー玉みたいに綺麗な青い目をまん丸にしてこちらを凝視してきた。それにしても、


「あらまあ、随分と男前が崩れちゃって。目元が真っ赤じゃない」


案の定、泣きじゃくっていた悟君の目元は真っ赤だった。それに悟君の肌は女子も羨むぐらい真っ白だからそれはもう目立つ目立つ。こりゃハンカチ濡らして冷やしたほうがいいかもしれないな。

といっても、高専にやってきてまだ間もないのでここから近い水道の場所が分からないのでどうしたもんかと悩んでいると、悟君が「つめたくて気持ちいい…」と呟いて私の少し冷えた手に擦り寄ってきた。その姿はまるで猫のようで、なんだか懐かしさを覚えた。


「(そういや、昔こうやって慰めたことあったっけな。あれは確か、)」







******







「何それ」
「アンタね…、毎回言ってるけど後ろから突進して抱きつくのやめなさい。危ないでしょーが」


あれは確か、ひょんなことからこの世界にやって来て五条家にも悟君の世話係としても慣れてきた頃。

いやあ、ホントあの頃はいろいろと大変な思いをしたもんだよ。だって、知らぬ間に別の世界に呼び出されたと思ったら真っ白な超絶国宝級美少年と運命共同体になっててそのせいで死刑対象にさせられたんだよ?

一瞬ちょっと何言ってる分からないですねってなったよね。でも、元の世界でもそんな展開や事件なんてよくあったし「あらまあ」の一言で終わらせたよね。あと、五条家の皆様とお話し合いして何とか死刑対象から除外させてニートから脱却したよね。

と、まあ、そんなこんなで悟君の世話係になった私だったが、あの日は無性に好物のだし巻き玉子が食べたくなったのだ。お八つ時だったけど。

焦げ目なく綺麗に包み込まれた卵はふわふわで噛むとジュワっと口の中に出汁が広がり、旨味が凝縮された味。その味を求めて仲良くなった料理長の許可を得て、五条家のクソでかい台所でだし巻き玉子を作っていると匂いにつられたのか悟君がひょっこりやって来た。

そして、私の腰に猪のように突進してきて冒頭の質問をされたのだった。腰砕けるかと思ったよね。

あの頃の悟君は今と打って変わって警戒心の強い猫のようだったなぁ。でも、出会った当初よりも慣れてくれたのか自分から私に触れてくるようになっていて嬉しかったのを覚えている。


「オマエ、料理なんて出来たんだね」
「ちょっとそれどーゆー意味かしら?」


まあ、生意気具合は平常運転だったけど。でも、悟君はそんな憎まれ口を叩きながらも側から離れず、私の焼き上げるだし巻き玉子をじーっと見つめていた。その姿はまるで猫じゃらしを狙う子猫のようで可愛かった。

そんな愛らしい姿を横目に焼き付けながら、出来上がっただし巻き玉子を皿に乗せた。その間も悟君は何も言わずにじーっとだし巻き玉子を見つめていた。ほんっっっっとこの子ってば黙ってれば天使のように可愛いなオイ。まあ、黙ってなくてもドチャクソ可愛いけど。

なんて思いながら、我ながら上手いこと出来ただし巻き玉子を一口サイズに切り分け、一番美味しい真ん中の一切れを可愛い天使に「はい、あーん」とお裾分けした。

が、可愛い天使は私の行動に驚くとラムネのビー玉みたいに綺麗な青い目をまん丸にしてこちらを見上げてきた。え、何でそんな驚いた顔してるの?さっきまで食べたそうにガン見してたよね?

いつもの生意気さはどこへいったのやらといった予想外な反応にこちらが驚き、食べないの?と声を掛けると、悟君がポツリと呟いた。


「……食べて、いいの?」


その一言に、ああ、この子はつまみ食いこれすら許されない環境にいるのかと思った。

この世界……だけじゃないか。何処の世界も腐ってるところは腐ってやがる。どうしてこうも子供に我慢をさせるのだろう。どうしてもっと自由に伸び伸びと成長を見守ることができないのだろう。

私がこの子と同じぐらいの年頃なんて、かぶき町の親父共からつまみ食いどころか馴染みの店でツケで好きなだけ食べること。さらに正露丸野郎から遊びの一環として博打などを教えてもらった。まあ、どれもロクでもない大人からの教えしかないけど。

けれども、私の周りには子供相手だろうが時には優しく時には厳しく、そうやって教え叱る馬鹿なお人好しがたくさんいた。

それに比べてこの子はどうだろう。

周りにつまみ食いや博打を教えてくれるような大人はいただろうか。全力で容赦のなくて下品で理不尽で、だけど人情を持ったそんな馬鹿なお人好しはいただろうか。

……いや、いなかった。見た限りこの子の周りには馬鹿は馬鹿でも、保身馬鹿、世襲馬鹿、高慢馬鹿、ただの馬鹿。そんな腐ったミカンみたいなクズ共しかいなかった。



―――だったら私は、



「いい?悟君、出来立てをつまみ食い出来るのは作った人の特権なのよ」
「で、でも、俺、作ってないし」
「何とぼけたこと言ってんの。アンタさっき私の足となって一緒に作ってたじゃない」
「足って、ただ抱きついてだけじゃん」



―――たったつまみ食い一つで戸惑っているこの子にとって、



「あら、そのおかげで普段よりもすっごく美味しくできたのよ?」
「それ、屁理屈って言うんでしょ」
「屁理屈もクソもありません。ほら、冷めないうちに食べなさい」
「ぐふっ!?!?」



―――誰よりも優しく、誰よりも厳しい、



「さて、お味はどうかしら?」
「……っ、ひっく、」
「あらまあ、泣くほど美味しかったの?上出来じゃない」
「う゛、…う゛ん、おいじぃ…」



―――ただの馬鹿なお人好しであろう。





そう己の魂に刻み、目の前で泣きじゃくるただの子供を内臓が飛び出そうなくらい目一杯抱きしめた。







******






「あの時の悟君ってば、そりゃもう今と引けを取らないくらいワンワンと泣いてたわね〜。そのせいで私、泣き声を聞きつけた女将さんにこっ酷く叱られたのよ?」
「……それは忘れてよ」
「それにあの後、木に吊るしてた新しいサンドバックが見つかって女将さんにこっ酷く叱られたのよ?」
「それはあかりの行いのせいでしょ」


幼い僕の黒歴史を懐かしむように話すあかりを見て、不貞腐れながらも阻止しようとした。けれど、そんなことであかりが黙るわけもなかった。つーか、最後のは本当に自業自得だと思う。


「(…でも、あの時のだし巻き玉子、本当に美味しかった)」


僕の知る玉子焼きは冷たく、味の薄いもの。いや、玉子焼きだけじゃない。五条家が作るものは全て毒味をするのに時間を取られて冷めた挙句、味が薄かった。一応、高級食材をふんだんに使ってたらしいけど、ぶっちゃけ病院食みたいに味気なかった。

今思い返せば、よくあんなもの食べてたなって思うよ。でも、当時の僕にはそれが当たり前だった。だけどあの時、あかりに食べさせてもらっただし巻き玉子を口に入れた瞬間、それは覆された。

ふわふわの食感と口に広がる出汁の香り、凝縮された素材の旨み。そして何より、


「(―――温かかった)」


それを知った時、僕の目から涙が溢れていた。


あの時、僕は初めて出来立てをつまみ食いした。それまで出来立てを食べるどころか、つまみ食いをするなんて考えもしなかった。まあ、あの家の連中がそんなこと教えるわけないから当然っちゃ当然だよね。


「(だけど、あかりは教えてくれた)」


つまみ食いと浮気は隠れてするものだと。もし見つかったら全力で逃げる、もしくは全力で謝ることと。そして離婚届と慰謝料を請求されたら素直に支払うことと。……あれ?今思い返したら、ロクなこと教えてもらってなくない?

あ、あと玉子焼きには食べられる玉子焼きと食べられない玉子焼きがあるとか。その食べられない玉子焼きの名前はダークマターと呼ぶらしく、それを食べると腹痛、記憶喪失、視力低下などの症状が出るので決して食べてはいけないって言ってた。それを聞いた時、それなんて呪術?って聞いたよね。

そんなことを思い出しながら、あれからずっと僕の黒歴史を「あと、あまりにも泣きじゃくるからそのうち目が溶けちゃわないか心配だったわ〜」と笑いながら話すあかりに僕は「だから、忘れてってば」と強めに声をかけた。すると、


「あら、忘れるわけないじゃない」


真っすぐと僕の目を見て、それはそれは酷く嬉しそうに微笑みながら、


「だってあの後、悟君が初めて私の名前を呼んでくれたんだもの。泣きすぎて目もパンパンに腫れて声もガラガラだったけど、ちゃんと名前を呼んでくれてとっても嬉しかったんだから」


とんでもないデレを浴びせてきた。さらには、


「私ね、またこうして悟君と出会えたことも本当に嬉しいの。実は再会した時、嬉しさのあまり思わず昔みたいに抱きしめたり頭を撫でたりしようとしたんだけど、その、悟君ってば、あの頃と違って大人になってたじゃない?だから、昔みたいに触れるのがちょっと恥ずかしくって…。だって、あんなに天使のように可愛かった悟君が今ではこんな国宝級を上回る勢いでイケメンになってるんですもの。ドキドキしない方がおかしいじゃない。それに実は、今もちょっとドキドキしちゃってたり…」


ちょっと頬を赤らめて恥ずかしそうにデレのオンパレードを繰り広げられた。そして、それを真正面から受け止めた僕は、



「ゲボォォオオオオ!?!?!?!」
「え、ちょ悟君!?あれ!?私ったら間違ってパルプンテでも唱えちゃった!?」



―――吐血した。



え、何これ?何このデレ?何このパルプンテ?てかこれパルプンテじゃないよね?ザラキだよね?え、コイツ僕のこと殺すつもりなの?つーか、いつもなら僕が口説き文句言えば何言ってんだコイツみたいな顔でドン引きしてたじゃん。さっきなんて恋人できた時の予行練習みたいなこと言ってたじゃん。なのに、自分から口説き文句言ってくるってどゆこと?あと、何そのちょっと頬を赤らめて恥ずかしそうに話してんの?は?めっちゃ可愛いんだけど?ちょ、誰か高画質のカメラ持ってきて。僕ちょっと六眼に焼き付けるのに忙しいから。

あかりのパルプンテによって殺られた僕はゲホゲホと血塗れの口を手で抑えていると、あかりが優しく僕の背中をさすりながらハンカチで口周りを拭いてきた。そして、咳き込む僕に気遣う言葉を、


「それで、さっき私のことが好きって言ってたけど。それって本当?」


掛けてくるどころか、先ほどの僕の告白について質問してきた。


え、このタイミングでその質問してくる?ちょ、今の状況よく見てみて?僕、吐血してたよね?あれ?もしかして見えてないのかな?

突然の質問で驚きのあまり脳内の情報が完結しないまま静止していると、あかりがオーイと目の前で手を振ってきた。それを見て何とか我に返った僕は慌てながらも、今度は僕があかりの目を真っすぐと見つめ自分の気持ちを伝えた。


「好き、愛してる」


僕の気持ちを聞き届けたあかりは同じくこちらを真っすぐと見つめ、少し間をあけて口を開いた。


「それは、勘違いとかじゃなくて?」
「勘違いなんかじゃないッッ!!!」


その瞬間、あかりが放った言葉を掻き消すほど、僕は叫んだ。


「どうして、そんなこと言うの?僕の、この気持ちが勘違い?偽りだとでも?そんな、そんなわけないじゃん…」
「悟君…」
「僕は、……俺は、本当にッ!!」


ああ、駄目だ。せっかく引っ込んだのにまた視界がぼやけてきた。息も上手くできない。苦しい。つらい。なにより、あかりにこんな情けない姿見せたくなかった。でも、これだけは伝えたい。伝えなきゃ駄目だ。



「―――おれは、あかりじゃなきゃいやなんだッ!!!!」



そうして僕は、あかりの首筋に顔を隠すように埋めた。その際に、ふわりと懐かしい匂いがした。


「(…ああ、あかりの匂いだ)」


本当に、いつぶりだろうこの匂いに包まれるのは。もう二度と味わえないと思っていた。あかりが去ったあの日から、僕はあかりの使っていたものや部屋など形あるもの全てを残した。けれども、形のない匂いだけは残すことが出来なかった。

だから、この匂いを忘れぬように鮮明に覚えているうちに忠実に再現し、匂い袋にして常に持ち歩くようにした。でも、


「(やっぱり、本物のあかりの匂いがいちばん安心する…)」


あかりの匂いは、天気の良い日に布団を干した時に付く陽だまりのような匂い。そして、ほんの僅かだが煙草の匂いがする。

意外かもしれないが、あかりは煙草を吸う。昔、一度だけ僕の前で吸ったことがあった。その時に父に憧れて吸い始めたのだと教えてくれた。本当は父の形見である煙管を使いたかったが、それは父の親友に先取りされたため使えなかったらしい。

だから、いつか奪い返してやるのだと意気込んでいたのだが、


「ちょうどこの世界に来る前、私の街でちょっとつまらない喧嘩があってその時に壊れちゃったの。おかげさまで私の野望は儚く散ったわけ。でもまあ、めでたく正露丸野郎の禁煙に成功したから良しとするわ。というか、普通に考えて長年オッサンが咥えてたものを使うなんて気持ち悪いわよね」


と、満面の笑みで語りながら最後におもっくそ毒を吐いていた。だけど、その姿に少し違和感を感じた。笑顔はいつもと変わらなかったが、何というか、こう、


「(目がしめっぽかったな…)」


そんなことを思い出していると、「ったく、アンタって子は…」と呆れた声がした。次の瞬間、グイッと僕の顔を両手で挟んで持ち上げてきた。え、ちょ、何が起こったの?え、あかりの顔ちかッ!?


「何勝手に言い逃げしてるの?そこはドンっと返事を待つのが男でしょーが」
「え」
「それと何あの告白の仕方。未成年の主張に出てくる中学生の告白より酷いわね」
「え」
「そもそも相手がまだ惚れてないのに告白してんじゃないわよ。フラれるのが目に見えてるじゃない」
「え」
「告白するなら私を惚れさせてからにしなさい。話はそれからよ」







「え?」







******







☆またしてもセルフ無量空処したGLG
今回は滅多にないスナック嬢のデレのせいで残念ながら胃がお亡くなりになった。
そして、スナック嬢のイケメンっぷりに情報が追い付かなかった。
あれ?これぼくフラれてないってことでいいの?
実は、スナック嬢を忘れないために匂いを再現して常に持ち歩いていた。
それを知っているのは、元担任と親友と同期だけ。



☆パルプンテを唱えてしまったスナック嬢
突然血を吐いたGLGに驚きながらも告白の真相の方が知りたかったのでそっちを優先した。
てっきり勘違いと思ってたらガチの方だったのでちゃんと驚いた。
でも、告白の仕方があまりにもチェリーボーイだったためやり直しを要求したおっぱいのついたイケメン。
実は、喫煙者だがそれを知っているのは限られた人のみ。
それをGLG以外に知っているのは、母と正露丸とニート侍だけ。










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